巣窟《ファイブ》
長い廊下の先の奥まった部屋に、コウイチはケンゴと共に足を運ぶ。
道行く同僚達の視線から感じるものは、若干の嫌悪と恐怖、そして畏怖だ。
コウイチは若干の居心地の悪さを感じながら、その扉を押し開く。
「ただいま戻りました~」
灯りは同じの筈なのに何故か薄暗く感じる室内、そこで慌ただしく業務をこなす強面の男達。
ここが、第五課の事務室だった。
マル魔は、警察署の中でも外れに存在する。
理由としては、最も新しい部署であることと、最も感情的な恨みを買いやすい部署であるということ、それと、警察内で最も嫌われ者の部署であるからだ。
嫌われる理由は単純である、マル魔の捜査対象は【魔法】が関わるというだけで、他の部署の管轄と完全にぶつかり、法改正により強化された権限により強制的に彼等の手柄を取り上げるように攫っていくからだ。
それならばただの嫌われ者、だが【魔法使い】を相手にするという特性上、マル魔は最も危険で、事実として最も負傷率と殉職率が高い。
だが、それでも異常な士気を保つ精神力、あらゆる死地へと自ら赴く捜査能力、その危険さ故に求められた高い戦闘能力を兼ね備えた精鋭であることは、他の追随を許さない。
事務室で先輩達の笑い声が響く。
「ケンゴさん、新人はどうっした?使えます?」
「ん~、反応が面白かったねえ、君たちじゃあアレはできないから、次期エースと言っても過言じゃないね」
ギャハハハと下品な笑い声が事務室に響く。
嫌われ者、精鋭、強権、故に彼等は刑事でありながら無法者のように振る舞う。
(いや、寧ろ嫌われたがってる感じがあるよな)
コウイチは同僚達を見てそう断じた。
なにせ、マル魔は直ぐ死ぬ、だからこそ何かの壁を作っている、もしかすると自分もいずれそうなるのかもしれない。
ケンゴが手を叩いて、談笑を止める。
「はいはいはい、じゃ、手の空いてる人達は集合ね、今回の件でちょっと人手が要りそうだから」
そう言って、数人が集まる、誰も彼も傷跡が一つや二つではない強面だ。
周囲の同僚も、仕事をしながら耳を側ただている。
「みんな知ってると思うけどようやくガサを入れられた今回のあの店舗で、案の定ご馳走が見つかった」
ケンゴの言葉に口笛が飛び、ケンゴがニヤつきながら周囲を宥め賺す。
「そう、ここまでは想定通りなんだけどさあ、このご馳走、当たりっぽいんだよね、その時は更に増員が欲しくなる、いいね、聞き耳立ててる、そう、いざとなったら頼むよ」
集まった一人が手を上げて、ケンゴが発言を許可するように手を差し向ける。
「根拠は?」
「ん~?勘?というか、臭いが違うんだよねえ」
コウイチはその言葉に首を傾げるが、同僚たちは「臭いか~」「ケンゴさんがそういうならなぁ」などと奇妙な納得をしている。
そんな置いてきぼりな雰囲気を感じていたコウイチは、突然肩に手を置かれビクリと跳ねた。
「おっ、ナイスリアクション、みんな一日千秋で待ってたと思うけど、今回はコウイチ君をメインで進めるからドシドシ質問と仕事押し付けちゃってねえ」
「えっ!?」
あっけに取られるコウイチの周囲に話し始めに集まった以上の同僚がいつの間にか集まってくる。
「あはははは、後輩思いの先輩ばかりで涙が出るねえ、でも、自分の仕事もちゃんとやってね、んじゃあとはよろしくう」
ケンゴはその言葉を最後に事務室の扉へと向かっていく。
「あの、ちょっと!」
それをせき止めるように先輩たちがスクラムを組み、有無を言わさぬ雰囲気でコウイチを見つめる。
一人のチャラそうな金髪の先輩が口を開いた。
「とりま、コーイチくん、まずはフルコースで行こうか」
そう言うとガッシリと肩を捕まれコウイチを事務室の奥まで引きずり込もうとする。
あうあうと声を上げるコウイチに、スキンヘッドの先輩が優しく声をかけてくる。
「最初が肝心だからね、これ終わらせるまで帰れないから、シャワー室と仮眠室教えてあげるよ」
コウイチは確信した。
ここは地獄だ。
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笑顔で退室したケンゴはスキップでもしそうな勢いで、署内の廊下を歩いていく。
だが、目の前に来た男を見てその足を、止め、頭を下げた。
「お疲れ様です。署長。」
「ケンゴか…」
礼節を持った挨拶をするケンゴと対象的に、署長と呼ばれた恰幅の良い男は苦虫を噛み潰したような顔をする。
ケンゴは笑顔のまま頭を上げると何事もなかったかのように、足を進めようとしたが、その背に声がかかる。
「待て、お前今度は何をしようとしている」
ケンゴは、礼儀正しく振り返り、姿勢を正し聞き返す。
「はい?何をと申しますと?」
署長の態度は更に苛立たしさを強めていく。
「お前が本庁からここに来て上げた成果は認めている」
苦々しいものがあることを隠そうともせずに続けた。
「だが、以前のように署内の規律を荒らす事はまかりならん」
叱責とすら言えるその言葉に、ケンゴは、ああ、と笑みを強めた。
「私めが行わせていただいたゴミ掃除の事でしたら、ええはい、その節はご迷惑をお掛けしました。まさか、あれほど汚れが溜まっているとは思いもしませんでしたので」
その言葉に、署長の顔が憤怒と羞恥の色に染まる。
ケンゴの行ったゴミ掃除
それはこの街の警察署内に存在した、悪魔崇拝者達や暴力団、半グレ達とつながりのある汚職警官の一掃だった。
本来、マル魔は警視庁に対策本部を置き、各都道府県警察刑事部に五課として存在する。
だが、ケンゴはこの街の【魔法】犯罪の検挙率と行方不明者数、それらを元にした統計的な天使の堕落の流通量の不均衡を理由に、マル魔独自の強力な権限を持って本庁から引き連れた少数の人員と共にこの街に無理やりと言って良い方法で対策室を建てた。
そして赴任して数ヶ月、街での下準備を終えた彼は恐るべき速度で動いた。
街中の悪魔崇拝者達や暴力団、半グレ達に対し、魔法犯罪対策法の悪用ともとれる方法でガサ入れを実施し、その過程で芋づる式に警察内部の関係者を片っ端から吊し上げ、逮捕した。
その中には署長の右腕とも言える、副署長も含まれ、一時的にだがこの街の警察機能が麻痺しかねない程のダメージを与えた。
もっと穏当なやり方はあった、だがケンゴはそれを選ばず、しかしながら処罰は受けなかった。
それこそが夏に引き起こされたシマハラの計画を隠蔽しつづけてきた根源であり、ケンゴの取った麻酔すら用いないが如き外科的手法を持ってこそギリギリ対処が可能であったことは誰の目から見ても明らかだったからだ。
署長は頭に登った血を吐き出すように息をつき、返答する。
「それは、私の不徳の致すところだ、認めよう、あれは必要だった、だが」
強い意志を持ちケンゴを睨みつけ、言葉を叩きつける。
「何もかも隠匿し、背後から身内を刺す貴様のやり方は気に入らん」
それに対し、ケンゴは再び頭を下げた。
「それは、言い訳のしようもございません、ですが」
頭を上げた、ケンゴの表情は爽やかとすら言えた。
「必要が求めれば、また私はやるでしょう、その節はご一報致します」
署長は「そうか」とだけ言い、ケンゴに背を向け歩きだした。
ケンゴはその背にむけ、盛大に溜息を付いた。
「仲間への信頼感が強すぎるし、真面目すぎんだよねェ、署長様は」
シミひとつ無いシロ、それは間違いない。
有能、それもそうだろう、事務仕事ならば。
だが、身内に甘すぎる、だからこそ腸を食い荒らされていた事にすら気づかなかった可愛そうな男。
署長の嫌悪感とは一切関係なく、ケンゴは署長に対してはかなり好意的な感情を抱いている。
「いや、身内に甘かったのは僕も同じか」
ケンゴは頭を掻きながら踵を返す。
「じゃあ、僕もおしごとしなきゃなー」
願わくば、あのような真面目な人間が報われるように、ケンゴはゴミ溜めを漁るかのように汚れ仕事を続ける。