《ナイトメアロスチャイルド》
下校途中、いつものアユムとミツキとリーベの三人並び、
夕暮れの黄金色が三人の影を長く伸ばし、三人の家路を急がせる。
「いやさあ、それって完全に」
「皆まで言うなよ、ミツキ、俺だって分かってる」
そんな中、アユムが話題に選んだのは当然、昼間の噂話だった。
ミツキはため息をつきながら、その静止に一応の同調をしつつその名を出さずに話を続ける。
「僕には悪い人には見えなかったけどさ、責任感とかそういうのが爆発するタイプの人だよね、心配だなぁ」
その言葉に、アユムは頷く。
「だな、変な方向に暴走しなきゃいいけどよ……いや既に暴走かこれ?」
「でも、それは僕等に言える事じゃないね」
今度は二人並んで溜息を付いた。
アユムはなんとなく、傍らで自らの服を摘む少女に話題を投げかける。
「なあ、リーベ、最近来るアイツ、どう思う?」
リーベは無表情のままアユムの目をじっと見つめて、数秒後、口を開いた。
「アユム」
「ん?」
アユムは久々にタイミングが不明瞭過ぎる言葉に首を傾げたが、その視線の裏でミツキが忍び笑いをしている事に気づく。
「んだよ、ミツキ、言いたいことがあるなら言え」
ミツキは、何がおかしいのか腹を抱えながらそれに答えた。
「アユムみたい、って事だよ、根っからのお人好し評価だ、良かったね」
アユムは顔を顰めて、リーベを見つめ直す。
その目はずっとアユムを見ており、身じろぎ一つしない、つまるところ、ミツキの言葉に特に否定する要素が無いということだ。
アユムは今度は天を仰いだ。
「ハァ~~~~よく分かんねえ」
アユムの横を小学生程の子供達の一団が通り過ぎる。
「やべーもう帰らなきゃ!夜になる」
「大丈夫だって、ブギーマンが居るから」
アユムは驚き足を止めその背を見た。
「悪いヤツはみんなブギーマンがやっつけてるんだよ、だから平気だよ」
一人の少年がネットに入ったサッカーボール無邪気に蹴りながらそう言った。
「いやでも、お前この前俺のプリン食ったじゃん、悪人だろ」
「それは、その分、ゼリーあげただろ!」
「悪いやつじゃないってんなら今度キーパー代われよ!毎回俺ってのは不公平だろ!」
いつの間にか、三人とも足を止めその話を聞いていた。
無言の時間が続く、こんな時に口を開くのはいつもどおりミツキだ。
「まあ、今度は悪い噂じゃないってことで」
「そういうことにしておくか」
「プリン」
皆、思い思いの言葉を口にして、家路を再開する。
近くの家から、カレーのいい匂いがした。
今晩の献立はなんだったか、もしそうだったなら、今日はいい夢が見れるだろう。
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夜の繁華街を抜け、廃ビルの一室でヘルメットを外し、息を吐く。
「はぁ、これ息苦しいな、やめて覆面……いやネタ被りは迷惑か」
夜のバーで行った大立ち回りの直後にも関わらず、青年の表情には興奮の色すらない。
冷めた目で窓の外の曇天の夜空を眺めていた。
青年は今日の立ち回りを思い返し、ひとつひとつ反省を繰り返す。
レッドキャップ達の模倣で始めたこの活動。
弟のような犠牲者を産まない為に未だ蔓延る悪の芽を摘み取る活動。
何も出来なかった彼が、今度こそ後悔しないために始めた贖罪。
浮かれた気持ちでやるつもりは無かった。
(もっとしっかりしなきゃ)
しかし、その思考を廃ビルの中に響く軽い声とパチパチという拍手の音が遮った。
「いやー凄いなあ、超身体能力で店内をあっという間に制圧した上に、ビルの上を跳び回って追跡?」
青年はビクリと振り向いた。
暗がりから、スーツ姿で七三分けのメガネの男が現れる、そこには張り付いたような笑みが浮かんでいた。
「やあ、ケイくん、こんばんは、ボクは警察署の方から来ましたケンゴです。以後よろしく」
警察手帳を片手でぶら下げながら目の前に現れたケンゴと名乗る男に、ケイは狼狽えた。
「ど、どうやってここに…!?」
その問いに、ケンゴは懐から取り出した煙草に火をを付け、ふぅと天井に吹き出し、答えた。
「最初からずっと付けてたよ、今週いっぱい夜の間はね」
「付けて、いたんですか、ずっと」
付けていた、警察、見られた、並べられた事実にケイは逡巡する。
少なくとも今この場所ではケイは犯罪者であり、目の前の男はそれを逮捕する権限がある。
それどころか【魔法】による暴行行為は即座に射殺されても文句は言えない。
(だけどなんで今なんだ、それに一人、怪しすぎる)
相手が警察であるという事実以上に、状況の不可解さがケイの警戒を強めた。
ケイが魔法使いだと分かっていながら、周囲にケンゴと名乗る男以外の姿が見えない―――もしかすると他の人員が隠れているのかもしれないが。
しかし、そんな彼の心境とは裏腹にケンゴは話し続ける。
「例の事件以来、君の行動の不自然さは目についてたからね、ちょっとつけたら案の定だ、しかもさっきの【魔法】、マコト君の身体強化だけじゃないねえ」
そう言って腕を組み、人差し指を立てる。
「拡大する自罰の【悪夢】の中で、他人の【悪夢】に接し、結束点を自らの手で破壊したことで、無数のサンプルから誰もが普段は蓋をしている他人の罪悪感の記憶に対する鍵の存在を理解してしまった」
【魔法】の発症例としてはイレギュラーだけど、当たりだろぉ?とケンゴはおどけた。
「………」
ケイはその言葉に後ずさる。
ケンゴの言う事は恐らく当たりだ、だが、それを知っているとケイに伝える必要がない。
一言で言えば、怪しすぎる。
ともすればケイを利用しようとする悪魔崇拝者の警察内部にいる内通者という可能性もある。
(試すか?)
ケイは右手を握りしめたが、それを、ケンゴは煙草を向け静止した。
「やめな、向かってくるなら公務執行妨害で逮捕しなきゃいけなくなる。それにこの件で君が被疑者から外れるようにしてるのはボクだ、正直面倒が増えるだけだと思うぜ」
ケイは動きを止めた。
動く気配だけで機先を制された。
そして、そこに含まれる脅迫とも取れる言葉、それと同時に自分を逮捕する気は無いと受け取れる言葉。
それ以上に、ケイを容易く制する事ができる自信が見て取れた。
「……何が目的ですか」
絞り出すようにケイの口から漏れた言葉に、ケンゴはようやく聞いてくれたとばかりに笑みを浮かべた。
「ボクの目的は一つさ、やる気があるならボクが君の狩りを手伝って上げようと思ってね、そういう提案をしに来たのさ」
「手伝い……?」
「そう、君は夜の狩りを存分に行えばいい、ボクからは警察の捜査情報、事件の発生情報、必要なら各種サポートを提供しよう、まあ尤も非公式だけどね」
ケイは更に疑念を強める。
それにケンゴは先回りして答えた。
「美味すぎる話だって?怪しいって?なら答えよう、ボクは青少年のやりたいことを手伝うのが趣味のやさしいお兄さんなのさ、本当にこれ以外理由が無い、さあ、どうする」
ケンゴは握手を求めるように右手を差し出し、ケイは逡巡と共にその目を見た。
不思議な事にその目には嘘の色を一切感じない。
(どうする、受けるべきなのか)
ケンゴが狩りと言ったその活動。
始めて分かった危険性と難しさ、一人では限界があると既に痛感している。
アユムやミツキに助けを借りる気はない、だが、ありとあらゆるものが足りないのは事実。
そしてそれが怪しすぎるとはいえ目の前に転がってきた。
(元より危険は承知して始めた事だ、そして相手を信用するかは兎も角、優秀さは見て取れる、それならば―――)
ケイはその手を掴んだ。
悪魔の手だろうと、少なくとも今は敵でいるより味方の方が良いと思ったからだ。
それにケンゴの言う手助けもまた、受けてから自分でそれが正しいか判断すればいい。
だが、余計かもしれなくともこれだけは言うつもりだった。
「もし、貴方が悪意を持った人間だったなら、僕は貴方を狩ります」
言葉と同時に、強く手を握りしめる。
ケンゴはその手を握り返しもせず、煙草の煙を口で弄ぶと、ふっと吐いた煙で宙に円を描く。
「オッケー契約成立だ、仲良くしていこうねえ。んじゃあ最初にボクからひとつだけアドバイスだ」
「アドバイス?」
「ああ、アドバイス」そう言うとケンゴは笑みを浮かべ、続けた。
「君がどんな気持ちで行為を行おうが、それを見る他人にとっては関係無い、正義や贖罪の為であろうと、悪徳と嗜虐の為であろうと、ね」
そう言うとあっけに取られるケイの手をあっさりと離す。
ケンゴは背を向けて部屋の外へ向かい、扉に手をかけながら別れの挨拶を告げた。
「結果が変わらないなら結局の所楽しんだもの勝ちさ、じゃあ、またねブギーマン」
ケイはケンゴが去り際に放ったその名乗った覚えもない異名に顔を顰めた。
『ブギーマン』
それは、この街に産まれた都市伝説。
曰く、その悪夢は悪人だけが見る。
曰く、その悪夢は罪の重さだけ罰を与える。
曰く、その悪夢から逃れる術はない。
曰く、曰く、曰く、曰く、
曰く、その悪夢は実在する。
人は、悩み惑い、時にどうしようもなく狂う。
出口の見えない迷路の中で正解かも分からない答えを求める。
そこには善意も悪意も混在し、善意が悪を産み、悪意が善と讃えられる事もある。
結局の所、その意志の行く先がどうなるかなど結果だけが知るものだ。
だからこそその二つが等価の選択肢に見えてしまう。
誰もが自らが善なるものなるように願い、律する為の寄る辺を求めている。
『悪いことをすると、ブギーマンが来る』
これはそんな迷い子達の産み出した、新たな夜の伝承。
『ナイトメアロストチャイルド 君に大丈夫だって言えるように』 (了)
こちらで一先ず完結となります。
ご愛読ありがとうございました。