1 悪魔と呼ばれた令嬢
「ビリィ・ビルデー。お前は悪魔だ! お前のような女との婚約なんか破棄してやる! 二度と俺の前に姿を現すな!」
煌びやかな夜会の雰囲気を破り、男の怒声が会場に響く。
しばらく呆然と立ち尽くし――そしてやっとのことで彼の言葉の意味を理解した私は、目の前が真っ暗になって膝から地面に崩れ落ちてしまったのでした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
私の婚約者、オーメン第一王子。
私は彼のために今まで全てを捧げて来ました。
彼の妃になるために勉強をして。
彼の役に立つために仕事を手伝い。
彼の力になろうと険悪だった教会との関係を改善するために奔走して。
でもきっと、私のそんな努力は『真実の愛』の前には何の意味もなかったということでしょう。
まさか裏切られるだなんて、私、思ってもみなくて……。
それは、王族主催のとある夜会でのこと。
筆頭公爵家の娘である私はふわりと裾が広がったドレスを身に纏い、夜会へ出席しておりました。
周囲では大勢の貴族が飲み交わしながらの腹の探り合いを繰り広げつつも、比較的和やかに進んでいました。
気になったのは本来私をエスコートするはずの御方の姿が見えないことくらい。
どこかで歓談でもしていらっしゃるのか、と思っていた最中に、私の探し人であったオーメン第一王子殿下が声が突如として張り上げたのです。
内容は――私との婚約を破棄するというもの。
信じられません。
己の耳を疑い、目を疑って。それでもオーメン様が見知らぬ少女を背後に庇うようにしている光景は変わりません。
まるで悪い夢を見ているかのようでした。
「どうして、ですか。婚約破棄って……」
「キャセルを虐げ、俺たちの『真実の愛』を邪魔したのはお前だろう。その行い、到底許せるものではない!」
キャセルとは私のビルデー公爵家の養女となって数ヶ月の、元々は公爵家の分家の男爵家令嬢であった人物です。
ピンクブロンドのツインテールに鮮やかな桜色の瞳が印象的な、とても可愛らしい少女でありました。
私が彼女を虐げていた?
一体何のことか微塵もわかりません。私は虐げるどころか、キャセルのためを想い、貴族のルールなどを教えながら妹のように可愛がっていたというのに。
しかしそんな私の言葉が聞き届けられることはなく、私の罪状が突きつけられていきました。
――曰く、ビリィ・ビルデーは王子からの贈り物を破壊し、王族への嘲笑を繰り返した。
――曰く、ビリィ・ビルデーはキャセル・ビルデーに暴行を加えたり、数回に渡ってパーティードレスを汚したことがある。
――曰く、ビリィ・ビルデーは詐欺師である。キャセルの数々の功績を我が物とし、王妃教育も実は全て彼女にこなさせていた。
――曰く、王子とキャセルの間の『真実の愛』を邪魔するため、キャセルを殺害しようと企んだ。
――故に、ビリィ・ビルデーは極悪非道の悪魔である。
もちろんのこと、これが真実なはずがありません。
パーティードレスを汚したことも、王妃教育をサボって彼女に押し付けたことも身に覚えのカケラもないのです。
しかしどう言ったところでオーメン様が耳を貸してくださる様子はなく、私はあらぬ罪を被せられてしまいました。
これを企んだのは間違いなく、我が義妹キャセルでしょう。
彼女はオーメン様に惚れ込んでいたのです。そしてまた、オーメン様もキャセルに骨抜きにされていました。私の知らないうちに二人は『真実の愛』という名の浮気をしていたのですから。
きっとー黒髪黒瞳の地味な私より、ピンクブロンドのかわゆいキャセルの方がオーメン様の好みだったのでしょうね。
そして、要らなくなった私をまるでゴミのように捨て、二人で幸せになるおつもりなのでしょう。
悪魔と罵られて一方的に罪を着せられた私。そのまま護衛たちに引きずられ、夜会から強制的に退場させられます。
「オーメン様! お、お待ちください。オーメン様っ、私は!」
何もしておりませんのに。
言おうとした言葉は喉から出てきませんでした。
なぜなら、叫びながら彼を振り返った時、見てしまったから。
私が一生懸命に尽くし身を捧げてきたオーメン様が、ピンクブロンドの少女と唇を触れ合わせる姿を。
私とはただの一度もしてくださらなかった口づけという名誉を、オーメン様は、彼女に惜しみなく与えていたのです。
――その瞬間に今まで彼へ抱いていた恋情は音もなく崩れ去り、その全てが深い憎悪へ変わったのでした。