木曜・夜《サーペント》
空に浮かぶ巨大な丸い月が四つの影を住宅街の狭い道路に縫い止める。
一つはアユム、一つはケイ、一つは彼に手を引かれる少女――アユムと同い年か年上くらいだ――そして。
アユムと向き合っていた巨体が真横に右腕を薙ぎ壁にぶつかると腕が水風船のように黒い水となり弾けた。
一見自爆だが、その水が壁面をそれこそ影そのものとなり背後のケイと少女へ伸びている。
「ケイ!そっち行ったぞ!」
「ああ!」
ケイは少女の手を離し、壁面から押しやると武器を両手で構えた。次の瞬間、その場に到達した影が巨大な乱杭歯の口腔となりケイに飛びかかる。
「うあ、ああああ!!!」
ケイはとっさに刀を振るう事を放棄し、横に構え左手を峰に添えその口への盾とした。
まるで大蛇の如きそれに刃が食い込み、吹き飛ばされそうになるのを必死に押さえる。
拮抗は一瞬、静止と同時に大蛇は更に力を込めケイを押し込み、うねる胴体を打ち付けようともたげた。
「アユム!」
「おう!」
アユムも既に動いていた、背負ったバットケースから金属バットを抜き出し、巨体の失われた右腕側から側頭部へ向けフルスイングした。
守る腕の無い肉体はその一撃でよろめく、だが、倒れない、左腕をアユムに向け伸ばす。
それもまたアユムには判っていた。バットを振り抜いたまま腕を掻い潜り次は右から首に向け振り下ろす。
左右から一発ずつ、計二発、頭部周辺への集中攻撃で首がパシャリと音を立てて吹き飛ぶ。
頭部を失い、巨体が膝をつくと同時に大蛇もその動きを止めた。
「逃げるぞ!」
アユムの声と同時にケイは少女の手を再び掴み、アユムもまた踵を返し駆け出した。
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電灯のつくガソリンスタンドの一角で二人は缶コーヒーを飲みながら休息を取る。
「ギリギリだったね……」
「んだな、対策が早えな、クソ!」
目の前のベンチには見知らぬ少年と少女の姿、今の所今日救出できた者たち。
ブギーマンは当然のように変化していた。
まず、腕の切断が意味を無くした。
切断された部位から影となり勝手に動き出す。
勝手に動き出された影はその後、戻るなり、移動するなりし、おそらくブギーマンの好きな形で実体化する。
そしてブギーマンは自ら腕を破壊し、これを巧みに使いこなす。
今日の一人目は、これでケイの手を握ったまま大蛇に飲まれた。
相手が二人になった途端に足止めに対する答えとして、自律行動し迂回までする新技を用意してきた。
その上、ケイの最大の武器であった伸ばされた腕の切断まで対策済み。
唯一の救いは、腕を失えば胴体がその分手薄になり、頭部を喪失させれば今まで通りダウンが奪える事だ。
「さっきバットで決めた感じ、薄々思ってたが頭部はそれほど変化できる部分じゃないみてえだ」
そう、アユムは缶の底に残ったコーヒーを飲み干し結論づけた。
破壊されても蘇り、木の洞程度の顔面しか持たないあの頭部にどんな意味があるかは分からないが、少なくとも行動するには重要な部位らしい。
「怪物に理屈を求めるのも変だけど、妙だね」
「ああ、妙だ、妙だが、いや、妙といえば、お前大丈夫か?」
アユムに唐突に向けられた心配げな視線にケイは怪訝な顔をする。
「大丈夫って?」
その声は、至って平静なそれ、だからこそ、アユムはあえて踏み込む。
「いや、最初のヤツ、お前の目の前で食われちまって、あのときスゲー取り乱してたからよ」
この夜最初の救助対象の少女、長い黒髪のツリ目の少女、彼女はケイの手の中であの口の先へ消えた。それは最初には予想だにしてなかった大蛇の不意打ちで、アユムはあっけにとられ、ケイは完全にパニックに陥っていた。
まさに閉じられようとした口に自分の腕を突っ込もうとしていたところをアユムが取り押さえ、無理やり引きずって逃げ出したのだ。セーフゾーンに逃げる途中もずっとぶつぶつと
『僕のせいだ、僕のせいだ』
と、呟いていた程に、それが今ではすっかり平静取り戻している、不自然な程に。
だが、その問に自嘲気味に顔を伏せ返した。
「いや、あの時はごめん、ただ、調子に乗ってたんだ」
「アユム君が来て、みんな救えると思っていた。だけど僕は取るに足りない存在だって、再確認したんだ」
「それにほら、僕は君が来るまでずっと一人でやってたんだ、慣れてるよ、もう大丈夫」
そう言って無理やり作ったケイの笑顔は不器用に歪んでいた。
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月も見えぬ小雨の夜、ミツキは五本目の缶コーヒーを飲み干し自らの足元の音を【魔法】で拾い続ける。
そこは街の繁華街、その外れ、【魔法】による社会不安によって倒産した中小企業の廃ビル群の直ぐ側のバーの屋上。
つまるところ、街でもとびきりに治安の悪い地域の境界線、法と無法の間にこそ情報が集まることをミツキは師匠に教えられていた。
飛び交う会話、それを一つ一つ拾っていく。
『天使の堕落の仕入先がどんどん潰されていく』
『ああ、あの頃はバンピーに捌けるくらいあったってのに』
『それより知ってるかあの噂』
『あのしょうもねえやつだろ?』
『ブギーマン』
ミツキは焦点を絞り、一言一句、その言葉を見逃さないように注力する。
続く既知の情報、レインコート越しに水滴が体温を奪い続ける中、ミツキはそんな不毛な情報収集を繰り返す。
『ブギーマン』『悪夢』『怪物』『帰れない』『ビビんなよ』『バーカ』
頭が痛くなるような会話、ループしている。
『そういや、誰だっけな、かなり前に来た客が言い出したんだよな、それ』
『へー、どんなビビリ?』
『一般客一般客、あー1ヶ月くらい前か?いきなり店内でキメてよ、そっからうわ言みたいにずっと言ってんだよ』
『あー、思い出した。ケッサクだってしばらくモノマネしてるヤツが居たな』
『ブギーマンが来る』『ブギーマンが来る』『何もできなかった僕を食べに来る』
『こえー!!』
同じ話が再びループする。
「一日目からとは、運が良いな」
雨の中張り付き、既に五時間が経過していた。
ミツキは点検する。ナイフ、スタンガン、拳銃、そして白い覆面。
詳細情報は直接お伺いするしかないだろう。
獲物はあの客か、店主か、慎重に対象を品定めしながら、ミツキはタイミングを見計っていた。
いつものように、蛇のように、ただ獲物を締め上げる為に。