95.曰く、前門の虎と後門の狼
トレイン──とは。
それはもうもの凄く曲解を加え、噛み砕いて言ってしまえば、 "大量の魔物が冒険者を追いかけている状態" のことを指し示す言葉である。
ハーメルンの笛吹のようなものだ。この場合、引き寄せられて連なるのは子供ではなく、魔物なのだけれど。
必死の形相で向かってくるのは、魔物ではなく、一人の男である。
銅色のドックプレートが、走って揺れる身体に合わせて、その首元で揺れている。
BからCが妥当と言われるこのダンジョンに、ランクDで訪れることは早々ないだろう。ならば、Cか。
血に塗れ、苦悶の表情を浮かべながら、男は必死に走って──こちらに向かってきていた。
「た──たすけ……!」
彼を追いかける魔物たちは死者である。
肉を叩きつけるような湿った音と、虚を鳴らすような声が、群れとなって彼の背後に、私達の目前に迫っていた。
死体に群がる蝿が、ゔ、ゔ、と厭な羽音を響かせる。
「脱出陣のある安全地帯に向かいます。……彼は、ついてきてくれることを祈りましょう」
「示すわ。……善き道へ導け!」
一見非情なようなジークの言葉は、どうしたって正しいものだ。下手に手を差し伸べて、こちらがやられてしまっては意味が無い。
ここで飛び出していって、シキミに何ができるのかと言われれば、何もできないと言う他ないのだから。
まるで見捨ててしまうような、そんな罪悪感に後ろ髪を引かれながら。シキミ達は、エレノアの魔法によって現れた、一本の光の線を追う。
行き先を示す糸のような光は、まるで、テセウスを導いたアリアドネの糸のようだ。
そうやってエレノアの先導に従いながら、何度か角を曲がったところで、先をゆく彼女が突然、ピタリと動きを止めた。
「……ッ、止まって!」
突くような鋭い声と共に杖を構え、突然の戦闘態勢を取った彼女の後ろ姿に緊張が走る。
道の先に在った──否、居たのは、蹲った二つ分の人影であった。
獣人だろうか、獣耳を生やした青年と、魔法使いなのだろう、杖を携えた青年。
ゆるゆると顔を上げた男たちの瞳に、理性の光は──もう無い。その代わりに獣の赤が、牙を向け唸っていた。
立ち上がった二人は、敵意のこもった視線で、シキミ達を見据えている。魔法使いの男が構えた杖が、にわかに不穏な輝きを帯びはじめた。
ジーク達と比べると、かなりお粗末な装備。お世辞にも、彼らを高ランクと考えられるようなアイテムではない。それなのに、彼らが纏う威圧感には、装備に似合わぬ力が渦巻いている。
「う、そ、なんで!?」
「馬鹿みたいな魔力……最悪ね。また魔化よ」
杖をひと振り。男の繰り出した、石礫が地面を割った。抉れた地面の破片が、シキミの肌に小さな切り傷を刻んでゆく。
広いとは言えない通路の中で、もうもうと土埃が舞って、シキミの視界は瞬く間に狭まった。
『…………マスター、本当に僕を使わないつもり?』
静かな、エヴァンズの声が頭に響く。
「……で……でも……」
『のう主。いつぞやの幽霊屋敷の帰り、覚えておろう』
突然、エヴァンズからニシキへと切り替わった声に、シキミは僅かに混乱した。
ただでさえ "前門の狂った冒険者、後門の魔物" という状況で、シキミの状況処理能力はパンク寸前なのだ。
「そ、それ、今言わないといけない!?」
『今でなくとも構わぬ。……が、なぜあの時言うてくれなんだと、主はきっと言うぞ』
「ぅ……聞きます!」
『……主が妾を置いて帰ったその後。主を襲った冒険者達は魔化……というのか? それをな、しよったのヨ。ちと異様なまでの変貌具合……あの物狂いの目……似ておるわ』
それは、正に寝耳に水の情報だった。
確かに噂では「似た事件が増えている」とは言われていた。だからまぁ、原因である何かが拡散しているという可能性を考えてもいた。
だが、ここまで頻繁に遭遇しているとなると、余裕ぶってアレコレ、可能性だ何だと推論している場合ではなくなってしまう。
「もう……いろんな人に広まりつつある……って、こと?」
『主がこの件についてどのような憶測を立てているのかは知らぬが……宝石商、無礼者、そ奴ら。妾の知る限りはこれが三度目ぞ」
じわじわと、心に恐怖が手を伸ばす。
脳裏に過るのは、エイデンと戦ったときのことばかりだ。
苦戦したとは言わない。だが、普通の魔物のように、圧倒的な戦いができる相手ではなかった。
あれが、二人。しかも、一般人よりポテンシャルの高い戦闘職。
そうでなくとも、大量の魔物が背後に迫っているというのに。
『彼らが負けるとは思わないけどね、五体満足、無傷で帰れるかは、わからないよ』
魔化した冒険者の、投げた何かが頬を掠める。
熱したような痛みが走って、触れればぬるりと濡れた感触。
目で追った先には、使い古されたダガーが一本。地面に突き刺さって、倒れた。
霞がかった視界の向こう。
ジーク達は押している、押しているが、圧倒的ではない。
素早く躱し、逃げる彼らに、手を焼いているらしい。
こんな狭い洞窟内では、満足に動けないのも、きっと理由の一つなのだろうけれど。
『マスターは、マスター自身と仲間のために、僕を使ったほうがいいんじゃないかなぁ?』
媚びるような甘い、だが真剣さを孕んだ声に、とうとうシキミは折れた。
小さなため息に、諦めを乗せる。もっと自分が強かったらいいのに。
「わかった、力を貸して」
『もちろん! ……ほら、喚んで?』
勝ち誇ったような声に、僅かな敗北感を得た。
しかし、命あっての物種とも言うし、仲間を傷つけてまで、意地を張りたいとも思えない。
それが例え、ほんの少しの怪我で済むのだとしても。
「神器召喚──贖罪の逆十字」
溢れだす光は、福音の光。
それは、祝福の予兆。
『いい子だ、マスター。──君に神のご加護がありますように』
取り出すフリで顕現させた、十字架を模した槍。
それは、繊細で美しい装飾の、背信の証。
金と白銀で彩られた、罪の形。
『とりあえず、この階層をなんとかしようね』
嬉しくて仕方がないと言わんばかりに、青い瞳をどろりと蕩けさせたエヴァンズに、シキミは、嫌な予感とやらをひしひしと感じていた。
神器くん絶対ストレス溜まってるよねわかるよ
またひたすらシキミちゃんが振り回されてるんですけど今後も振り回されます!!!
ここまで読んでいただきありがとうございました。





