既知《パニッシュメント》
「君には権利がある」
雨の降る暗い路地裏、店から出て来た男の一人にターゲットに絞り背後から強襲、姿も見せず事は運ばれていた。
俯せに倒れ伏す一人の男の首筋にはナイフ、体の数箇所に電撃による火傷の痕、そして浅く切り裂かれた傷痕。
ミツキは男に背に乗り低い声を出す。
「雨の中身動きも取れず失血死、抵抗を試みて喉を裂かれ即死、若しくは知っている情報を全て吐き今日のことは悪い夢だと忘れる」
「僕はどれでも良い」
お決まりの脅し文句、だが本心からの言葉、
「言う!言う!なんでも吐く!だから!」
だからこそ、それは男の体を硬直させる、必死の命乞いを引きずり出すだけの説得力があった。
「そうか、まず……」
ミツキはひとつひとつ問いを投げかけ、男が必死に思い出し答える。
長い時間が経ち、ビルの隙間から見える地平に曙色の光が見えた。
気を失った男を一瞥し、ミツキは次の手を考える。
「ダイイチの生徒か」
長い問答の末手に入ったのは、駅向こうの高校の生徒だという情報だ。
一度仲間に連れられ店に来て、一発キメて帰った。
その仲間は、ごくたまに店に出入りする、らしい。
「悠長に待つ時間は、多分無いな」
今まさに過ぎ去った夜の始めに直感的に感じたその結論は変わらず、足早にミツキは動き出す。
指先に触れた真実の断片が滑り落ちぬように。
――――――――――――――――――――――――――――――
アユムは思い出す。それはこの悪夢の中での最初の救出対象だった。
場所は学校だった。
二階の教室で、少女が掴まれる所を間一髪救い出し、ケイが腕を切断する。
そしてアユムは少女をケイに任せ、ネイルガンを連射しブギーマンを黒板に文字通り釘付けにする。
昨夜と同じ連携、それを二人は行った。
「ケイ!ここは俺が押さえる!行け!」
同じ動きをした、それは油断だった。
相手は成長すると判っていたというのに。
落ちた腕に釘を打ち込んだ、それで安心し目を離した。
少女の手を引くケイが教室から飛び出そうとする、その直ぐ側の壁面を釘付けにした筈の右腕が溶け出し、影の蛇となり奔っていた事に気が付かなかった。
「ああ!」
少女の叫び声でケイとアユムはそれに気づいた。
突如壁から飛び出した大口を開けた乱杭歯の蛇が少女に既に喰い付いていた事に、犠牲となった少女と目が合う。
そこには恐怖と絶望と――俺は彼女を知っている――長い黒髪のツリ目の、夢の中だからだろう、額を出すいつものヘアバンドはつけていなかった。
彼女の名前は――――――
「ハッ……ハッ……ハッ……」
夢から浮上するまでの一瞬の回想だった。
過呼吸、そして全身を冷や汗がまるでコールタールのように纏わり付く。
強烈な吐き気に襲われ、アユムは暁闇の部屋を飛び出しトイレに駆け込み、嘔吐した。
助けた人々は霧がかかったかのように一切を思い出せない、だが、その犠牲になった少女の顔や表情、声、全てが思い出せる。
「何かの間違いだ」
――――――――――――――――――――――――――――――
ミツキは帰らず、アユムはリーベと二人で学校へ向かった。
教室につき、アユムは周囲を見渡す。
居ない。
ただ、遅くなっているだけだろう、そう考えた。
アユムは俯いて、苛立たしげに自席で待つ、いつもは直ぐに過ぎるはずの時間が長い。
周囲もいつもと様子の違うアユムに声をかけることも、騒ぐこともできず、静かな朝だった。
「始めるわよー」
始業のチャイムと共に、先生が入ってきた。
ビシッとスーツを決めた小柄で真面目そうな新任の女教師で担任、いつもなら新任特有の抜けた部分が癒やしになっていたが、今はただその抜けがアユムをイラつかせる。
(早く、早くしてくれ)
いつの間に両手が祈るように机の上に置かれていた。
出席確認、順に名前が呼ばれる。
アユムは食い気味に応え、ただ、早くと思う。
早く、早く、
「フミ―――さん、は連絡受けてますね~、お休みです」
アユムは顔を上げた。
「今朝から急病で急遽入院みたいです。心配ですけど、急に押しかけたりしないでくださいね~」
アユムは呆然としてただ見渡した。
黒髪で、長髪で、いつも額を出すヘアバンドをつけ、ツリ目で、保健委員なのに委員長とからかわれ、ミナと仲が良い、少女は居ない。
ミナと目が合った。
酷く青い顔をしている。
きっとアユムはもっと酷い。
ブギーマンに捕まれば、目覚めることはできない。
だが、救う力があれば、ブギーマンから犠牲者を救い出す事ができる。
そんな単純な話ではなかった。
アユムはあの悪夢が真に悪夢たる所以を思い知った。
救い出した誰かは記憶はさせず、救い出せなかった誰かだけを記憶に刻む。
その絶望の表情を、その恐怖の表情を、自らの無力を、ただそれだけを。
報酬は無く、無力の罰だけを刻み続ける悪夢。
あの悪夢の主はヒーローになろうとなんてしていない。
あの悪夢の主は救いなんて求めていない。
あの悪夢の主は刑罰を自らに課している。
最初から疑ってはいた。
だがあれ程の善人が悪夢を産み出した理由は分からなかった。
今なら確信を持って言える。
悪夢の主は名も知らぬ相棒だ。
アユムは身震いした。
アユムはその刑罰に自ら名を連ねている。
そしてきっとこの恐怖も後悔も、あの夢に持っていく事ができない。
悪夢の中のアユムはまた失敗するだろう、その罪を現実のアユムが思い知るのだ。
それを止める術は無く、悪夢は繰り返される。
彼の求める地獄に果てはない。