摩天楼《ネスト》
「んだこりゃ……」
アユムとケイが到着したノーザンライツタワーの玄関、一階ロビーに影の海は無かった。
だがその代わりに、
「影が、ビルの周りにびっしりとこびりついてるね……月は本当にここの真上みたいだ」
見上げた空に巨大な月、大きすぎる、不自然過ぎる程に。
「登った先にあるって事なら、話が早え、行こうぜ、ケイ」
「素直に登らせてくれれば良いけどね」
「まぁそうは……行かねえよなぁ!」
二人がロビーに踏み込んだ瞬間に、その現象は起こった。
背後で静止していた影の海が、飛沫の音と共に迫る音がする。
そしてロビーに並ぶエレベーターが同時に一階に到着した。
そこに居たのは無数の――もはや数えるのすら馬鹿らしい――ブギーマン達。
「ケイ!辛えが階段だ!最上階60階、その屋上だ!行くぞ!」
「ああ!行こう!」
アユムの左足が跳ね、ケイの一足がそれに追従する。
それに追い縋る無数の怪物と物理法則を無視するようにビルの内部を遡らんとする影の波濤。
ケイの刃が道を塞ぐブギーマンを袈裟に斬り捨て、アユムがその隙を埋めるように蹴りを繰り出し、火炎瓶を置き去りに駆け抜ける。
統一された悪夢の全てがこの忌まわしきビルに今集結し、悪夢の主を望む通り今こそ殺さんと牙を剥いた。
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ブギーマンが、今まさに拳でへし折られた首をそのままに、左腕を自切し、地に落ちたそれが影として走りリュウコの足元で蛇と化し跳ねる。
それをリュウコは足さばきと首をひねるだけで避け指貫で蛇の首を穿ち破壊する。
左腕を犠牲にしたブギーマンはその間も動く、首を治すと同時に、右腕が開いたままの掌でビンタのように振るわれる、リュウコは咄嗟に左のガードを上げたが巨躯に相応しい衝撃がリュウコを襲いたたらを踏む、だが、止まった右腕をガードした腕を勢いで絡ませ、肩を掴むと崩れた姿勢のままその腕をへし折った。
一瞬の静止も許さず、リュウコは蹴り足を繰り出し、窓ガラスごとブギーマンを外に吹き飛ばす。
背後では園長もまた三体を相手に、苦戦を強いられている。
「テメー!ケンゴ!最初と全然違ェじゃねえか!」
リュウコは叫んだが、ケンゴもトランシーバ片手に一体を相手にナイフを振り抜いている。
「ああもう、リュウコちゃん、あっちもマジで殺しに来てるみたいでさ、なんというか、アユム君達が核心に触れたみたいな?予感はあるんだけど、っと危なっ!」
園長と相対していたブギーマンがいつの間にか自切していた腕が壁面からケンゴの首に迫っていた。
ケンゴはそれを寸前で躱し、ナイフで壁に縫い付けたが、それと同時に目の前のブギーマンも動いている。
あっちの肉体もまた同様の危機に瀕している、何故か事情を説明した彼の父が奮闘してくれており、なんとかなっているらしいが、状況は芳しくない。
「なんにしても、あーし達は、これずっとやってないといけないってことよねえ、しんどいわねー」
園長は最も多くのブギーマンを相手にしていながら、笑みを絶やさない。
「あー…ま、いっか!」
ケンゴは園長の背負いたがりの性格を知っている、だが、今は茶化してテンションを下げられても困る。
彼もまた、その背負いたがりに助けられた人間なのだから、それは信じるに足る信条だとよく知っている。
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アユムとケイの、道は順調とまではいかずとも確実に前に進んでいた。
二人の【魔法】の突破力は閉所のブギーマンでは押し止める事ができるものではない、だからこそ、前だけを見て戦っていた。
アユムが気づいたのは30階を越えた頃、階段から見えるオフィスの窓、そこに映るそれの異常さに。
「なんだ、ありゃ」
一度見たことがある、巨大な影の華、例えるなら、グロテスクな食虫植物の華。
ただ、窓から見えるその規模が立ち並ぶビル群と同様ともなれば、ただ、絶句するしかない。
そして、その機能がその原型と同じならば――――
「ケイ!窓だ!防御だ!兎に角飛んでくるやつを防げ!」
その言葉にケイが反応したか、してないか、そのタイミングで華は炸裂した。
「う、お、あああああ!!!」
ケイの日本刀が一体を切り落とそうとして、そのまま跳ね飛ばされ壁に叩きつけられる。
アユムが間一髪避けた所を、蛇の口が開かれ下顎で地面に潰される。
人の胴程もある影の蛇が窓から殺到する、蛇の大きさに対し障害物が多く狭い分直撃は避けられている。
だが、下から迫りくるブギーマンと、今窓から圧殺せんとする影の大蛇達にアユム達は完全に包囲されている、それだけならまだいい。
「階段……が」
ケイがつぶやく、そう、上に行く階段を破壊された。
飛び上がる事はまだ可能だろうが、この状態でその隙は見いだせない。
這いつくばったままアユムはブギーマンの行進と自らの上を這い回る大蛇を恨めしく眺める。
そもそもが悪夢、理不尽など当然、それを何度も味わってきた筈だった。
「畜生……これで……」
終わり、と呟く寸前に、電子音が響く、腰のトランシーバ、ケイとのものではない、夢に来る際に勝手についてきた方だ、そこから声が響く。
『スプライトからレッドキャップへ、状況は把握してる』
その声はいつも通りの、弱気な少年のフリをする猛獣のそれ。
『まあ聞いて無くても勝手にやるんだけどさ、外の怪獣、アレ、僕が仕留めるから』
次の瞬間、爆音と共に怪獣の悲鳴がビルを震わせた。