61.曰く、うそからでたまこと。
おまたせしました──と、声をかけられて、シキミたちは店の奥へと通された。
どうやら『リーンハルトのカメオ』の効能は凄まじいらしい。
しかし、これ程までの影響力とは、彼は一体何者なのか。只者ではないのはもう確定なので、あまり深入りしてはいけない部類の人間なのだろう。
案内された先。応接室なのだろう、豪奢な内装の一室に、シキミたちは迎えられた。
「ようこそいらっしゃいました。ベネット商会代表のエイデンと申します。お待たせして申し訳ございませんでした」
「いえ、こちらこそ突然押しかけてしまって、すみません。白銀の糸のジークと申します」
「どうぞ、おかけになってください」
中で待っていた二十代か、三十代か。ここまで大きな商店の頭にしては、若過ぎるようにすら思える風貌だ。
好奇心輝く青い瞳が、面白そうにこちらを見つめていた。
中央のテーブルを境に、五人が悠々と座れるほどのソファーが鎮座する。
こちらへ、と指し示す手の、その指には幾つもの指輪が嵌められているのが見えた。
あれだけジャラジャラと光り物を付けておきながら、いやらしさを感じさせないのは、彼から滲み出る懐っこさ故だろうか。
勧められるまま腰を下ろせば、全員が腰掛けたのを見て、彼も落ち着いた所作でソファーに身を委ねる。
栗色の髪が陽を浴びて、金糸のように煌めいた。
「……何やら、リーンハルトさんからのお話があるとか、ないとか」
「はい。数年前にあった、マッティアさんの心中事件について、彼──リーンハルトさんから再調査を依頼されまして」
「再調査、ですか」
「何か新しい手がかりでも見つかれば、と思ってお伺いしたんです」
それを聞いたエイデンは、不思議そうな顔で「そうですか」と答えた。
焦りや怯えではなく、純粋な困惑がありありとその顔に浮かんでいる。
いっそ大げさなほどこちらに伝わる感情は、商人である彼の演技なのか、それとも素であるのか。
ジークは、無茶を言っているのはわかっているんですけど、と苦笑して、そのまま言葉を続ける。
「ご主人が亡くなってから、ピッタリ通うのをやめた人、とか。あるいは、一層足繁く通うようになった人……いませんか?」
「それは……」
ジークの中では、聞くこと──探りを入れる、その切り口の場所はある程度決まっているらしい。淀み無く投げかけられる質問に、エイデンの視線は何かに迷ったように揺れる。
暫し間が空いて、彼は、お答えしかねますと口ごもった。
「私達商売人にとって、お客様の情報と、信頼は失くしてはならない財産です。リーンハルト様のお使いの方達のご要望とはいえ、お答えしかねます」
「それは勿論。そうでしょうとも」
無理を言ってすみませんね。
こちらこそ、きちんとお答えできないのは心苦しいのですが、何分──。
得られるものが有るのか、無いのか。表面を撫でるような会話の、その水面下で、二人の攻防は行われているらしい。
シキミには及びもつかない次元で繰り広げられる、心の読み合いじみた会話。
テオドールやエレノアは「また始まったよ」とでも言いたげな目で、弁を弄するジークを見つめているだけ。
巻き込まれてここまで来てしまったシャウラは、心底興味がないのだろう。つまらなさそうに欠伸を噛み殺していた。
彼らの交わす言葉の端から、自分も何かを得ようと気を張って聞いてはみるものの、ジークの質問は、既に自分の中にある可能性を潰すための確認のようで。やはり、どうしたって検討はつかない。
それから三十分程、それは知らない、答えられない、わからないという応答のみで、結局のところ明確な収穫は無いままに終わった。
もし、なにか得られているとしたら、それはジークだけがわかるものに違いない。
そもそも、こんな話し合いで事件解決のヒントが得られるなら、リーンハルト達はもっと多くの情報を得ていたはずだ。
それが無いということは──そういうことなのだろう。
つまりは「こんなところで得られるものなどさしてない」という、厳然たる事実。
シキミもこの話し合いに何かを期待していたかと言われればそうでもない。
もしかしたら、という程度の淡い期待があっただけだ。
エイデンも、大店の店主であれば忙しい。次の面会希望者がいるから、と切り上げられ、シキミ達は大人しく応接間から退却することになった。
何はともあれ、ありがとうございました、と頭を下げた瞬間。
シキミの視界にそれが飛び込んできた。
「あの、エイデンさん。──そのカフス」
思わず、シキミが指差した先。
彼のシャツの袖口で、キラリと光る小粒の赤。
そこに違和感はない。ただ商品の一つを、宣伝として身につけているに過ぎないのだろう。
だが、シキミの脳裏に過ぎったのは『赤いカフスボタンが失くなっていた』という、あの情報だ。
家族を殺したときに外れて何処かへ消えたのだろうと、蛇足的に付け加えられていた小さな情報。
神器の指摘で、ようやく目に止まったような、事件のヒントにするにはあまりにもお粗末な糸口。
「これは……」
ちらと見上げた先、僅かに男の瞳が揺れる。
悩ましげに顰めた眉は、なんだか商人らしくもない翳りを彼に与えていれば。シキミの中で燻っていた、まさかという疑念が頭を擡げた。
何かを躊躇うように開閉した口が、じつは、と言うように動いたのが、やけにはっきりと目に焼き付く。
カフスのついた右腕が、ゆっくりと上がって──
「伏せろッ──!!」
悲鳴のようなその声が聞こえたのと、誰かに首根っこを引っ掴まれて押し倒されたのは、ほぼ同時だった。
空を引き裂くような轟音と共に、濛々と土埃が、一気に低くなった視界を覆い尽くす。
ぱらぱらと降りかかる土塊と、埃の臭いが周囲に充満する。
──うそからでたまこと。
ああ、ほんとうに。
そんな言葉が、混乱する頭のどこかで響いて消えた。
ぐるぐるぐるぐるどっか〜〜〜〜ん!!!!!
なぜかやたらに難産でした。どぉして…………………
ここまで読んでいただきありがとうございました。





