74.曰く、瑠璃の瞳。
月明かりに照らされて、幾分か彩度を落とした長い髪が、屋根から屋根へ。遥か遠くへ消えてゆくのを、エレノアは凝っと見つめていた。
子供でもないのだから、心配することもない。放っておけば良いだけなのに、何故か心は浮ついて落ち着かない。
暫く、部屋の中を行ったり来たり。時折窓の向こうを見つめては、溜め息を吐いたりなんかして。
何度かそれを繰り返して、あまりの馬鹿らしさに思わず頭を抱える。
「あー……もうっ。…………勇者の王冠!」
流れ、霧散する小さな魔力。ほんのちょっと背中を押すだけのこの魔法は、魔法というよりおまじないに近い。だが、きっと彼女に届くだろう。
支援魔法の正確さは、エレノアの強みの一つなのだから。
初めて彼女に会った時。ギルドの机にたむろっている所を見た時は、驚いた。
見慣れた二人に囲まれて、オロオロしている姿は、何だか酷く頼りないモノに思えてしまって。
とても、希薄だったのだ。
気配、存在、立ち居振る舞い。色んなものが素人臭くて、無垢で、少し浮世離れしていて、変わっていて──そして、やっぱり薄かった。
思わず覗き込んだ、彼女の長い前髪に隠された瞳には、夜の空が煌めいていて。そこには、一切の曇りが無かったものだから。あぁ、また彼の拾い癖が出たのね、と静かに察した。
目は、嘘をつかないものなのだ。
汚泥に塗れた世界から、いつの間にか拾い上げられていて。それからは、エレノアにとってジークは父であり、兄であり、師であり、憧れだった。
彼にとって一番目の、拾い物の私。
拾われて暫くしてからは、テオドールという弟分まで拾ってきて。その頃漸く、ジークという人間の "収集癖" に、モノとヒトの区別がないことを知った。
彼自身にも、その選別の基準はわからないらしい。だが、彼が拾ってくるモノに、悪いモノは無かった。
寧ろ選ぶのは良質な──良質過ぎるモノばかり。……もちろん、自惚れるようだが、自分だってその一つであると信じているし、逸品であるという自信もある。
これを、本能で選んでいるのだとしたら……それはきっと彼の才能。
だから今回も、彼女を拾って世話をするという、彼の選択に間違いは無い。
だからあの時──この "鳩ノ巣" の前で、ちょっとした意地悪を言ってみせたのは、本当にエレノアの我儘と傲慢だった。
己の瞳は、朧気な善悪を視る。
害、無害を視る。
大して当てにならない才能。占いのようなもの。……だけど少しだけ、それに頼ってみせた。
結局、結論から言えば。彼女はやっぱりまっさらで、文句の付けようが無いくらいに無害だった。
この瞳に映るのは、変わらず輝く不思議な星空の瞳と、汚れきった少女だけ。影も、ブレも、歪みも無く。少し怯えながら、真っ直ぐに立つ少女だけ。
この不思議な生き物が、本当に新しい仲間になって、更にパーティーまで作ってしまったのだと思ったら、途端に愛おしくなってしまった。
そう簡単に、身内以外の他人を信用なんかしない……と、そう思って生きてきた割に、中々どうして呆気無い。
堅牢だと思いこんでいた、城塞の陥落は早かった。
「あ~あ。こんな事でやきもきしちゃうなんて、馬鹿みたいね……はぁ」
言われたらついていったのに……などという恨み言は、影に潜んだ密偵さん以外は聞きっこないだろう。
ベットに身を横たえて、静かに目を閉じる。
街に魔力を張り巡らせて、駆けていったシキミを追いかけようとして──やめた。
ジークの選んだ子だ。何をするつもりかは知らないけれど、大丈夫。きっと上手くやるわ。
口元に、ゆるりと笑みが浮かぶのを、エレノアは隠さなかった。艶めかしい唇は、弧を描いて止まる。
勇んで飛び出して、タダで帰ってくることは……まぁないだろう。一体どんな事件を引っさげてくるのやら。
ここしばらくなかった高揚感に、改めてジークの慧眼を知る。
──きっと、明日から忙しくなるわ。
ゆっくりと夜の中に意識を溶かして。エレノアは多分、幸せな夢を見た。
「勇者の王冠 (ウィルトス・コロナ)」
対象者に小さな勇気を与える魔法。
少し背中を押すだけの、初級中の初級魔法。
だが、その小さなひと押しが、大きな一歩につながることもあるのだ……ということを、術者は忘れてはならない。
ここまで読んでいただきありがとうございました。





