77.曰く、いと小さき王。
ルイの父であり、『魔道具屋 ミネルヴァ』の店主だという男は、カウンターから身を乗り出すと「銀竜とはまた、派手な大捕物だったね」と言って笑う。
杏色の癖っ毛と、優しい顔つきはルイによく似て、その血の繋がりを思わせた。
左目部分には、ルーペなのだろう──不思議な機械が装着されている。黄土色の丸い機械の中央で、深藍のレンズがぎょろりと動く。
顕な右目は、鮮やかな若葉色。店内を一周した視線は、シキミの上でピタリと止まった。
「おや、新しい子が入ったんだね。──店主のカイユだよ、『魔道具屋 ミネルヴァ』へようこそ」
カイユと名乗った彼は、「それ、触ると蛙になっちゃうよ」と悪戯っぽく笑う。
それを聞いたシキミは、慌てて伸ばした手を引っ込めて、今後は陳列棚の半径六〇cm以内に近寄らないことを誓った。
そんなに危ない物を、気軽に触れられる所に置かないで欲しい。硝子ケースに入れて厳重に保管してほしい。注意書きもおいて欲しいし、そもそも棚に置かないでほしい……!
「……ウソだよ。いやぁ、可愛い子を見つけてきたねぇ」
「わっ……私の扱い……ッ!! いつも、いつもこう……!」
「あっはっは、ごめんね? ……じゃあ、ほら、テオくんの魔法剣の修理、見ていく? お詫びになるかな?」
「喜んで拝見させていただきます。よろしくお願いします!」
ほわほわと牧歌的なカイユさんの声に、嘘泣きじみた、私のゴミ以下の演技は即刻中断された。
「うーん。さすがジークくんのお仲間」
「その言われようはちょっと心外です」
大して損ねていない機嫌は、あっという間に正常値以上を叩き出した。満面の笑みの対応。我ながらチョロい。チョロいが……気になる!
だって魔法剣だ。ニシキではない、この世界由来の正真正銘の魔法剣! 持ち主はテオドールさん。ただの魔法剣なワケがない。しかもその修理ときた。
きっと普通の鍛冶とは違うのだろう、なんせ魔法剣。門外不出のホニャララがあってもおかしくはない。
故に、気にならないわけがない。至って単純明快。
──好奇心猫をも殺す? 何だそれは。聞き覚えがありませんね。
「じゃあ、奥へどうぞ。これぐらいの傷なら、そんなに時間はかからないと思うよ」
「もしよかったら、皆さんでどうぞ。あっ、お茶でも用意しようか?」
気を利かせたのだろうルイの言葉に、シキミは小さく頭を振る。
「お仕事をお茶菓子にしちゃうのは、ちょっと気が引けるというか。……その、もしいただけるのであれば、見学させてもらった後……でも良いですか?」
「もちろん! じゃあ、一等にいいのを出しますね。いい茶葉が入ったんだよ〜」
「楽しみにしてます!」
そんなこんなで通された先、作業場らしいその場所は、思ったよりもこじんまりとしていた。
中央には、棚に囲まれた小さな作業台の机がぽつんと一つ。
壁に沿って、生えるように据え付けられた棚の上には、原石そのままのような、ゴツゴツとした鉱物や、丸底フラスコの中に入れられた、色とりどりの液体。何のものか検討もつかない、鱗や、羽や、乾燥させた草花に水晶玉。
その光景は、道具屋というより、やっぱり魔女の家っぽい。
てっきり、鍛冶場でもあるのかと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。
熱気とは縁遠い、語らぬ物質の沈黙が室内に充満していた。
「……さて」
カイユは、机に剣を置くと、棚の中から鉱物を幾つかと、雑多な素材らしきモノを幾つか下ろし、剣の周りに並べだした。
その並びには、法則も意味も、あるのかないのかわからない。
「じゃあ、見ててね」
すう、と息を吸い込む、小さく空気を鳴らす音。
両手を翳すと、芯のある力強い声が、鼓膜を震わせた。
あの、砂糖菓子のように甘くて柔らかかった声が嘘のようだ。
「汝が心臓は、燃える石炭」
その声に応えるように、大剣の周りが──否、剣そのものが、次第に朦朧と、赤く発光し始めた。
「いと小さき王よ、我が声を聞け」
詠唱は続き、風が巻き起こる。
剣を中心に起こる竜巻のようなそれに、カイユの髪は巻き上げられ、逆立っていた。
「我が声を聞け──聞き容れよ」
剣は一層光り輝き、さっきの暈けた光が嘘のように強い光となって部屋を埋め尽くす。
「我が声を聞け──焔獄の大剣!」
呼びかけに応えるような、一層眩い光。その、光の奔流が視界を塞ぐ。
真っ白になった世界の中で、バチン、と空気が弾ける音がした。
『んもぉ〜ッ! テオってばレディーの扱いがなってないのだわ!』
閉じた瞼の向こう、幼い少女の声が響く。
不満げな、拗ねたようなそれは、鈴のように軽く愛らしい。
──少女?
ゆっくり瞼を押し上げて、漸く開けた視界の先。
作業台に置かれたテオドールの大剣と、うっすら滲んだ汗を拭うカイユの姿が目に入る。
そして、その隣。
燃える髪の少女が、作業机の端に腰掛けていた。
「な、なんか、出た……!?」
『あら、アンタ私が見えるのね? カイユ、お弟子さん?』
「僕と息子以外で見える人は初めてだよ、サラマンダー。……凄いねぇ、弟子になる?」
「……?? いやなりませんけど!?」
燃え上がる炎の髪。形を変えユラユラ揺れる、焔の姿。
幼い顔立ちは、しかし見事に整っていて、真紅の双眸は真っ赤な瑪瑙のようだ。
炎に彩られた赤の中で、幼い体躯に一糸纏わぬ、抜けるように白い肌が際立つ。
いやらしさは感じない、ただ、美しい夕陽を見たような感動だけが胸に押し迫る。
これは、原始に対する畏敬の念。自然に対する畏れの気持ち。
人の持つ本能が、静かに頭を垂れている。
自信に満ち溢れ、些かプライドも高そうな彼女は、やや盛り上がりに欠ける胸を反らし、フンスと鼻を鳴らす。
『私は、炎の大精霊サラマンダー! この剣がただの剣でなく、素晴らしい魔法剣である所以は、この私にこそあるのだわ!』
その堂々たる自己紹介に、シキミはややたじろぐ。
だって、剣から精霊が飛び出すなど、まるで神器たちのようで。……ただ、そのシステムは、ちょっとばかり気になるところである。
──そう。神器たちのような……?
ふと振り返ってみれば、パーティーメンバー三人は、何事かと首を傾げていた。
「女の子、見えません……?」
「? ……あぁ! 精霊が見えているんですね。残念ですが、俺達には見えません」
「えっ? テオさんにも? 持ち主ですよね?」
「持ち主だからって見えるわけじゃねぇだろ」
「エッ」
それなら、やはりこの魔法剣という存在……いや、まだ魔法剣全般が精霊持ちと決まった訳ではないのだから、少なくともこの『焔獄の大剣』は、と言うべきか。
──『焔獄の大剣』は、神器とは違う。持ち主に干渉する存在ではない。
「──そう、皆が皆、精霊を見ることができるわけじゃないんだよ」
君はちょっと特別みたいだ、とカイユは微笑む。
『その瞳のお陰なのだわ。曖昧な、外世界の瞳。境界の瞳。定義されないから、何でも見る。……アンタは、見たいものを見るのだわ』
「この……瞳が……?」
アバターを設定し、カスタマイズしていたときに選んだこの瞳に、そんな……見たいものを見る能力なんて、そんなものがあっただろうか? 確かに、課金アイテムではあったような気がしたけれど。
少女は机の上、剣の真上にすっくと立つと、腕を組み、シキミを覗き込むように屈む。
『お馬鹿さん。何を考えてるかはなんとなく察しがつくし、だからこそ、アンタが何を言いたいのかはさっっっぱりなのだけれど。──変質、しているのだわ。答えは、多分 "変質" で合っているはず』
「変質……」
『変えられた……? いいえ、変えてもらった……貰ったのね、それ。大事にするのだわ』
呆然とするシキミを他所に、少女──炎の大精霊サラマンダーは、その場で大きく伸びをした。
長い髪が蜷局を巻いて、机の上で燃え盛っている。
『そんなことよりも、早く直してちょうだい。テオったら乱暴にするから、腰が痛くて仕方ないのだわ!』
「仰せのままに。ちょっとまっててね」
テオドールの知らない場所で、聞く人が聞けば盛大な誤解が生まれそうな、意図せぬ爆弾発言が飛び出していた。
もう一度振り返れば、何も知らない彼が暢気に、物珍しそうな視線をあちこちに投げかけている。
「……うん」
シキミはそっと、聞かなかったことにした。
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そういうこと。
ここまで読んでいただきありがとうございました。





