80.曰く、嫌な予感と不穏な憶測。
「残念だけど、僕の所にそういったモノは回ってきていないよ。ただ──」
かしゃん、と陶器が触れ合う音がする。ソーサーに戻されたカップの中で、紅茶が小さく波打った。
その波紋は、じわりと空気を揺らす。
「近頃、突然人が狂う……そういう事件が増えている事は知っているよ。特に、治安があまりよろしくないところでは顕著だってね」
「魔道具が使われている可能性は?」
「判断しかねる……としか言えないかな。僕の所にそれらしい道具でも回ってきていれば話は別だけどね。でも、突然でしょ? 病気か、魔法か、魔導具か。大体その辺りじゃあないのかな?」
シキミは、紅茶の中で解けてゆく、白いミルクの帯を見つめていた。
ティースプーンで掻き回せば、やがて渦となって紅茶を濁らせる。
たった一滴の悪意が、人を変質させる。
魔法は、強くて恐ろしいものだ。それは人を、きっと、こんなふうに変えてしまう。
「失敗」という言葉を、あの夜シキミは聞いていた。
彼女がすべての原因──黒幕ならば、病気の線は殆ど無いと考えて良いだろう。
魔法か、道具か。何れにせよ、その裏に見え隠れするのは「実験」の二文字だ。
何者かが、あの少女が、この街を実験場にしている。
「他人を操作するような能力を持つ赤い石……と言って思い当たるものは、何かありませんか?」
「赤い……石……ねぇ。単純に考えればルビーとかガーネットとかだけれど。そうじゃないもんね?」
「可能性はありますけれど、量産には向かないでしょう?」
「あぁ、そういうこと。……それなら、アラクネの瞳とか、吉祥果の種とか、裏切りの証とか……? でも、どれも他人を操ったり変質させたりするような力はなかったはずだしなぁ~……ルイ、何かある?」
そう振られてルイは、思案するように瞳を泳がせた。
硝子越しの水色が、瞬きの度に揺れる。
「石……屍者の慟哭とか、ですかね。赤色ではないけれど、アレは魔力を溜め込む性質があるから、色が赤くなることも……なくは、ない……かも?」
「それなら確かに……。低ランクだから入手も簡単だものね」
「さっきカイユさんが挙げた石と違って、砕いたって使えっしな」
皆がうんうんと頷いたり唸ったりする中で、知識の無いシキミは、ちびちびとミルクティーを飲むしかない。
甘かったはずの紅茶は、少し酸化して苦さを増した。
「……市場の調査、してあげよっか」
「そう堂々と買ってくかしら?」
「屍者の慟哭を大量購入すること自体は珍しくもなんともないよ。閃光弾の素材にしたりとか、スクロール用の紙に練り込んだりするしね」
「あー、言いたいことはわかった。用途的にも、買ってく奴はいるけど限られる。そン中で」
「そういうものを作りそうにない人が大量に買ってたら怪しい、ってコトだね~。ま、相手もそれなりに隠してるだろうし、あんまり期待しないで待っててよ。一週間後、来るでしょ?」
屍者の慟哭という、石。
名前からしてもう、怪しさと共に危険な香りがプンプンする。……死人に口なしのはずなのだが、叫びはするらしい。
頭の隅に引っかかるような、その名前。シキミには、その陰気さ世界一な名称に、僅かばかり見覚えがあった。
一番初めに目にした、冒険者ギルドの依頼ボードに貼られていた様々な依頼。そのうちの一つ。
「…………『古代王の霊廟で、屍者の慟哭を採集してきてほしい。──できるだけ一度で大量に欲しい。』」
「シキミ、それは?」
「初めて依頼ボードを見たとき、目に付いたんです。なんて気色の悪いものを要求するんだ。そもそも慟哭を採集ってどうやるんだ……!? と思って、なんとなく覚えていて……」
「ランクは?」
「Cです。一個上がったら葉っぱ集めるだけじゃなくなるんだなって、それで……」
見る見るうちに、ジークたちの表情は険しくなってゆく。シキミ自身も、己の言葉を咀嚼して見えた、一つの可能性を知覚して蒼褪めた。
きっと、この場にいる誰もが考えている。
「珍しくもなんともない。それが必要な職人なり、店なりが依頼したたんだ……ってなると、なんとも反論の仕様がありませんけど。シキミさんの考えが全く以て間違いかと言うと……」
「ビンゴ、かもな。……ちょっと出来すぎちゃアいるが。ま、今んとこ一番クロっぽいよな?」
「そうですね。成る程、冒険者から買うなら、余計な詮索はされずに済みますからね」
「…………依頼者の詮索は御法度。本当に屍者の慟哭が使われていて、そこまで考え抜いた上で依頼をしたっていうなら……厄介な相手ね」
空気が徐々に重さを増す。
明確な根拠のない、机上の空論。深読みしすぎの、妄想だという可能性だってある。
──それでも、点と点は薄い線によって、微かに繋がれつつあった。
静まり返った一室で、パァン! と乾いた破裂音が響く。
思わずびくりとして視線を上げれば、カイユが手のひらを合わせ、のんびりと柔らかな笑みを浮かべていた。
「考え込んだって仕方ない。僕は僕の伝手が使える範囲で調べるから、ジークくん達はジークくん達の領分で調べてみないと、ね?」
「……ええ、そうですね。巻き込んでしまって申し訳ないのですが、ご協力いただけるなら」
「めったにない、精霊付きを触らせてくれるお得意様には、きちんと媚を売っておかないとね」
息子の代まで末永く宜しくね、と投げつけられたウインクに、ジークは小さく苦笑して頷いた。
悪い予感ばっかり当たる現象に名前欲しいですね。
商魂逞しい親子でした。100%善意の100%下心みたいな感じ。……………ちょっと違うな(自分の言葉に解釈違いを起こすな)
ここまで読んでいただきありがとうございました。





