3 本物の、悪魔
それは、漆黒のスーツを纏ったやけに細身の体をした男でした。
肌は青白く、唇は紫色。気配は逃げ出したくなるほどに禍々しいものです。
私は一目その人物を見た瞬間、体が硬直して動けなくなってしまいました。
何でしょう、この男は? まるで今そこに生まれたかのようにゆらりと目の前に出現した彼を凝視してみます。しかしいくら見つめみても瞬きしても変わらず、確かにそこに存在していることだけはわかりました。
この状況はどういうことなのか。理解が追いつかず、けれども求めてもそれを教えてくれる誰かはどこにもおりません。
だから私は、戸惑いながらもやっとの事で一言声を絞り出すことにしたのです。
「あなたは、一体」
私が声をかけると、男がニヤリと口角を吊り上げました。その様子はどこか魅力的で、思わず惹かれてしまうほどに美しく見えます。
そして彼は言ったのでした。
「ボクかい? ボクはそう――キミたちが『悪魔』と呼ぶ存在さ」
……。
…………。
…………………………は??
今の私にとって、悪魔と名乗るだなんてとんだ嫌がらせとしか思えません。
だってそうでしょう? ビリィ・ビルデー……公爵家の籍を抜け、今はただのビリィとなった私にとって、悪魔というのは自分の蔑称であったのですもの。
しかし私の真正面に立つ男を見て、それがただの嫌がらせだとは言えませんでした。
それに男は、言われてみれば王国の御伽噺で伝えられている悪魔の特徴そのままです。
頭上には真紅のツノが二つ、怪しげな光を宿す金色の瞳、両肩の黒翼、両手には紫紺の鉤爪、そして臀部に生える尻尾。
少なくとも、人間ではないのは確かでした。
でも常識的に考えて、あり得ないにもほどがあります。
「それはどういう悪ふざけなのです?」
「悪ふざけではないよ。真にボクは悪魔だ。きっとキミは信じてくれないだろうがね」
「当然です。いくらあなたの容姿が悪魔と瓜二つだとして、その根拠がない。第一に悪魔などというのを信仰しているのは教会だけであり、実在するはずがありませんもの。あなた、教会の差金ではなくて? わざわざ私を追って来て始末しようとしているのでしょう。ならいっそ公の場で処しなさい」
私にも貴族令嬢だった者としての矜持があります。
騙し打ちのようにして殺されるくらいなら、はっきりと死刑を宣告された方が清くていいのですから。
しかし悪魔――もちろん自称ですが――は「残念だけど」と首を振り、
「あの忌々しき教会とボクには繋がりはないよ。むしろ敵対しているくらいなんだ」
と言ってのけました。
それが嘘ではないという保証はどこにもありません。ですがもしも、万が一彼の言葉が全て正しかったとしたら――。
「あなたが本物の悪魔ということになるではありませんか」
「だから最初からそう言っているじゃないか。ボクはオグル。悪魔族の長だよ」
まるでそれが当然のことかのようにニヤニヤ笑いを浮かべたままで名乗る男――もといオグル。
私はそれを耳にして、信じ難いと考えつつも、オグルの言葉を認めるしかなかったのでした。
そして同時にこんな風に思ったのです。
これはもしかすると私を確実に冥界へ連れて行くために遣わされた、『お迎え』なのかも知れない、と。