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五限目の悪魔

作者: 遠山千佳

 五限目には悪魔が潜んでいる。


 週の終わりを飾る金曜五限。古典の授業を聞き流しながら、そんなワンフレーズが脳裏を過ぎる。印象的なフレーズがある割にその実体というのか、具体的に何がどうなるという話まではとんと耳にしたことがない。

 いつ誰が言い出したのかも分からない。知らぬ間に、けれど確かに学校中で広まっている根も葉もない話。言わゆる学校の七不思議だとか都市伝説だとか、そういう類の()()()()()話のネタとして時折だれかの会話に持ち上がる。


「ここで覚えてますか! サ行変格活用……」


 小柄なおじいちゃん先生が張りのある声で教鞭を振るう。見渡せば真剣に聞いている人、頬杖に頭を預けてうつらうつらしている人、机の下でスマホを触っている人とまちまちだ。その誰に声をかけてもこのフレーズは小耳に挟んだことがあると言うだろう。

 馬鹿馬鹿しいと最初は思った。もちろん間に受けている人なんていない。高校生にもなって何かの脅し文句に使うような奴もいない。何が面白いんだか、この空虚なワンフレーズは忘れた頃にふっと頭をもたげる。


『休みの前の最後の授業だと思うと気が抜けるじゃん? 悪魔ってそういうことだと思うんだよね』


 誰かがそう言ったのを覚えている。もっともらしい考察だった。悪魔なんてのはもののたとえ。金曜五限という状況を考察して導き出されたであろう結論だ。

 でも、


『五限目って金曜に限った話じゃないよね? それに六限ある時だってあるし』


 中身のないフレーズの割に、そんな共通認識ばかりは歪むことがない。こういうネタは往々にして原型を留めないものなのに、何故かいつも筋が通っている。

 不思議だった。言葉にし難い不自然さに誰も疑問を抱かないことが、ずっと不思議でならなかった。五限目の悪魔なんて脈絡の与えにくい言葉は他愛ない日常会話の隙間に現れて、そのくせ大した意味も持たずに消化され、みんなの意識から消えていく。幽霊のようなこの言葉こそが悪魔の実態なんじゃないかと、僕にはそう思えて仕方がない。


「あ、」

 

 誰かが小さく声を漏らした。それに呼応するかのように、クラスメイトたちの意識がそろって窓の方へと向く。

 雪が降り始めていた。今年に入って初めての、雪。

 そのうち驚きや喜びのこもった囁き声が教室を駆け巡って、授業中の教室はたちまちざわついた。

 五限目の悪魔の仕業だろうか。なんてことを思うのは、きっと僕だけなんだろう。


「はい! いまは授業に集中!」


 耳が痛くなるほどの声で先生が吠える。怒気のない、ただただ大きいだけの声に教室のみんなは従えられていく。曲がりなりにも進学校だから、わざわざ反抗するような奴はいなかった。

 静寂が戻り、授業の時間が進んでいく。つられるように悪魔のことも意識から離れて、今日も代わり映えのない高校二年の五限目が消費されていく。

 そんな風に白昼夢から抜け出した矢先のこと。


「ん」


 前の席の女子が後ろ手に紙切れを差し出してきた。先生の視線が黒板へ注がれる合間を縫って、早く取れと言わんばかりに華奢な指が揺れる。


「……」


 無言で紙切れをつまみ上げてやると、女子の手は何事もなかったかのように引っ込んだ。少しのあいだ背中を眺めても振り返ろうとさえしない。要件はすべて紙に載っているということなんだろう。

 わからない。特に親しいわけでもない、せいぜい顔と名前が一致している程度の女子がどうしてこんなものを寄越したのか。彼女だって同じぐらいの認識だろうに。一年ぶりの雪に心を打たれてセンチメンタルな気分にでもなったんだろうか。

 くだらない憶測を挟んで、丁寧に折られたルーズリーフをそっと広げた。滑らかな紙の上を踊る繊細な文字に、僕は目を見張った。


『悪魔がいる』


 呼吸を忘れそうになった。まるで本物を見たかのようなリアルな言葉選びに虚を突かれてしまったから。

 好奇心のような恐怖のような、よく分からない感情を抱えたまま顔を上げる。もう一度、黒板を追って揺れるボブヘアを見つめる。馴染みがあるようなないような、目の前の女子の名前――


 名前は、なんだった?


 思い出せない。ただそれだけなのに気持ちが焦る。そんな気配か視線でも感じ取ったのか、女子はゆっくりと、思わせぶりに横顔をのぞかせて、


「それ、ワタシなんだけど」


 さらりとした甘い声で、終わりを呼んだ。

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