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見捨てられ王妃のやさしい縁切り  作者: 東堂杏子
見捨てられ王妃よ、剣をとれ
1/24

1.国王失踪

 リマーディル国王が失踪した。

 王妃エリーがその報せを受けたのは、その年の春はじめてウィンの花が咲いた朝のことだった。


 その庭園は王妃が私用に使う寝室のテラスから続いている。限られた者しか立ち入らない秘密の場所だ。

 王妃エリーはそこに花壇を設け、庭師の手を借りずにいちから自分で花を育てた。野菜でも薬草でも毒花でもない、ただ美しく咲くことだけが宿命の花々をそこに植えた。

 なかでもひとわきわ目立つのは、やわらかなピンクの大輪を咲かせるというウィン花だ。これは古代より女性の象徴とされ、王妃の印花でもあった。

 ――今年最初の一輪が明朝の夜明けに咲くでしょう。

 気温と湿度と日照時間を読んで予言した庭師の言葉にエリーは興奮し、昨夜は寝付けなかった。ベッドの上に座って夜を過ごし、日の出の気配とともに庭に飛び出した。

 朝焼けのなかで凜と咲くウィン花の、なんと美しいこと!


「ごらんアナ、王妃の花が咲いた! わたくしの花が咲いたわ!」


 エリーは振り返って側近の女官アナに告げる。


「ええ王妃様。まるであなたそのものの美しさです」


 その言葉が嬉しかった。エリーは満足げに頷く。

 アナの言葉はお世辞ではない。

 王妃といえどエリーはまだ16歳、だが充分に美しかった。腰まで伸ばした長い銀髪と明るい緑色の眸、すらりとした体型だが肩幅は狭く華奢で可憐だ。

 大いなる美貌には王妃冠の責任が伴う。

 エリーは王国すべての女性が憧れる美の象徴でなければならなかった。花を育て、刺繍を習い、歌をうたい、たまに唇を尖らせて学問をし、木刀を振り回して武術を習う。そしてたったひとりの食卓で豪華な無言の食事を済ませ、ひとりのベッドで眠る。それがエリーの日常だ。

 彼女は夫である国王を知らない。

 会ったこともない。

 エリーがこの城に嫁いだ日も、神殿で太古の神々に婚姻を報告した日も、エリーの隣に夫である国王はいなかった。

 六年前に東方のアルデード半島に遠征したきり国王は戻らない。


「みて、ここにもつぼみがある! これが咲くのは明日の朝かしら。明日も早起きしなくちゃね」

「王妃さま」


 女官アナは頬をひきつらせて不器用な笑顔を返した。

 その唇が不健康に震えている。


「どうしたの? アナったら気分でも悪いの? わたくしの早起きに付き合わせてしまったせいね。すまないことをしたわ、あの……大丈夫?」

「……王妃……エリーさま……実は、」

「なあに? 何だか言いたくなさそうだけれど、今でなければならないの?」

「今です。今でなければ、――」


 アナは震えながら言葉を繋いだ。


「さきほど報せが届きました。アルデード半島の敵地にて、国王陛下が行方知れずと」


 それが何を意味しているのかエリーはすぐに把握できなかった。


「え?」


 王妃の花を美しく照らした朝焼けはすでに空を真っ青に染め、ふんわりとした春雲が東風に吹かれている。

 今日は風の強い日になる。

 突然吹いた暴風でエリーの髪が巻き上がる。片手で頭を押さえながら、ようやく、


「国王陛下が――ダランさまが、いなくなった、の?」


 と囁くような声で尋ね返した。

 女官アナはがくがくと震えながら頷いた。


「そうです。王妃さま。謀反に遭ったとのこと」

「……それなら、この国は、わたくしは、ど、どうなるの?」


 その瞬間、女たちの悲鳴と男たちの怒号が響いた。


「きゃあ!」


 重い地響きにエリーも声をあげる。

 落雷に似た烈しい轟音、振り返ると城の端から黒煙が上がっていた。それは戦闘の音だった。血の臭いだった。

 襲い来る死そのものだった。


「王妃さま、こちらでしたか!」


 甲冑を血塗れにした騎士が駆け込んできた。


「ああ王妃さま、よくぞご無事で!」

「おまえはたしかアルディン――近衛隊長!」


 エリーが呼びかけると、アルディン近衛隊長は冑を脱いで跪いた。きらきらと輝く金髪と鋭い視線がエリーを確認して緩む。

 そんな挨拶なんてどうでもいい。エリーも屈んでアルディンに視線を向けた。


「何が起こっているの、あの音は何、煙は、」

「リトワース公爵とその一味が叛乱を起こし城を攻めています」

「わたくしのお義父さまが? ありえないわ! きっと誤解だわ、わたくしが話をしてきます」


 立ち上がって駆け出そうとしたエリーの腕をアルディンが掴む。


「いけません王妃、行けば殺されてしまう。リトワース公はとんでもない悪党です。ご両親を失った天涯孤独のあなたを養女に迎えて王妃に据えたのも、奴が王位簒奪の野望を果たすための布石。あの悪党は計略を巡らし、ついには遠征中の国王陛下を襲ったのです」


「嘘よ! そんなの嘘だわ! アルディン、その手を放して、わたくしを行かせて、お義父さまとお話をさせて!」


 エリーはアルディンの腕を振りほどこうとした。

 だが、ほどけない。

 それどころかひょいと抱えられてしまった。


「安全な隠れ場所を用意しています。ひとまずはそこに」

「いや! はなして、無礼者!」

「このままでは殺されると言ってるんだ、黙っておれのいうことをきけ! まったく聞き分けのない小娘め――おいそこのババア女官、このお嬢ちゃん王妃を黙らせろ!」


 アルディンがアナに怒鳴りつける。

 悪漢そのものの乱暴な口調にエリーは震え上がった。そして直感する。アルディン近衛隊長は悪人だ、きっと嘘を吐いている、本性を偽って王位簒奪を企んでいるのは、エリーの義父リトワース公爵ではなく……


「アナ、この男のいうことを聞いてはだめ! わたくしの大切な義父上が叛乱を起こすはずがないもの、この男こそが遠い国で国王陛下を襲った逆賊一味だわ!」


 エリーはもがいた。

 アルディン近衛隊長が舌打ちしている。

 ほらやっぱり図星! エリーは自分の直感を確信する。

 青ざめたアナが上衣の懐に手を忍ばせる。引き抜いたのは銀色に輝く短剣だった。エリーは息を飲む。

 アルディンは動揺していた。


「待て、女官、おまえ、まさか――」

「おのれ逆賊、覚悟!」


 アナは甲高く叫び、アルディンに飛びかかる。

 エリーを両腕で取り押さえている彼は無防備だった。アナは躊躇なく彼の首を突いた。

 血が噴き出た。

 エリーは全身にアルディン近衛隊長の血を浴びた。熱い。湯浴みの熱湯を浴びているかのようだった。真っ赤な湯。いいえ血。この男の血。エリーは訳がわからない。


「アナ!」


 訳がわからないからアナを呼んだ。

 だがアナはエリー以上に混乱していた。


「ああ、ああ! 私は人を殺した、なんてことを! 王妃さま、申し訳ありません。本当に私は、ああ、公爵に命じられたとはいえ」

「えっ、アナ、何て?」

「何てことを、許されないことをしてしまいました、私は……いますぐお詫びを、うぐ!」

「だめ!」


 エリーの絶叫は届かなかった。

 アナはアルディンを刺殺した剣でおのれの首を突き、血の海に倒れた。

 再びの惨劇。

 あっという間に目の前の人物ふたりが血を噴いて死んだ。残されたのはエリーただひとり、さらに強く東風が吹く。

 ふたりの死体を並べてエリーは途方に暮れた。

 その間にも城内の混乱は拡がっている。エリーは唇を噛んだ。とにかく今は育ての親である義父リトワース公爵のもとに駆けつけなければ。


 駆け出そうとしたとき、ふと、足下に転がっているアルディンの死体が小さな紙片を握りしめているのが見えた。


 エリーはそっと屈んで彼の手から紙片を奪う。

 それは血に塗れた手紙だった。叛逆の証拠かもしれない。エリーは深呼吸して紙片を開く。

 そして、読んだ。


--

『見知らぬ妻へ 

 これからこの手紙をある者に托し、

 余の腹心アルディン近衛兵長に届けてもらう

 君はアルディンから受け取って欲しい

 余は君の義父リトワース公に裏切られた

 君の身も危ない

 どうか生き延びてくれ

 そしてこの国を頼む

 余は逃亡して東方の市井に潜る

 王妃を見捨てた不実な国王を

 どうか許してほしい』

--


 そこにデリン花の指輪印が押してあった。

 これこそリマーディル国王の印花、これを記したのは間違いなく国王ダラン。エリーの夫そのひとの直筆だった。

 逃亡の途中で慌てて記したのか、言葉は短くぶつ切れで、文字は震えて綴りの間違いもある。


「うそ…… 嘘でしょ……?」


 エリーの頬を、背後から威嚇の矢がすり抜けた。

 彼女は微動だにしない。


「ここにいたか、わが娘よ」


 振り返ると、邪悪な笑顔で表情を歪めたリトワース公爵の姿があった。

 見知らぬひとだとエリーは思った。思いたかった。優しい義父、頼もしい義父、王妃となった自分の心強い後ろ盾、そのリトワース公爵の本性を見抜けなかった自分が憎い。エリーの両肩は小刻みに震えた。

 リトワース公爵はエリーのすべてだった。

 義父と呼ぶには歳若く、まだ三十代の半ば。

 彼の美しい格好に、しぐさに、朗らかな気品に騙されていた。エリーはこの男を義父と慕い、信じ、愛していた。

 だから見抜けなかった。

 それだけではない。

 エリーは一度も会ったことのない国王がくれた親切を仇で返してしまった。アルディンを死なせてしまった。取り返しのつかない過ちを犯してしまった。

 死んだ方がましだ。


「あなたの悪行はすべて存じております、義父上さま。どうぞわたくしを殺してくださいませ。あなたのお望みは玉座でございましょう」


「理解が早いね、可愛いエリー。だがおまえは三代前の国王の落とし子の孫、血の資格をもつ王族唯一の生き残りだ。果たすべき大事な用がある」


 リトワース公爵はゆっくりと歩み寄り、エリーの肩に手をかけた。


「立て、王家の末裔よ。おまえの夫はおまえを見捨てて逃亡し、その腹心も死んだ。これからおまえは私の子を産むのだ」


 リトワース公爵の背後から現れた兵が、エリーの軽い体を抱き上げて担ぐ。エリーは抵抗しなかった。その気力も残っていなかった。


 踏み潰された花壇に王妃の花が散っている。


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