悪鬼《サドンデス》
「酷いと思いません?いきなり後輩を放り出してきて一人でやってきてっすよ?」
(俺は一体何を聞かされているんだ)
暗闇の中、男は今まさに彼のチームを鏖殺した優男――コウイチ――に治療を受けていた。
彼は倒れ伏す男に近づくと両手両足の骨をへし折り、装備を剥ぎ取り、男の止血処理を始めた。
ダメージは甚大、だが致命傷ではない、放置すれば失血死は免れなかったがこうなってしまえば捕虜となるしかないだろう。
そしてその間、コウイチは延々と上司――ケンゴ――の愚痴を言い続けている。
痛みに呻きながらも、その態度、そして余裕、全てが癪に触った。
「俺には他に仲間も居る。お前らは袋のネズミだ、この戦闘の音もとっくに聞こえている。俺を捕虜にしようが」
コウイチがめんどくさそうにその言葉を遮った。
「あーはいはい、そういうの良いんで、俺の勝ちなんで、それにあっちはまあ、ケンゴさん担当なんで」
言葉の意味を理解する前に、コウイチの背後から気の抜けた声が響く。
「おーわったよ、コウイチ君、いやー、数が多いと疲れるねえ」
「あっ、来た。いやむっちゃ死にそうだったんですけど、もうちょい新人に優しさとか無いんすか?」
男は絶句した。
目の前に、スーツ姿で眼鏡の七三の男、ケンゴが余裕の表情で現れ、コウイチがすかさず文句を言い、それにまあまあと宥めている。
まるで、ここが自分たちの場所だと言わんばかりに戯れている。
それよりも気になる言葉があった。
「終わ……った?」
男が言ったのは独り言のようなものだった。だがそれにケンゴはけだるげに笑いながら律儀に答えた。
「ああ、裏口からの4人、入り口にそれぞれ2人づつで8人、全員片付けたよ」
「どうやって」
装備の差、人数全て男達が上回っていた。
油断もしていない、相手が化け物だと理解した上で確実に追い込む手はずだった。
言葉が真実ならそれが、あっさりと食い破られ、いや食い殺されていた。
ケンゴはあっけらかんと答えた。
「どうやって?いや、君たち雑魚だったしね、それを君が教えてくれたから助かったよ」
「雑魚……俺が教えた……?」
言葉の意味が理解できない、情報は何も渡していない。
「まあ難しいよねえ、これは組織の性質みたいなものだからさあ」
ケンゴは語った、その理屈を。
「まず、君達は最初の攻撃を受けた時、一人が倒れ、追撃を受けるとすぐ行動した」
「判断は早いけど、この暗闇の中致命傷かもしれない程度で適当に投げたたった3本の投げナイフ相手に部下を見捨てて逃げれるって事は、一人頭のコストが低いって事でもある」
コスト、それは賃金の事でもあり、仲間意識でもあり、教育のコストの事も指す。
教育された人材を失う事は、それだけで組織の維持にダメージを及ぼす。
「つまるところ、装備は過剰に見えるけど、君たちの練度はあっさり補充できる程度って事だ、ちゃんと訓練を受けている傭兵ならああは動かない、どうせ金もらって都度人員を集めるテロ屋って所だろ?人数が多すぎたのも補足事項だねえ」
たった一回の攻撃でケンゴは男達の力量を看破していた。
だが、それでも完全に武装した多勢を、ここまで一方的に鏖殺できるものだろうか。
いつの間にかケンゴが男の前で屈み込んで、ニタニタした顔で見下ろしている。
「それが出来るプロフェッショナルを集めてるのが、ウチさ、君は新人にやられる程度じゃあ落第だねえ」
見透かすような言葉に男は脱力する。
最後の言葉こそが致命傷だった。
「今更だが、降参する。必要な情報は全て話そう、尤も気づいているだろうが俺たちは……」
「雇われだろ?いいよ、金の動きだけでも助かるからね、じゃ君の車の鍵を貰おうかね」
男は鍵を取り出そうとし、激痛に顔を顰め、顎で左胸のポケットを指した。
「あーはいはい、コウイチ君、運ぶのは君がやってくれよ?上司命令」
「うえ!マジっすか、無力化しろって言ったのケンゴさんじゃないっすか!手伝ってくださいよ!」
死体の転がる地獄のような光景の中でまるでそれを日常の一幕のような和気藹々としたやり取りをする二人を見て、男はため息を付いた。
「なあ、悪いんだが早く―――」
男が見上げた天井にそれが現れた時、二人は会話を止め走り出していた。
それは小さな炎、
それは徐々に肥大化し、
小さな太陽となり、
「クソが」
瞬く間に落下し男の意識を灰燼へと変えた。
ケンゴとコウイチは、小さな隕石が落ちたような光景を目の当たりにしていた。
たった今確保した犯人が中央で人型の炭に変わり、火球の着弾地点を中心に店内のあらゆるものを円形に吹き飛ばし、同時に巻き散らかされた炎が、周囲を火の海に変えている。
「け、ケンゴさんこれって……!」
ケンゴはそれに答えず、回収した突撃銃の引き金を引く。
フルオートで発射された銃弾は連鎖的な銃撃音と共に炎の中に吸い込まれ、その先の影を穿たんと牙を剥く、が。
「チッ!」
影を包む炎が揺らぎが見えた瞬間、ケンゴは隣に立つコウイチを蹴り飛ばし、自らも横に跳ぶ。
次の瞬間、彼らの居た場所を炎の渦が貫き、背後の壁面を破壊した。
ケンゴは叫ぶ。
「コウイチ君、先に行きな!」
突き飛ばされ、唖然とするコウイチに車のキーを投げ渡す。
「け、ケンゴさん、でも!」
「いいから行け!」
余裕のないケンゴの姿に、コウイチは動揺しながらも頷き走り出した。
ケンゴが再び銃撃を再開しようとすると、影がその姿を嘲笑った。
「ははは、優しいなぁケンゴォ、部下の命だけは救ってやろうってか?良いぜ見逃してやるよ」
その声にケンゴは聞き覚えがあった。
それは、忘れたくても忘れられない失態の一つだったからだ。
ケンゴはその嘲笑に負けずに、相手をあざ笑うように声を張り上げる。
「ああ、元五課のアキナシ先輩ねえ、久しぶり、僕から逃げたヤツがどういう気持ちで戻ってきたんだい?」
ケンゴの回答に心底おかしいように笑いを上げながら炎の中から影が踏み出して来た。
標準的な身長ながら身にまとうトレンチコートの上からでも分かる鍛え上げられた肉体。
右手には貫かれたような切創痕。
五分に刈り上げた髪型。
焼かれたように白く濁る右目。
そして開かれた瞳孔と赤く充血する左目。
その唇は喜悦と嗜虐に歪んでいた。
「お前をぶっ殺す為に、戻ってきてやったんだよ」
アキナシと呼ばれた男がその右腕を振うと、炎の塊がケンゴへと射出された。