70.曰く、暗闇街道散歩道。
脇目もふらず駆けてゆく主の、長い亜麻色の髪が尾を引いて、視界から消えていった。
後に残されたのは、呆然と彼女を見送る男達と、彼らに刃を向けたままの己。
男達は、暫し時が止まったように硬直した後、ゆっくりと顔を見合わせる。やがて惨劇の太刀から逃げるように、降参とばかりに両手を上げて、ジリジリと後退しだした。
浮かぶ刀を相手に、パントマイムでもするかのような姿は道化のようで面白い。……彼らは彼らなりに必死なのだろうけれど。
「……ったく、何だありゃ」
「冒険者っスよ、兄貴。銅のプレートがチラっと」
「ハァァ……これだから冒険者はイヤなんだよなぁ!! ロクなやつがいた試しがねぇじゃねぇかよ!」
「まったくだぜ……」
「魔法剣置いてくとか……取ろうとしたらバチンだろ? どうせ」
「触んな触んな、死にたくなきゃヤメとけよ」
小金せしめようとして命狙われたんじゃ世話ねぇや、と叩く軽口は、命の危険が去ったからなのか心持ち軽やかだ。
浮かんでいた下卑た笑みは、今や跡形もなく。
可愛い主に無礼極まりない狼藉を働いたのは許しがたい……が。
この様子では殺る気も削がれるというもの。
追うなら別だが、ここで尻尾を巻いて逃げるなら良しとしよう。
殺す理由がなければ、ニシキとて無用な殺生はしない。
それに何より、可愛い主が厭と言うなら……否、許して見逃してやれと言外に示すのなら、そうするのも吝かではないのだ。
一度出てしまえば、追加で魔力を使わない限り、彼女の魔力を浪費せずにある程度は動き回れる。
男達の監視と足止めに徹しつつ、機を見て主の元に帰れば良いだろう。
通りから一歩外れたこの場所は、どことなく饐えた臭いが垂れ込めている。所々に積まれた何かの残骸が、所謂スラムと呼ばれるのであろうこの場所を、一層鬱々とさせていた。
文句を垂れつつ夜の中へと消えてゆく彼らは、またこの塵芥溜めで、何かを求めて彷徨うのだろうか。
──蝿の羽音が、煩わしい。
小さく振動する羽音は、この場所の不潔さを示しているようで、あまり快くない。
見届け終わったなら、早く帰ってあの子を愛でよう。
……そう思ったのも束の間。
僅かに空気の質感が変わる。
ざらついたその気配は、ニシキをして僅かに周囲を警戒せしめた。
ふと、それまで和やかだった男たちの動きがピタリと止まったのを感じ、ニシキは刀を構えたまま、一歩後退する。
実体の無いこの身が、地を踏みしめる音が聞こえた気がした。
「オイ、兄貴大丈夫……ガ……ッ!」
「は?……お、おいどうし──!!」
為す術もなく、地面に叩きつけられた男達は、一体どこを潰され、叩きつけられたものか。息も絶え絶え、虫の息となって転がされていた。
「何ぞ──!?」
ぐらりと大きくかしいだ男の身体が、次の瞬間、ニシキの目前まで迫ってきていた。
大きく薙ぎ払われた手には、粗末なナイフが握られている。
「──は、物狂いか。……それとも何じゃ、モノノケか? 生成りか?」
一歩下がった鼻先で、ナイフの切っ先が風を斬っていった。
大きく開かれた瞳孔は、縦に長い、蛇のよう。
化生の類であれば遠慮はいらぬよナァ、と口元に浮かぶ笑みから、白い牙が覗いた。
白銀の刀身に、ニシキの白い指が添えられる。
はっ、と小さな吐息が空気に混じるよりも疾く、刀の鋒が男を穿とうと牙を剥いた。
「っあ゛……痛い゛……イダイィ゛イ゛……!!」
惨劇の太刀は、血を纏うほど美しく光る。
男の肩口から、ぬらりと血に染まった美しい刀が生えている様は、奇妙なオブジェのようだ。
静まり返った空間の中で、男の荒い息遣いだけが響き渡る。苦痛に歪んだ男の顔の、瞳は未だ悪意に紅く燃えていた。
蝿は相変わらず、チラと視界に映っては煩わしい羽音を残して飛んでゆく。
どちらも酷く気に触るものだ。
「揃って主との逢瀬を邪魔立てか? フン、共に虫けらか。……良い度胸ぞ……」
「ア゛……ア゛ぁ゛……あの……女ぁ゛っ、コロ……殺すゥ゛」
肩から引き抜かれた太刀は、甲高い鍔鳴りの音と共に鞘に納められる。
ざわついていた空気が、一瞬にして濃密な殺気で塗り替えられた。
「……妾の可愛い主を殺す、とな?」
「魔法剣如きがァ……邪魔、してンじゃネえェ゛!」
目にも止まらぬ斬撃が、見えぬはずの精霊に向かって伸ばされた、男の腕へと吸い込まれてゆく。
ニシキの鉄靴が踏み出された時、腕は、その美しい断面を夜の闇に晒していた。
「……げに浅ましきよナァ──ふふ、愚かしきは囀らぬが吉よ。その首、野風には晒したくなかろ?」
ゆらり、とその白刃は月光に照らされて、尚更に艶かしく、ただ屍のみを望んでいた。
金の瞳が、その中で小さな火花を散らしている。
「妾の愛し子を害そう等と……! 笑止! 笑止!!──妾が許すものか! そのようなこと!! 決して!! 妾がさせぬ。妾が許さぬわッ!」
激昂した叫び声と共に、一閃、二閃と刃が煌めく。
その度に、青白い光の下で、ドス黒いような血が吹き上がった。
悲鳴も上がらぬそのうちに事は済み、やがて動くものはなくなって。ニシキはその、無様な死体を目の前に嘆息する。
「霧の……のう、霧の。聞こえておろうが」
「……あぁ? どっちの霧だァ?」
虚空に呼びかけた声に、気怠げな声が返された。
「妹御のほうぞ。ヌシは融通が利かぬゆえ厭じゃ」
「アァ? 死人が偉そうにしやがって。……面倒臭ェ。俺で我慢しなィ」
路地裏の、さらに奥。闇を煮詰めたような暗闇から、生白い腕がにゅっと伸びる。
僅かに藻掻く様な仕草をして、暫く。
やや幼い顔立ちの青年が、声に違わず心底面倒臭そうな目をして、闇の中から現れ出でた。
翠の虹彩の中で、一際輝く紅い瞳孔が、じろりと人の残骸を睨めつける。
「……あ〜あ。派手にやったなァ」
「仕方がなかったとはいえ……ちと派手にやり過ぎたワ。主は好むまい? 処理を頼む」
「俺は雑用係じゃァねぇんだけどよォ?」
青年は、栗皮色の短髪をボリボリと掻くと、一つ大きな溜め息を吐く。
「死体が出ずば、無かったも同じよ。そうであろ?」
「……はいはい、酷ェ奴だ」
「妾は鬼ぞ。慈悲などあるものか」
夜の冷えた風の中、二人の見えぬ影が揺れる。
呵呵と嗤った鬼の足元に、一匹の蝿が息絶えていた。
R15タグをどうしようか悩むこの頃。
言われたらでいいや!!!満点大笑い!
追伸。
親知らずを抜く作者、しばらく(二、三日)執筆ができなくなるかもしれません。
更新遅くなったら「あっこいつ死んでるな」と思って慰めてください。痛みに弱いんです……。
ここまで読んでいただきありがとうございました。





