宿敵《フェイト》
かつての家電量販店は無残に破壊されつくされ、その地を炎に蝕まれていた。
紅い光が二人を照らし、高く遠い天井は暗く、まるで深い穴蔵の底に地獄が産まれたかのような光景。
方や深く低く獣のように疾走り。
方や犠牲者を迎え入れる悪魔の如く迎え撃つ。
対照的な二人の顔には同様の笑みが浮かぶ。
それはかつて狩り損ねた獲物に喰らいつけると剥き出した牙だ。
『ブッ殺す』
言葉もなくその挨拶をお互いに視線で交わす。
先手はケンゴだった。
右の手から放たれた銀の光がアキナシへ飛翔する。
アキナシの左手が翻り、足元の炎がまる横に引き裂かれたページのように炎の膜となりその軌道を毟り取る。
「ハッハッハッ、壁は止めたのかい先輩?」
「ハンデだよハンデ、弱っちい後輩に少しは勝ち目がねえと足掻いてくれねえからな」
アキナシは突撃銃を防ぐ際に用いた炎壁を止めた。
それがハンデであるわけではないとケンゴには分かっている。
炎壁は範囲こそ広いが、使用者の視界を制限する。
ケンゴがナイフを使い始めたその時点でそのリスクは許容できないものとなったと判断した。
(まあ先輩ったらボクの事を本当に評価してくれて、やりづらいことこの上ないね)
ケンゴのナイフを使った技量は曲芸の域に達している。
認識外からのナイフの投擲による暗殺、それはアキナシが先輩だった頃から変わらず、これこそがケンゴの対魔法使いの十八番だった。
「慌てふためいて逃げ回れよ、後輩」
アキナシが右手を突き出すと宙に描いた炎の幕が軌道を変え、まるでバケツ一杯のインクをぶちまけたかのような広域の散弾へと変化する。
ケンゴは一瞬の躊躇の後、その下を潜り接近する事を選択。
それを見るやアキナシの左手が鳴り、ケンゴもまたそれを合図にするように左に低く跳ねる。
次の瞬間、ケンゴが突撃をしかけていたルートの炎が弾けるように小規模な爆発を繰り返した。
ケンゴはそれを確認すると同時に左手でナイフを山なりに投げる。
数秒の対空を持ってアキナシへと着弾するルート。
アキナシは、それに対し一歩の後退を選択―――する寸前に火弾の投擲での撃墜に切り替えた。
「チッ」
ケンゴは焼き尽くされる空中のナイフを見て舌打ちし、投擲せんと隠していた右手のナイフを引く。
「ビリヤード撃ちか、懐かしいなぁ後輩、一度自慢げに見せてきたの覚えているぜ」
アキナシはケンゴの策を看破し嗤う、ただその対処は紙一重の判断でしかない。
もし移動による回避、炎膜による防御を選択していれば、ケンゴの二本目がその軌道を変えアキナシに致命傷を負わせていただろう。
ケンゴは一歩引き、左手にナイフを握り直し、アキナシは右の掌を下げ、炎を地に溜める。
お互いが、お互いを知るが故の膠着。
一度動き出せば二人の命の天秤は1秒単位で揺れ動き、読みを誤ればそれがいつ傾いてもおかしくはない。
誘いは隙、隙は誘い、ここに甘い選択肢などどこにも存在しない。
だが、この天秤は不公平だ。
まだ余裕を持って迎え撃つアキナシに対し、ケンゴの息が荒く吐かれる。
「分かってるだろ?このままじゃ死ぬだけだって」
「おや?心配してくれるとはお優しいねえ、先輩は」
攻める為の運動量の差、手持ちの武装の差、炎による空間の酸素の差、【魔法】によって余裕を持ってそれらを補うアキナシと、常に動き回り、ナイフの残数を計算し、薄くなり続ける空気を吸うしかないケンゴではそもそもの土俵が対等ではない。
魔法使いは対等である世界の理を否定する理不尽の具現だ、だからこそ五課は精鋭でありながら、あらゆる部署の中で最悪の殉職率を誇る。
「ヒヒヒ……」
ケンゴは笑っていた。
可怪しくなった訳ではない、ただ可笑しかった。
自らの甘さが逃した最悪が、災厄となり現れた。
有る種の後悔は努力によって取り返せるとの言葉がある。
ならば、これこそがそれだろう、ケンゴの積み重ねた悪名は今ここに過去の後悔を連れてきてくれた。
その事実は『この男は、死んでもここで終わらせてやろう』という破滅的ながら前向きな思考をケンゴに与えていた。
時間はない、だから敵へと向かうしかない。
必要に求められケンゴが歩み出したその一歩は軽やかなものだった。
それにアキナシは訝しく眺め、ケンゴはまるで友のように語りかける。
「なあ先輩、気になるんだけどなんでボクが恨まれなきゃいけないんだろうね」
「あん?」
何の罠か、それともただの時間稼ぎかと訝しむ、がその言葉は聞き逃がせなかった。
「なんでだとテメェ?」
「だってそうだろ?君は犯罪者だった。ボクは仕事をした。なんか悪いことした?」
アキナシの顔が歪む、安い挑発、それでもその言葉は憎悪の魔法使いの根源に突き刺さる銀の弾だった。
地を這う炎が大きく揺らぐ、膨らみすぎた憎悪がその制御を奪おうとしているのだ。
アキナシはそれを自覚し、目の前の敵を睨んだ。
「なるほどな、こういうのは覿面だ、五課らしいじゃねえか」
ケンゴは歩みを止めず宣告する。
「じゃあ、もう一度やろうか」
アキナシはそれを憎悪と共に受諾した。
「ああ、これが最後だ」
獣達が笑った。