月輪《エンド・オブ・アクト》
アユムはケイを背負ったまま、風船達を飛び石のように駆け上がっていく。
その高度は風船の上昇に伴い徐々に月に近づいていっていると言えるだろう。
そしてその眼下では、ノーザンライツタワーが土煙を上げながら徐々にその高さを減らしている。
ブギーマンは、屋上面からただ二人を見上げている。
アユムのミツキに要請した仕掛けは派手ではあるが単純だ。
一つ目は、月へ駆け上がる足場を作る事。
これは、実績のある風船を即座にアユムが提案した。
二つ目は、ノーザンライツタワーの破壊。
ブギーマンの繰り出す最も厄介な行動である影の移動と攻撃。
それは月光とブギーマンが作り出す影が起点となる。
それは下に伸び、上には到達しない。
それ故にアユムはミツキに注文した。
飛び移るまでの時間稼ぎに、ビルを反対側に倒して上り坂にしてくれと。
ミツキは大笑いしながら了解した。
幾度となく跳躍を繰り返し、アユムとケイは既に月の半ば程の高さまで到達していた。
「ケイ、色々あったが、予定通りだ!」
背に乗るケイが喚く。
「なにが予定通りだよ!僕に説明の一つくらいあっても良いじゃないか!」
「悪い、悪い、どうも時間が無くってな」
謝罪をするアユムに憤慨するケイ、だがその二人の声には隠しきれない笑いが含まれている。
「なあケイこの悪夢が終わったら―――」
アユムが言いかけた瞬間、風を切る音を察知しアユムは身を捩る。
その際、左の脇腹を何かが貫通した。
「アユム!?」
それに言葉を返す余裕は無い、跳躍を繰り返しながら眼下を見る。
崩壊し続けている屋上面に、ある夜に見た巨大な影の華が咲いている。
ひとつ大きく違うのは、それの中央に蕾がある事だ。
そしてその蕾が、力を貯めるように大きく膨れている。
(砲撃モードって事か)
ミツキはアユムの頼んだ仕込みで、今は地上に居る、射撃支援は不可能。
屋上面はあと30秒もすればブギーマンごと崩れ落ちるだろう、だが、それまで見逃されるか。
答えは否、ならば。
「ケイ!後は任せるぜ!」
言葉と同時にアユムは動き出していた。風船への着地と同時に残された左腕でケイを掴んでいた。
これから起こることを察し、ケイは確かに頷いた。
「ああ、任せてくれ!」
その言葉と同時に、アユムはほぼ直上へと跳躍し、勢いのままケイを空高く放り投げた。
空へ飛び上がるケイと、地に落ちていくアユム。
別れゆく相棒にアユムは笑みを浮かべ伝える。
「じゃあまたな!」
ケイは目を見開き、確かに聞こえるように叫んだ。
「ああ!また!」
――――――――――――――――――――――――――――――
(本当に落ちてばっかだな俺)
アユムは落下していく最中、往生際の悪い敵を睨みつける。
崩落を続けるビルの屋上面とはいえ相手の状態は固定砲台、逃げはしない。
なら当てるのは困らない。
それよりも自分自身の体だ。
深く切り裂かれた右肩
左の臓器を影の弾丸が貫通
実際の所、今の体に出来ることは少ない、できて大雑把にワンアクション。
そうでなくても50m近くの落下、恐らく落下と同時に訪れるのは確実な、死。
(喰われたヤツは昏睡、なら、死んだやつはどうなるんだろうな)
眼下の蕾がその力を開放せんと、砲門を開くのが見えた。
その瞬間、過ぎったその疑問を、アユムは無駄な思考だと斬り捨てた。
(落ちて、ぶっ殺して、その後何秒か生きてるだろ多分、俺がくたばる前にケイが悪夢を終わらせれば問題ねえ)
プランは何も考えず最大限の大火力の一撃。
左手で腰の火炎瓶を可能な限りつかみ取り、膝のプロテクターで着火。
激痛の走る右腕で無理やり抱え込む。
火が消えないよう体を丸め、体を空気抵抗で回転させ始める。
脚が下を向いたタイミングで体を開き、左足を影の大蕾へ向ける。
左手で操作するスタンガンブーツは当然最大ボルテージ
抱えた火炎瓶は体に燃え移り始めている。
アユムはイメージした。
左足を届かせるように
いや、左足を突き抜けるように
あの影の先へ、全て蹴散らすように
子供が見る特撮のヒーローのように
影の大蕾がその種子を空へ放つ
だが、その速度よりも遥かに速く
「くたばれクソったれェーーーーーーー!!!」
一寸の迷いもなく
鋼鉄の脚が
紫電が
炎が
影の大蕾へ飛翔し
爆炎と共に着弾し盛大に爆発四散した。
――――――――――――――――――――――――――――――
放り投げられたケイは眼下の月を見る。
(本当にバカみたいな大きさだなあ)
その直径はおおよそ100m程だろう、それに引き換えケイの持つ日本刀は60cm程度、太刀に分類されるそれ、いや、これほどのサイズの差があればもはや刃渡りなど問題ではない。
(夢とは言え馬鹿げてるな)
頭の中の言葉と裏腹に体は空中で自然と姿勢制御を取り、刀を上段に構えている。
ケイは自らを恥じている。
何かがあれば仕方ないと笑い、
大切なものだと言いながら道理を理由に逃げ出した。
あの日、一人目の母が消えた日も、
あの日、二人目の母が壊れた日も、
あの日、守りたかった弟の手紙を無視した日も、
あの日、罪悪感から逃げるため悪夢を見出した日も、
今この時も、内心では不可能だと思いつつある。
あまりの羞恥に歯を食いしばる。
悪夢の中出会った少年、自分より遥か年下の少年、最初は守ろうとした少年、
それが蓋を開けてみればなんと頼りになった事か、従い、頼る事が道理に思えた。
その上、彼はケイの罪を暴き、奮い立たせ、それを償う術を与え、そして彼をここに連れてきた。
年下のガキに全部任せきりで、ヘラヘラ死にたいだのなんだの言っていたのは誰だ。
(全部、全部、全部、他人任せ、僕は……馬鹿だ)
賢しい考えで、理由を付け逃避を選び続けた馬鹿、それが自分だとケイは自覚した。
ならばと、ケイは目を閉じ念じた。
僕は馬鹿だ、
本質も見抜けない馬鹿だ、
なら目に見えていた月がその通りなはずがない、
僕が、不可能だと思う事は、出来る事だ、
ケイの思考は期せずして真の誇大妄想狂の思考形態に近しい狂気を宿す。
ましてや、それが自らの夢の中なのであれば。
ケイは目を見開き呟いた。
「斬る」
振り下ろした刃は、ただ一寸も月には届かなかった。
だが、次の瞬間
月がずるりと縦にズレた。
――――――――――――――――――――――――――――――
「うわぁ」
影の海から逃げるように先程まで拠点にしていたビルを登りきったミツキが見た光景は鮮烈だった。
沈みゆく屋上に、まるで炎の矢のごとくアユムが突貫し爆発。
その頭上で、月が二つに割れ、明滅しながら地に向かって落ちてゆく。
星もない暗闇だった空は、まるで黒一色だったパズルをひっくり返したかのようにバラバラにずれて崩れていく。
ミツキは、思考への浮遊感に気づく。
「ああ、これで終わりか、参ったな、夢の中じゃないと試せない兵器が一杯あったんだけど」
パズルの隙間から、曙色の光が漏れ出す。
終わりを告げる夜明けの光、それがプリズムを通したかのように四方八方に散っている。
「結合点が壊れて夢が、散ってるって事か、予想当たってよかったな」
これから目覚めるであろう、感覚を楽しみながらミツキは腰を落とした。
「ま、なんにせよ今回は僕は脇役だったな、お疲れ、アユム、ケイさん、あとリーベ」
ケラケラと笑いながら、ミツキは異様で不気味で美しい空を見上げる。
「さあて、家出してた言い訳考えないと」
日常が帰ってくる。