18話 水田をミラクルヒール?
もはや、ハイネたちは村の修繕部隊と化していた。
そのようにして、村のあちこちの修繕を行いつつ、次にハイネが取り掛かったのは、
「……枯れかかってますね」
村外れにあるレティ所有の水田だった。
この村においては、真ん中付近を縦に流れる川を境に、西側を田畑、東側を住居としている。
そのため、はじめて訪れ、はじめて目にしたのだが、ここもまた問題山積といった印象だ。
水田というには、張られた水はほとんどなく、干上がりかけていた。
春から夏へ。
ちょうど季節の変わり目だ。
苗を土に植え替えてすぐの時期である。
水は薄めに張る方が生育によい、と言われているが、それにしてもだ。
この状態で、稲が芳しく成長してくれるわけもない。
水が少ないのをいいことに、小鳥が飛んできては嘲笑うように戯れている。
「これは……どうなってるんです?」
尋ねた相手、レティはそこにいなかった。ナナがしゃがんでいるのみだ。
「わたくし、どーせ絵心ないですよーだ」
なんと彼女は、いまだに拗ねていた。
井戸を直したのは、もう数日前のことだ。
来てから一週間超が経つわけだが、ハイネたちはもうカミュ村になじみ始めていた。
あの後も、ナナは絵を描くことを諦めなかった。
果敢に挑戦しては、誰からも理解されず、撃沈していた。
○×を一列揃える遊びが、子供たちの間で流行っているらしいのが救いだ。
「誰でも得意不得意はあるよ、ナナさん」
妖艶に誘ってみたりもするが、根本は子供っぽい娘なのかもしれない。
天使という存在は、皆こうなのだろうか。
「それで、レティさんは?」
「なんか、あっちにいきましたけど……」
と指さした先、レティは川横に屈んでいた。
ぐっと足を踏ん張り、川の流れに桶を割り入れ、なみなみと汲む。
いったい、どうするのだろう。なんにしても、こけてしまいそうで、危なっかしい。
ナナと二人、ひとまずそれを手伝う。
すると最後、彼女はそれを水田に撒いたのだ。
乱れを気にしたのか、ふぅと息をつき、髪紐をほどく。
箒のように固そうな髪で、くせっ毛だ。砂埃が絡まっていたりもする。
そんなありのままなところも、彼女の純朴な魅力の一つである。
けれど、それは今、横に置いておかねばならない。
「もしかして、いつもこの汲んでは水田に流す作業を……?」
「えっ、まぁ、そうですね」
何気ないことのような返事だが、これは異常だろう。
途方もないことをやっている。
十分な量の水を行き渡らせようと思ったら、100回汲んだって足りない。
それでなくとも、太陽光は水を蒸発させ、稲は水を吸うのだし。
さしものナナも、うわぁ……と息を漏らす。
そこでハイネは違和感を覚えた。
「あれ、というか川から水を引いてるんですよね? 溢れるくらい水量があったような気がするんですが」
教会にいる間、ハイネは寝る暇を惜しんで、勉学に努めてきた。
農耕者ではないが、基礎的な知識は押さえてある。
「実は別の湧水から引いてるんです。あの川は荒れたら手がつけられないので。
でも、湧水も最近は調子が悪いんです。すいません、すいません……」
もはや得意技、と言えるかもしれない。
レティは無駄に二回謝る。ハイネは、もうなにも言うまいと口をつぐんだ。
「昔は結構この村で作るコメを求める商人もいたのですが…………」
「へぇ、名産だったんですね?」
「はい、まぁ。ここは山間ですから、綺麗な水で育ったお米は、甘さが一味違うとかで、料理人さんが欲しがったみたい。
……昔は、ですが」
過去には、この村にも、ごはんどころがあったらしい。いまや、見る影もないけれど。
あの悪徳代官たちが壊していったものが、あまりに多すぎる。
さて、どうしようか。ハイネは顎に手を当てて一考する。
万能な『超越』魔法だが、属性魔法は使えないため、水をここに直接溜めることはできない。
そもそも水を生み出したところで、それで、この萎びた稲が蘇るわけでもない。
「へへ、へへ~っ」
と、不敵な笑みが聞こえてきた。
けれど、決して村に敵をなす存在のそれではない。
笑いを堪え切れなくなった、ナナのそれだ。
いかにも、訳を聞いて欲しそうに、んふふ~とだらしなく笑って、ハイネを見てくる。
「……ナナさん、どうしたのさ」
分かっていて放置しようだなんて意地悪な心を、ハイネは持ち合わせていなかった。
「また、絵を描くの?」
「違いますよー、だ! 今度は絶対うまくいきます。
わたくしのヒールをかければ、きっと元に戻りますよ。これも、生きているわけですし♪」
「……植物にもかけられるんだね」
「はい。生きとし生けるものになら全てです。ちなみに、これも特殊ですけどマナ魔法ですよっ」
ということは、いつかはハイネも使えるようになるのだろうか。
今のところ、イメージしてみてもよく分からない。
ここは一つ見学して、学ばせてもらうとしよう。
ナナは、茶色にくすんだ稲の葉先に触れた。やはり、詠唱はしない。だが、その手からじわじわと仄かな橙色をした泡が生まれ始める。
それがいくつも重なり、あるところで、稲の中にそれが収まった。
「うんうん、いい感じ♪」
すると、たちまち苗は芳しさを取り戻していく。周りの苗も、まるで水滴を湖面に落としたように、順々と立ち上がっていった。
じっくり時間をかけて、そのヒールの輪はひろがっていく。
終わってみれば、実に青々しい。田全体が、逞しさを取り戻していた。
「……どーですか、ハイネ様! わたくしも一応これくらいはーーってあれ」
得意そうに振り返ったナナだが、すぐ立ちくらんだかのように膝が折れる。
「ナナさん!? 大丈夫?」
すぐに駆け寄ると、やりすぎました~、とぺたり地面に座り込んだまま、はにかんだ。
「ここまでの範囲をヒールしたのは、久々だったので、油断しました。あはは~」
「……それだけならいいけどね。立てるの?」
「はい、別にそれくらいなら余裕ーーーー……やっぱり立てません! 全然、これっぽっちも、立てません!」
……急に、どうしたのだろう。
「腰が抜けて力が出ない~。ハイネ様がおぶってくれたら、帰れるかもしれませんねぇ~」
辛い状況のはずなのに、語尾が上がっているように聞こえたのは気のせいだろうか。
それに、ちらちら片目だけで見て、両手を伸ばしてくる。
言葉の割に、かなり力強い縋りつき方だ。
「……帰ろうか。ほら、僕の肩なんかでいいなら、いくらでも使ってくれよ」
「さすかハイネ様! では遠慮なく♪」
「なんか元気になってないかな」
「気のせいですよ、きっと。ハイネ様ったら、そういうところありますよね。わたくしは、かなり限界だから頼っただけで……」
(いや、背中の羽、思いっきりはためいてるけどね?)
ナナを背負うことになり、家路に着くこととなる。
「う、羨ましい……」
ぼそりとレティが影で言ったのは、ハイネには聞こえていなかった。
一方のハイネは、ぴったり引っ付いてくるナナの身体を意識しないようにしつつ、考え込む。
問題がすべて解けたわけじゃない。
一時的に元気になったとはいえ、水が少ないことには変わらないのだ。
たとえば大量の水を移しても、いつかはまた干上がる。さらにいうならば、ナナが毎度こうなってしまうなら、そう何度もやらせたくない。
……そうか、とそこで一つ思いついた。
勉強をしていてよかった、ということかもしれない。




