月下《ロードショウ》
「アユム!どこだ!」
夜の始まりと共にケイは街路を走り出した。
月明かりに照らされた街の中で、影の海が波濤となり駆け抜ける音が響く。
昨夜行われた、殺戮の宴、その再演は既に始まっていた。
(これはもう、怪物でも、怪獣でもない……ただの災害だ)
ケイの感覚からこの夜に巻き込まれた人達の気配が次々と消えていく。
ある者は動けもせず、ある者はただ閉じこもり、ある者は逃げた先で―――
(ごめん)
それに対しケイは動かない、例えその場所に向かったとしてケイに何ができるのか、胸の内を焼くような罪悪感と共に彼等を切り捨てる。
この中でもしケイに救う事ができるとすれば一人だけ、それならば、この身を犠牲にしてでもただ一人共にこの夜を戦ってくれた彼を救おう、そう昨日の夜に決めていた。
(だってのになんで、なんで見つからないんだ、今まではこんな事なかったのに)
目の前の交差点の右から音が響くのを感じ、咄嗟にブロック塀に飛ぶように捕まった。
足元を影の波が間一髪で通過し、それから離れるよう必死に上へ登ると、背後で影の波は十字路で三方へ散っていく。
その勢いは弱まる気配が見えない。
ケイは塀の上であっても安全ではないと判断し、アユムの身のこなしを思い出しながら家の屋根へと無理やりじ登った。
そこから見下ろした景色は、地獄だった。
街中を埋め尽くす黒い影、ビルや住宅や小高い丘だけがまるで小島のように浮かんでいるように見える。
そして同時に、あることに気づく。
「誰も、生きて、いない」
彼の中から人の気配が消えていた。
「は、はははは……」
いつの間にか自分が膝を付き、乾いた笑いを上げていたことにすら気づいていなかった。
救える全てを救おうとした。
それは無理だった。
できる限りで全力をつくそうとした。
それも無力だった。
せめてたった一人、自分を助けてくれた人を。
「なにも、なにも、僕には意味がないじゃないか」
影の海が声もないのに嗤った気がした。
跪くケイの目の前に、影が差す。
ケイはそれを見上げる。
それは紛れもなくブギーマンだった。
それなのに、今は全く別のもに感じる。
細身で長身、スマートと形容される体型。
手足は長く運動神経も良いと評判だ。
彼は学ランすら着こなしているという表現をされ。
その顔には人の良さそうな、張り付いた笑み。
そうすれば、みんな好印象を抱いてくれる。
そう分かっているから、そうしていた。
本当の僕は自信なんてないのに。
その顔はケイのものそのものだった。
「そうか、そうだよな、僕を一番殺したいのは、僕だ」
絶望から来る幻覚、自分を裁く怪物がとるに相応しい姿だという奇妙な納得。
それと同時に自分の喉から出た声は、思いの外嬉しそうな声だった。
ケイは両手を広げブギーマンに懇願した。
「ブギーマン!頼む!全部終わらせてくれ!」
この僕の無様を、この僕の人生を、無意味に生きたこれまでを、罪の清算を!
ケイは叫ぶ、同時に夜の記憶が脳裏に過る。
そうだ、僕の望みはこれだ、それを知るのが怖くて、遠回りをし続けた。
ああやっぱり全部僕のせいだった。
もしも時が戻るなら、アユム君、君に殺されたかった。
ブギーマンの腹が縦に裂け、乱杭歯の大口が開かれた。
「オラアアア!!!!!死ねやボケェーーーー!!!」
次の瞬間ブギーマンの頭部に強烈な横薙ぎの一撃が加えられ、回転するように屋根の上を吹き飛んでいく。
それを行ったのは赤い覆面にゴーグルを付けた小柄な少年―――その声に聞き覚えがあった。
「まだまだァーーー!!」
少年は吹き飛んだ先を見定めると左足を突き出し、どんな原理か瞬きの間に横たわるブギーマンの頭上に出現していた。
「死ね!死ね!」
到達と同時に重力加速度に任せ、ブギーマンの頭部を左足で何度も踏み潰し粉々に砕くと、腰に巻かれた幾つもの瓶のうち一つを取り出すと肩の取り付けられたプロテクターでその口を擦り着火、ブギーマンの半開きの口に放り込んだ。
「あー、こういう時なんて言うんだっけか、ああ、そうだ、」
少年はブギーマンに背を向けこちらに歩み寄ってくる、その口元に不敵な笑みを浮かべて。
「エイメン、だな」
ブギーマンが火柱を上げ燃え上がった。
「よお、ケイ、遅くなったな」
少年が片手を上げ、ケイに親しげに話しかけてくる。
赤い覆面
怪しく光るゴーグル
半袖の黒いシャツ
肩や肘にはヤスリ付きのプロテクター
右手には先の曲がった鉄パイプ
ボロボロのカーゴパンツ
腰に幾つも吊るされた瓶詰めの液体
共にカラビナに付けられた二つのトランシーバ
鉄板入りの安全靴
そして何より目を引く左足の義足
今までのケイの知るアユムとはどこかが違う、それに何故ケイからその場所が分からなかったのか、だがその声、その振る舞いはアユムそのものだった。
「あ、アユム君、あれは……?」
そう言ってケイはブギーマンを指差すと、アユムはああ、となんてことないように言った。
「光が苦手だって言うなら火炎瓶でもぶちこんでアイツ自身を松明にしてやりゃいいって気づいてな、見ての通り効果バツグンだぜ」
快活に笑うアユムに、ケイは苦笑いで返した。
この少年には自分は絶対に勝てない、そう自覚した。
どんな時も諦めず、活路を見出し、先に進む、困った人が居たら見過ごせず、本当にヒーローみたいな、自分みたいなやつなんかとは全然―――ー
「おい」
そう思っていたケイに、アユムから聞いたことの無いようなドスの効いた声が放たれる。
「何ボーッと膝ついて休んでんだよ」
そのゴーグル越しの目は人のいいアユム君ではなかった。
アユムは左手でケイの胸ぐらを掴んだ。
「ケイ、オラコラ、テメー、俺は知ってんだぞ」
三流のチンピラのような啖呵をアユムが放つ
「この夜、この事態はテメーが原因だ、落とし前付けねえでどうすんだって聞いてんだよ」
その言葉に再び直前の絶望が蘇る、だが同時にこれは、望みを果たすチャンスでもあった。
「そ、そうだ、そうなんだ!アユム君…だから、前僕が言ったとおり僕を…ッッ!!」
「うるせーーー!」
アユムの右フックがケイの顎を揺らし、一瞬意識が飛んだ。
それをガクガクと胸ぐらを揺らす事で、アユムが呼び戻す。
「前ヤダつったろそれはよ、テメー話聞かねえでウダウダウダウダしつけえんだよ!クソッたれ!」
ケイは思った、なんだこのガラの悪いチンピラは、と。
狼狽えるケイを他所にアユムは叫んだ。
「おい、ケイ、篠原 敬!テメーと俺にはこの悪夢を終わらせる責任と義務がある!」
「あ、悪夢!?」
「そうだ、テメーが自殺の為につくった迷惑な悪夢だ!そのせいで無茶苦茶大変な事になってんだよ!」
この夜が悪夢であるということ、フルネームを名乗ったか?などという自問の間もなく、アユムは決定的な言葉をケイに叩きつける。
「兎に角!テメーは弟のマコトの為に本気になりやがれ!アイツはテメーの事待ってんだよ!アホタレ!」
マコト、
真、
篠原 真
その名に脳が疼く、いや、疼くなどという表現では足りない。
脳がその頭蓋の中でのたうち回った。
「あ、あああああああ!!!」
ケイはアユムに胸ぐらを掴まれたまま絶叫する。
この夢の中では決して開いてはいけない、記憶の鍵が開けられようとしていた。