73.曰く、赤錆狼の晩酌。
夜の中へと飛び出してゆく気配に、テオドールは静かに目を開いた。
酷く後ろめたそうなそれは、不安そうに揺れていて。窓から見送った後ろ姿は、長い髪が靡いて、文字通り後ろ髪を引かれているようだ。
「最近治安良くねぇって聞いたけど……ま、嬢ちゃんなら平気かな」
「随分と信頼してるんだな」
月明かりの差し込まぬ、部屋の奥。隅に固まる闇がぞろりと蠢いて、人の形を取る。
細身だが、均整の取れた身体。聞き覚えのある声と、闇で光る翠の目──。
覚えのあるその姿は、シャウラと同じく魔の牙に所属する傭兵……というよりも、彼はどちらかというと暗殺者だ。
「よぉ、今度はお前が来てたのか? シェダル」
「シャウラがいて、俺がいないわけがない」
「ハイハイ、そうですねっ……と。──飲むか?」
「仕事中」
空間収納からグラスと適当な酒を出して、注いで差し出せば断られてしまった。
仕方がないから、己の喉を潤し、楽しませることに使う事にする。
水のように透明な液体は、ロックグラスの中で小さく波打つ。氷も入れずに流し込めば、焼けるような熱さの後に、爽やかな香りが鼻に抜けた。
「お姫様はいいのか」
「姫ェ? お前……あれが姫に見えるか?」
「おい、怒られても知らないぞ」
呆れたようなシェダルの声に、思わず笑ってしまう。
姫と言うにはあまりにもお転婆で、騒がしくて、どこか抜けていて、慌ただしい彼女の事を、己は随分と気に入ってしまったらしい。
「大丈夫だ……俺と打ち合った。チンピラ如きじゃ手も足も出せねぇよ」
「……へぇ」
打ち合ったとき──成り行きで付き合った、薬草採集でのひとコマは、昨日の事のように思い出せる。
蕩けたような瞳が、静かに凍りついてこちらを睨めつけた、あの痺れるような感覚。
繰り出した刃の冴えは、一般人が──しかもレベルが1だなどという状態で、到達できるものではなかった。
彼女のその妙な強さは、未だ解けぬ出自の謎を残した……が、しかしそこに不快感は無い。
解けても解けなくても、大した違いはないだろうと、最近はそう思うようになっていた。
絆されたのか。……まぁ、絆されてもいいだろう。
切っ掛けは、多分ない。
エレノアが認めたからか、刃を合わせたからか、それとも別の何かなのか。
ひょっとしたら、ジークが拾ってきた時点で、もう大して疑う気持ちなんぞ残っていなかったのかもしれない。そんな些末事、存外どうでもよかったりする。
最初はあんなに警戒していたというのに、人間とは不思議な生き物で、移り気な生き物であるらしい。
シェダルは「信頼」と言ったが、テオドールの心に湧き立つ感情はむしろ、幼い妹に向ける庇護欲のような気配を漂わせていた。
一般常識にすら首を傾げ、目を輝かせてみせるあの様は、なんとも形容しがたく。端的に言えば「毒気を抜かれる」のだ。
素性がはっきりしないのはお互い様──というより。正直な話、ジークの方がよっぽど謎だ。
白銀の糸のリーダーであり、幼い己を拾った父であり、剣の師であり、頼れる兄であり、少し天然な弟である彼のことを、一体どこまで知っているかと言われれば、きっと言葉に詰まるだろう。
エレノアだって、”自分が拾われる前にジークに拾われていた女” であるということ以外は、大して知らないわけで。
そんな自分達でも、何だかんだでやってきている。今更騒ぐのも、馬鹿らしいといえば馬鹿らしいのだ。
「警戒を解くのが早すぎるんじゃないのか。相変わらず」
「オカゲサマでお前達とも仲良くやれてッから、いいんだよ」
「結果論か」
「難しいことは考えねぇの」
呆れたようなシェダルの目線を受け流し、そのうちお前らもこうなるよ、と笑ってみせる。
警戒しているのが馬鹿らしくなるのだ、これで裏切られていたら……何から裏切られるのかはわからないが、もし、彼女が何かしらの敵勢力なのだとしたら。その演技力に白旗を上げざるを得ない。
ふと、隣の部屋から漏れ出した魔法の気配と、小さな詠唱の声に思わず苦笑する。
姐さんはどうやら、辛抱堪らなかったらしい。
「…………白銀の糸の連中は心理戦に弱いのか?」
「冗談。あの子が変に特別なんだよ」
「左様で」
「人のことばっかり言ってッけど、お前の上司んトコの天使君は半分こっちだぜ」
その言葉に、シェダルの目が細められる。
「冗談」
心底馬鹿にしたような、軽蔑の色を含んだ声は、感情を出さない彼にしては珍しい。
「簡単そうに見えるが、リーンハルト以外に懐いているところなんて考えられない」と言わしめた彼は、その癖、意外と打算のない一言に弱いらしい、と言ってやれば小さな舌打ちが一つ。
「アレは人間絆し機か何かか?」
「お馬鹿さんなんだよ」
計算もなく、裏表もなく。素直で無垢で、危なっかしい。
時々、的を射たような説教をかまして、萎れて。
「馬鹿な子ほど可愛い……ってな」
もう一度、喉に酒精を叩き込めば、シェダルの姿は消えていた。
彼が立っていたところには、ご丁寧に『お前が馬鹿』と、黒々とした影の粒子で記されている。
暫く浮き上がっていた文字は、やがて崩れて消えていき、部屋はまた静かになった。
「お前もその内わかっちまうかも……なんて」
きっと、明日の朝から忙しくなる。
空いたグラスを枕元に、テオドールは再び目を閉じた。
MKコンに参加させていただいていたんですが、一次通過しておりましたー!やった!!
かなり狭き門だったのでビクビクしっぱなしだったんですが応募してみるもんですね。
さてさて、ちょっと転換期ということでお話毎に視点が変わってしまっていて申し訳ないようなそうでもないような(は???)
ノリで楽しんでください(懇願)
ここまで読んでいただきありがとうございました。





