71.曰く、軋む歯車、廻る運命。
魔法のランプの炎は揺れない。
ジークを含めた数メートルを、その光が柔らかく照らす以外は、夜の闇が押し迫っていた。
息せき切って現れたシキミは、そんな夜の中に立っている。
「人は本当に魔化しないんですか」という彼女の声には、諦めに似た確信がこもっていた。
「どちらとも言えません……としか俺には言えません」
「全く無いとは言えない……ということですよね?」
「そうなりますね」
人は魔化しない。
その人間至上的な考え方の根拠となるものは、その実「今まで前例が確認されていないから」という曖昧な認識であって、それは決して "真実" ではない。
人は本当に魔化しないのか? という疑問に対して、曖昧な答えを返さざるを得ないのも、当然といえば当然の話なのだ。
「私、屋敷の記憶を見ました」
「……屋敷の記憶を……? 面白い事をしましたね。……それで?」
「マッティアさんの事も、エイデンさんの事も。人為的な──いえ、あれが人ならですから……作為的な。裏で意図を引いている何者かがいます」
「糸を手繰る人が見えた──?」
はい、と応える声は小さく震えて零れ落ちた。
あの幽鬼じみた少女を、果たして何と言ったものか。
「それに、道中、衛兵の動きが鈍いと聞きました。……人が突然暴走する事件が多くて、瑣事には手が回らないと」
「マッティアやエイデンのように?」
「はい。暴走して…………死ぬと」
「……それはまた、明らかに怪しいですね」
「王都近辺でこんな事件が多発するなんて……私でもわかるぐらい、嫌な予感しかしません」
人を魔化させる事で、誰かがこの国の──あるいは世界の混乱を狙っているのではないか。
それが、シキミの見出した結論だった。
勿論 "可能性が高い" というだけである。とんでもない妄想だと言われてもおかしくはない。でも、あの少女を見てしまった以上。シキミには、そんな大それた思惑を、思い違いだと切り捨てることはできなかった。
「──話は聞いた。それが本当なら、俺達のボスが懸念していた事が起きているということだ」
「ヒェ!?」
それは突然かけられた耳慣れない声。
光の届かぬ暗闇の中から、男が一人。まるで影から生えるように現れた。
腕を組み、柳眉を顰めたその姿は悩ましく。迸る謎の色気に、シキミは状況を忘れて硬直する。
なんだってまた、こうも次から次へと顔のいい人間が湧き出すのか。それともこれが異世界の標準装備なのか?
横道へと逸れかけた思考は、至って真面目な……深刻さを滲ませた男の声で引き戻された。
「下手をすれば国家転覆……いや、国どころか世界がひっくり返る。白銀の糸には、本格的に助力を頼みたい」
その言葉に、ジークはいつも通りの笑みで返す。
向かい合う男二人の間で、空気が僅かに張り詰めた。
「俺は仲間の命を、国のためと言って捨てるつもりはありません。……貴方達と違って、俺達は冒険者。正直な話、義理もなければ義務もない──その気になればどこへなりとも」
「それは重々承知しているつもりだ」
酷く冷たく思えるようなジークの声は、見定めてやるとでも言わんばかりの真剣さを帯びていた。
一つ頷いた男は、でも、と言葉を濁す。
狡猾な、猫のような瞳孔が、真っ直ぐジークを射抜いていた。
「脅すようで気分は乗らないが、国が潰れればこの店も潰れる。経営者は無傷で居られるとも思わない」
「……鳩ノ巣が人質ですか……? 困りましたね」
「悪いな。でも事実だ。それに……そこのお嬢さんが言う事が確かなら、コレは何も国内で済む話じゃない」
「……と、いうと?」
「恍けるな。わかっている癖に」
暗がりから完全に姿を現した彼は、足音も立てず、ジークの眼前に立つ。
仮面でも貼り付けたかのように、その美しい顔に笑みが浮かべられる。
「──戦争だよ」
歪む口元から発された、たった一つの言葉。
その重さは、重力を伴ってシキミの胸に落ち込んだ。
わかってはいた。否、薄々察してはいた。
だが、改めてそれを言葉にされてしまうと、怖気づく心を隠せない。
「逃げても無駄だと……?」
「当たり前だ、Aランク。遅かれ早かれ、どこかの国に捨て駒として駆り出されるのは目に見えてるだろう」
「……それも、そうですね。さて……どうしましょうか」
「そ、こで私に振りますか???」
男に向けたときとは少し違う、真剣だけれど、優しさの含まれた黒い瞳が凝っとシキミを見つめる。
貴女が決めて良いですよと、そう言われているような気がして、思わずごくりと喉が鳴る。
それは、信頼の現れですか。
それとも、逃げても良いよって、言ってくれているんですか。
怖いから嫌だと言えば、多分、彼はこの話を断ってしまうだろう。そうして、戦争になったらなったで、素知らぬ顔で生活してしまえそうだけれど。
──だけど。
「影のお兄さん。ひとつ、聞いてもいいですか」
「答えよう」
「その "懸念" には──魔王が関わっていたりしますか」
シキミが考えていた、事件を突き詰めた先の "可能性"。
影の男は、少し驚いたように目を瞬かせる。
「どこでそう思ったのかは知らないが。無関係ではない……としか言えない」
脳裏を過るのは、神器達の言葉。
いつか私は、魔王に関わることになる。
それは "必然" なのだと……彼らはそう言った。
だとしたら、私が言うべき言葉は一つ。
「ジークさん。…………お受けしましょう」
「わかりました。では」
「あぁ……ボスに伝える。後日また、迎えを寄越す」
数歩下がり、ランプの光から抜け出した男は、影に紛れてあっという間に消えてしまった。
ぽつんと残されたシキミは、未だ光の外で佇むばかり。
「どうして、受けようと?」
「どうして……」
この店が無くなってしまうのは、嫌ですから。
そう言った私は、きちんと笑えていただろうか。
言い訳じみた言葉に隠した、私の怖がる心を、きっと彼は見透かしてしまうけれど。
きっと、見て見ぬふりをしてくれる。
どれだけ怖くても、これが無くした私の手がかりになるかもしれないなら、少なくとも私は逃げるべきではない。
誰かの犠牲の上で、のうのうと生きるぐらいなら。
戦える私は、きっと立ち向かうべきなのだ。
敵に。
魔王に。
運命に。
私は──
「戦わないといけないような、気がするんです」
光の中で穏やかに微笑う人。
彼が差し出した手に、シキミは導かれるように一歩踏み出す。
「困りましたね、重い選択をさせてしまいましたか?」
「いいえ──いいえ!」
手を伸ばして、握った手のひらに近づいて、そっと自分の頬に当てる。
手袋越しの柔らかな体温が、騒々と蠢く心を凪がせてくれるような気がして。
どうしてか、泣きそうになっている自分に気がついた。
馬鹿みたいに不安で仕方がない。
あの少女と──透けて見える巨大な悪意と。これから立ち向かって、戦わないといけないかもしれないだなんて。
だって、魔物を倒して、ご飯を食べて、なんだかんだでずっと、ヘラヘラと笑って暮らしていけるような気がしていたから。……だから。
「……こういう時どうすべきか、俺にはわからないのですが」
「このまま、暫く……居させてください」
「えぇ、俺の手で良ければ、幾らでもお貸しします」
夜はまだ深い。月は白々と輝いて、太陽の出番を待っている。
逃げればいいのに。でも、逃げた先にある罪悪感と向き合えるほど、結局私は強くない。
だからこうやって、ちょっと縋って、無言の内に強請ってみせる。
「平気だよ」と言ってくれ。
「間違っていない」と言ってくれ。
あなたの体温に、私はそれを見出すから。
「良い判断でした。シキミ」
「……は、い」
その言葉に、零れそうになる涙は、ぐっと堪えた。
泣くべきじゃない。この人の前で、泣くべきじゃない。
真っ黒な瞳とかち合った。波一つ立てぬ静かな黒が、揺れる私を見つめている。
嗚呼、もし、運命の歯車というやつがあるのだとしたら──。
どこか遠くで、何かが軋む音がした。
相変わらず抜歯部分は痛いです。泣いてる。
柳眉って、女性用の言葉だったと思うんですけど。まぁ〜〜〜仕方ないね。柳眉は柳眉なんですよ。(は???)
ついでに言うと恋愛偏差値ゼロなので書きながら「すっげぇいちゃつくじゃん!?」と思ってしまった。懺悔。360度どこから見てもいちゃついてません。
P.S.
第58話に挿絵がつきました!
提供は友人(宇宙塩)さんから。
ありがてえ〜! もう読んだ? いやいや……神絵師のイラストだけでも見に行ってくれ……。
ここまで読んでいただきありがとうございました。





