63.曰く、獣の盾。
その盾は、ただの盾ではない。
それは文字通り、生きた盾。
思考し、判断し、形成される。
其処に、使用者の意志は反映されない。
──介在する余地はない。
『文字通り身を任せてくれればいい。こっから先は俺様の仕事ッてな』
ぐぐ、と地を踏みしめる足に、自然と力が入る。
溜め込んだ力は、爆発的な力で以て、シキミを標的の元へと運んだ。
未だ燻る土煙が、男──エイデンの輪郭を暈している。
跳んだ勢いそのままに、振り下ろした両腕は、細腕に容易く受け止められた。
両手から伸びる金属の爪が、庇うように翳された男の右腕に突き刺さる。だが、彼は気にも止めていないらしい。呻き声一つ上げず、静かにこちらを見上げた瞳が紅く光る。
掴むように振られた左腕を避け、掴んだ手を支点に、背からぐるりと回転した。
「シッ──!」
シキミの踵から生えた、鋭い刃が再び男を狙う。
堅牢の盾は、反撃に強い武器だ。
相手の一撃に対し、最適解の一撃を返す。ゲームの中でのシステムは、なるほどこうやって現実に反映されてゆくらしい。
軽やかに、空を舞う身体が風を切る音が耳に鋭い。
だが、脳天を狙う一撃の先に、男の姿は無かった。
「嬢ちゃん後ろッ!」
その声で咄嗟に振り返れば、赤錆色のマントが視界を覆う。
テオドールが大きく横に薙いだ大剣が、視界の端でギラリと光る。彼の大きな背が、守るようにそこにあった。
「ッチ、早ェな」
「下手くそ! ちゃんと斬りなさいよ!」
そう言うが早いか、エレノアの持つ杖が、淡く発光し始める。
──それは、魔法発動の合図。
魔法は指定範囲が広いから、仲間が密集したここで、彼女が打つとしたら多分支援系だ。──この世界の魔法の基盤がゲームと同じなら、だけど。
エイデンが居た先。貴族街の高級店舗らしく、それなりに広く豪奢な中庭が、壁の大穴から覗いている。
彼はそこから外に出るつもりらしい。
上を見れば、天井は一部が吹き飛び、吹き晒しのようなあり様で。青い空が歪に切り取られている。
「テオさんッ! 肩借ります!」
「ハァ!? ッ馬鹿おい!」
テオドールの肩に飛び乗ったシキミは、そこを足台に、青の中へと飛び込んだ。
今にも崩れそうな穴の端。屋根の上に立てば、崩れた壁から這い出るエイデンが見えた。
「大樹の抱擁!」
エレノアの、ごく短い詠唱が鋭く響く。
その声に押されるように、シキミは降るように飛び降りた。
地面から湧き出した太い根が、生き物の様に蠢き逃げるエイデンを追う。
拘束系の魔法なのだろう。だが、彼の四肢に巻き付いた根は、凄まじい力で引き千切られていた。
ぶちぶちという、厭な音が聞こえている。
「──逃げてもらっては困りますね」
穴から、彼を追うように姿を現したジークが振るうのは、黒く輝く片刃の剣──刀身の黒い日本刀だ。
黒銀の一閃は、残像になって残る。
一度、二度。鮮血を舞い散らせた斬撃は、三度目で動きを止められた。
「うッそ……!」
「っく……」
刀身を掴まれ、動けないでいるジークの元へ、アテの外れたシキミの両足が落ちる。
慌てて軌道をずらせば、着地の軸がブレて地面に打ち付けられた。
「大丈夫ですか……!」
「っうぅ……無事です……!硬いのでっ、これ!」
『あんまり手酷く扱うと壊れッちまうぜ〜?』
「ごめんてばっ」
小さな瓦礫を零しながら、立ち上がったシキミの視線の向こう。
まるで死神の鎌とでも言わんばかりの巨大な戦斧が、その凶悪な姿を光の下に晒していた。
「う〜ん、こりゃ俺も出ないとかぁ?」
「悠長なこと言ってる場合かよ! シャウラ!」
「ハイハイ、頑張りますよって」
よっと、と軽い掛け声と共に、巨大な質量が振り下ろされる。
しかし、その一撃も素早い動きで躱され、シャウラの攻撃は、地面に大きな穴を一つ開けるだけに留まった。
「ハァ? はっや」
「ッ不味いです、街に出られたら洒落になりませんよ──!」
「させませんっ!!」
『神器様ナメんなよ〜?』
酷く楽しげな神器の声を合図に、どこから湧き出したのか、六角形の粒子がシキミの背後に像を作り出す。
『──噛み殺してやるよ』
狼の頭蓋骨のような獣の顎が四つ。硬質な輝きと質量を持ったそれが、街へ出ようとしているのか、身を翻して逃げようとするエイデンの後を追う。
見た目に大きな変化はないのに、こちらを見つめた、爛々と輝く双眸と荒い息が、なんだか「ヒトから外れたナニカ」を思わせれば、背筋につと冷たいものが伝った。
──あの目の奥に、何か恐ろしいものが潜んでいそうで。
困惑と恐怖に濡れた瞳の、何かを言いかけた彼は消え失せていた。
気持ちを落ち着けるように、深く息をすれば、またあの感覚が襲ってくる。
自分が自分でなくなるような、薄まるような感覚。
吐き出す息に、自分が流れ出てゆくような。
不思議と研ぎ澄まされる五感は、その奥で確かに男を捉えた。
「──そこッ」
金属の軋む唸り声と共に、赤い顎がエイデンの元へと襲いかかる。
四肢を押さえつけるように飛んだ、四つの頭。
ガチン、と金属の噛み合う音がして、飛び散る鮮血が青い空を穢した。
動きを封じられたエイデンは、空を浮く四つの獣の首によって、不思議なオブジェであるかの様に磔にされ、藻掻いている。
「が……ァ……!────!!」
「逃がすか──!」
地を蹴れば、身体は弾丸の様に空を切る。
両腕を前に。──それは殺すためではなく、捕縛の一手。
向かい合う、私を見つめる瞳の中に、一体私は何を見つけられるだろう。最早一片の理性もないのなら、きっと私はこの人を殺す。
──ころす。
冷たい金属が覆う手のひらの向こうに、折れそうな首の感触が伝う。
掴んだ勢いのまま押し倒せば、巻き上げられた土埃が、再び視界を覆った。
仰向きに倒れ込んだ男に馬乗りになって、四肢を着き、荒い息を吐くシキミのその有様は、何処か獣じみている。
自分の背後、地面の男に向けて突きつけられる刃と、慣れ親しんだ人の気配がする。きっと、ジークさんたちだ。
何度か空気を押し出して、漸く、膜がかった意識が晴れてゆく。
じわじわと戻ってきた感覚に、押さえつける腕が震えてきた。
──怖い。
あの目、振るわれた腕。シキミの命など容易く刈れる。他ならぬ命のやり取り。
森で獣を殺すのとは違う。人の形をした生き物との闘い。
「か、くほ」
ピタリと動きを止めた男──エイデンは、シキミの下で、既に事切れていた。
「大樹の抱擁 (アルリガーティオ)」
木の根で相手を拘束する魔法。初歩的な技だが、込める魔力や使い手によって、その効力の良し悪しが変わる。
顔のいい男が日本刀持ってるのが好きすぎてごめんなさい。(懺悔)(謝罪)(性癖)
ここまでバチバチの戦闘回はじめてでは???当たり前のように難産でした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。





