64.曰く、戸惑いと夕暮れ。
あの感触が、どうにも忘れられない。
握っては開く両の手に、未だあの人の体温が残っている気がする。
騒動が、エイデンの死によって一応の収束を迎えた直後。おっとり刀で駆け付けた衛兵達による調査を受けたシキミ達は、暫しの聴取を終え、何がなんだかわからないうちに解放された。
スピード解決と言わんばかりの解放の速さは、どうやらシャウラが一枚噛んでいたらしい。
駐屯所から放り出されたシキミ達を、彼は自慢げな顔で待ち伏せていた。
「お勤めご苦労サン。お疑いも晴れて何よりだぜ」
「もう少し時間がかかるかと思いましたけど、早く済んで良かったです。……今日はもう疲れましたから」
「特にお嬢さんがな。……アッハハ! さすがバケモノ見習い! テオのやつが踏み台にされてンのなんか初めて見たわ!」
「うるせぇな!」
ケラケラと響く笑い声と交わされる軽口は、事件のあとの重々しい空気を僅かながら軽くした。
しかし、笑顔の再開もそこそこに、彼の琥珀色の瞳は真剣な光を帯びる。
「ま、なんにせよ──だ。カフスの件も含め、訳のわからねぇコトが多すぎる。……依頼主にも伝えておくから、また来る」
「えぇ、お待ちしています。……こればかりは、面倒臭いとも言っていられないような案件かもしれません」
「そうじゃねぇことを祈ってッけどな」
それから二三言、私達と言葉交わしたシャウラは、夕暮れの橙に溶けるようにどこかへ消えた。
私も、思い出したように「汚しちゃったシャツのこと、謝っていたと伝えてください。いつ会えるかわからないから」なんて言ったはいいものの、何も今でなくても良かったのでは……と思うにつけ、つくづくタイミングが悪い。
何度も握っては開く、凝っと手を見つめるシキミの頭の中で、様々な思いと考えが渦巻く。纏まらない、ぐちゃぐちゃとした思考回路は、まるであの戦闘を思い出すことを避けるように、あちこちに飛んでは消える。
「良くやりました、シキミ」
ジークの手が、ゆっくりと頭を掻き撫ぜて離れる。
手袋越しの体温が、一瞬留まって消えた。
戸惑いを塗りつぶすような優しさに、今はただ、足元を凝っと見つめる事でしか返せそうにない。
「……はい」
「気に病むことはありません。どうやら本当に、魔力中毒のようですから」
魔力中毒とは、要するに魔力の許容量超過のことであるらしい。
魔力を貯めるタンクの中に入り切らない魔力があふれると、その魔力が身体に異常を生じさせる。
エイデンは正に、突然暴走を起こし、その結果として死んだ。
シキミ達は運悪く、何らかの要因で以て壊れてしまった彼の、その瞬間に居合わせただけ。
「災難だったわね……。あんなふうに突然暴走するなんて。私、見たことも聞いたこともないわ」
「本調子になる前で良かったな。覚醒みたいな事されてみろ、あんなんじゃ済まなかったぜ」
口々にかけられる慰めの言葉。
それは多分、ある意味初陣であったシキミを気遣うからなのだろう。
だが、シキミの中にあるのは戸惑いや、恐れよりもまず「何故」の言葉一つであった。
彼の暴走のトリガーは、きっとカフスボタンだ。
彼が暴走して死んだのは、私がカフスボタンのことを指摘したからだろうか──? でも、どうして?
暴走する必要はなかった。商人らしく、白々しい笑みで「商品アピールの一つです」と、言うだけでも良かったはずだ。
それなら、彼がマッティアを殺したのか──? だから、思わず暴走してしまうほど動揺した──?
それも、あの何かを言いかけたエイデンを見たあとでは、腑に落ちない。違う気がする。
「カフスボタンは……見つかったんでしょうか」
「いいえ、見つかっていません」
「……あの石が鍵なのかしらね?」
「鍵って、何のだよ」
「バカねぇ、それがわかったら苦労しないわ」
あのカフスが──あるいは赤い石が繋ぐのは、持ち主の二人だけ。
そしてその二人は──
「暴走して死んだ……」
「ええ、でもそれだけです。──今は未だ」
シキミの中で不吉な像を結んだその言葉は、水面に揺蕩う浮舟のように、不安定に揺れていた。
メンタリストジークって言った人誰ですか。先生怒らないから素直に名乗り出てください(笑)
ここまで読んでいただきありがとうございました。





