たとえそれが自らを分かつものであったとしても
人は誰でも過ぎ去りし日を想うことがある。
輝かしい栄光の日々を懐かしんでみたり、或いは後悔の念に苛まれてみたり。そこにどんな想いを馳せるか、どんな気持ちを抱くかは多様であるが、必ず一貫することがある。
“ 想いはいつまでもそこに在り続ける ”ということ。
「ではこれより、川井田さんの主張整理を開始します。川井田さんは証言台へどうぞ」
「あっ……ああはい!」
「初めてのことで不安もあるでしょうが、ここでの判決に不服があれば申し立ても可能ですから、どうぞ気楽になさってください」
「はい……」
「さて、それでは――――」
川井田 邦弘、四十二歳。まだまだ働き盛り、それに妻子を養う身か……色々想うところもあるだろうに……おっと、あまり個人的な感傷に浸るわけにはいかないな。
「川井田さんのご職業は外科医とありますが、これに間違いはありませんか?」
「はい、その通りです」
「外科医、引いては医者と言えば人の命を救うことこそが生業であると、その様にも解釈できますが、あなたがこの仕事に携わる上で最も大切にしていたこと、或いは信念と置き換えても構いませんが――――それはどういったものでしょうか?」
「それは……」
さぁ、これだけ道筋をつけたんだ。当たり障りのない返答を頼むよ。
「今あなたが仰られた通り、一つでも多くの人命を助けることです」
「なるほど」
よし、よし。
「では川井田さんは何故、一つでも多くの人命を助けたいと考えるのでしょう? 医者と言えば比較的に高給取りと言えますが、あなたはお金の為にその道を選んだのでしょうか? 或いは、何か他の理由があってのことなのでしょうか?」
「………それは」
「それは?」
「私は幼い頃から裕福な家庭で何一つの不自由もなく育ってきました。欲しい物は手に入って当然、お金に困るということがこの世の中に存在するなどとは、つゆにも思わず生きてきました」
「ふむ」
「そんな考え方でしたから生活態度はやりたい放題。むやみやたらに威張り散らして多くの人を不快にさせ、もしくは不幸なものを味わわせてしまっていたかもしれません。本当に、本当に醜い人間でした」
少し雲行きが怪しくなってきたが……いや、もう少し様子を見てみよう。
「医者という道は親が敷いてくれたレールの上をただ歩んだものです。動機だってろくにありませんし、強いて挙げるなら地位や名誉、そしてお金になるからと言ったところだったように覚えています。もし私があのままで居たら、きっと今でも自分だけの為にこの仕事をしていたかもしれません」
「ということは、今はそうではないと?」
「……妻との出会いが、佐代子が私を変えてくれたのです」
「ほう」
よしよし、それを待っていたんだ。
「彼女は普通の人間でした。特筆するほどに美人というわけでもなく、裕福というわけでもなく。当時の私が見向きもしないような、そんな人でした」
「それが、どうして?」
「……あまりはっきりと明言するのは、その……少し恥ずかしいのですが」
おいおい、ここは君の印象をより良く魅せる場なんだから、恥も外聞も捨ててもらわないと……だが、まあ色々あるのだろう。少し手を貸してやるか。
「あー、そのあたりの事情は“ 資料 ”にありますから、詳細は言わずとも問題ありません。重要なのはそこであなたにどんな変化があったのか、それをあなたがどう感じたか、何を思ったかということです」
「私が……そうですね、“ 人の為に何かをする ”その意味と大切さを強く感じさせられました」
「では、その意味とは?」
「喜び………でしょうか」
「ほう」
「先ほど述べたように、私はろくでもない人間でした。自分が愉しければそれでいい、人の為に自ら何かをするなんて、周りの人間が何を想うかなんて考えたこともありませんでした。でも私のその愉しみや喜びは、誰かにもたらされたものなのだと。そして同時に、私もそれを誰かにもたらすことが出来るのだと、そう知りました」
「つまりだからこそ、全ては“ 誰かの喜び ”の為に、あなたは医者という仕事をしていたということですね?」
「ええ、そうです」
よし、これにて一件落着と言ったところだな。
「なるほど、よくわかりました。これにて川井田邦弘さんの主張整理は終了となります。あなたの“ 処遇 ”については話し合いの後、追って説明を――」
「あの………少し待っていただけますか?」
「川井田さん? どうかなさいましたか?」
「その……実は、私は――――」
「ふぅ~…………」
まさか過去に犯した医療ミスを土壇場で懺悔してくるとはな。あのままいけば、彼は間違いなく“ 天国行き ”だったものを……おかげで地獄の沙汰が長引いてしまった。今日は残業せず早くに帰ると伝えてあったのに……ああ、嫁さんまた怒ってるだろうなぁ………。
しかし、黙っていれば良いものを告白し、まさか自ら“ 地獄行き ”を志願するなどとは。
やれやれ、人間の我儘にはほとほと困らされるものだ。
どこまでいっても人は人のまま
たぶん
死んだことないからわかんない