57.曰く、誰が駒鳥殺したの?
「ねぇ……どう思う? この事件」
「それ僕に聞いちゃう?」
ベットの上で作られたあぐらの中に、体育座りのシキミがすっぽりと収まっていた。
存外しっかりとした胸に背を預け、もらった情報を思い出すように、手にしたメモへと箇条書きにしてゆく。
神器『贖罪の逆十字』
黒いカソックを纏う、金髪碧眼の美丈夫。
駄犬──と愛を込め、親しみを込めて呼ばれている彼は、垂れ目がちな優しい蒼い目を、何かを悩むように書きつ付ける彼女に向けている。
その頭に耳はないし、背にも振られる尻尾はない──のだが。彼を呼び出してから数刻。時折、懐いた犬が嬉しそうに尻尾を振っているかのような幻覚を見ることがあった。
その大きな体躯でシキミを包み込むように、肩口に落とされた柔らかな金髪の頭を撫でる。
指通りの良い柔らかな金の癖毛は、やっぱりお育ちのいい犬を思わせた。
「結局、わかったのは幾つかの個人情報と、奥さんのお腹には四人目のお子さんがいて、ご主人──ベネット商会代表マッティア・ベネットは、それを大層喜んでいたらしいってこと」
「幸せそうだねぇ」
「そうでしょう? 経営は上り調子、後ろ暗いこと……例えば裏社会の何らかの組織に関わってる、とか。そういうものが全く無かったとは言わないけれど、少なくとも焦げ付くような事にはなってない」
綺麗過ぎて怪しい、とすら思ってしまうほど真っ当な商売。幸せな家庭。順風満帆の人生の中で、無理心中事件だけが消えぬ一点の曇りをピリオドに持ち込んでいる。
「ある日突然凶暴に──。危ないお薬を嗜んでいたわけでもないみたいだし、精神錯乱系の魔法がかけられた様子もない。動機も証拠もないから、もし犯罪なら完全犯罪の迷宮入りだよ……。こんなとこで考えてたって、堂々巡りなんだけどさ」
「何度も考えるのは、決して悪いことじゃないよ」
元気出してよマスター、と穏やかな声が耳元で響く。彼の高い鼻が、すり、と頬に寄せられた。
睦み合いとも思えるようなスキンシップには、しかし男女の色事を思わせる気配はない。
犬がじゃれているようにしか思えないから、顔の良さにドキドキした後は慣れた。
「コレは?」
「ん? ……あー、なんか、装飾品の一つ……ご主人がいつも付けていたカフスボタンが無くなってるんだって」
「ふぅん……?」
彼が指差したのは
『遺失物あり。──マッティアがとても大切にしていたという、カフスボタンが紛失。結婚記念日に妻からもらったものなのだと大層自慢していたという記録あり。形状等の詳細は不明だが「赤い石がついていたらしい」という情報もある。不確か。』
という一連の記述だ。
脳裏に浮かぶ文言のまま、つらつらと書き連ねた調査報告書。
少なすぎるというわけではないが、それでも通り一辺の調査結果に過ぎない、という印象は禁じ得ない。
「家族は四肢を捥がれ、マッティアは服毒死。なお、凶器の存在は認められなかった。…………おかしいことには十分におかしいのに、ストンと落ちる回答があるわけじゃない」
「具体的に、マスターとしては何が気になるの?」
「まず、四肢を捥ぐっていうのがわからないかなぁ。ただの心中なら──そりゃまぁ、ただの心中なら依頼主もここまで執着しないだろうし? 切断ならまだわかるけどさ」
「わざわざ捥ぐかってこと?」
「うん。……大体、人間の手足ってそんな簡単に外れる?」
「外れないねぇ」
結構力が必要なんだよ、人殺すのって、と酷く実感がこもった声は、正しく武器である彼のもので。
四肢を引きちぎる拷問器具が、どこぞの国にあったような気もするが。それだって大掛かりな仕掛けで、凶器がないならまず無理だ。
そもそも、凶器も持たず人の手足を千切る光景など、脳裏で描かれる犯人像は筋骨隆々な怪物に限る。
思い出すのは一日目。犯行現場だという談話室に置かれていた、一枚の写真。
線の細い、優しそうな女性と、その隣で笑う恰幅のいい男性が寄り添ったワンシーン。
マッティアと、彼の妻エマの、幸せな日常の一コマ。
あれが人を千切れる男か、と言われれば、否と答えるしかないだろう。
──あるいは、本当に。彼は怪物になってしまったのかもしれない。
フランケンシュタインや、ヴァンパイアのように。
だって、人は簡単に変わってしまうものだから。
何かのきっかけで、狂って。
そうして大抵、間違った道を進んでしまうのだ。
もし、この心中事件が、そうやって起こったのだとしたら──?
「ね、エヴァ。人は、どんなときに怪物になるのかな」
一瞬の間。
ゆらり、と空気が揺れて、冷たいような気配が混じる。
「人は──いつだって怪物だよ」
そうじゃない人間なんて、マスター以外にいるものか。
ふと見れば、ついさっきまでキラキラと輝いていた双眸が、見る影もなく澱んでいる。
完全にハイライトをなくした瞳に、シキミは知らず知らず、彼の地雷を踏みぬいていたことを悟った。
──堕犬。
彼のあまりにも唐突な闇落ちモードを揶揄して、一部界隈でこっそりと付けられた渾名。
明るく、綺羅綺羅しい彼は、割と突然ヘラる。──つまり、目から光が消え、持ち主以外の一切を拒絶しだす。
「僕はね、マスター。マスター以外の有象無象はどうでもいい。だからこの件にだって死ぬ程関わってほしくないんだ。…………明らかにきな臭いのに、どうしてぼくの大事な駒鳥を渦中に投げ込むような真似をしなくちゃいけないんだい?」
「そ、れは。その」
成り行きで。何となく。乗りかかった舟だから。
そのどれも真実だけれど、きっと相応しい返答ではない。
それに、本当は──。
「私がそうしたいだけなのかも」
私が知りたいから。私が気になるから。私が、私が──。
ガクン、と頭を落としたエヴァンズの、重みが肩に押し付けられる。
柔らかな髪が、頬や首を撫でるから、少し擽ったい。
「君はどうしていつも……自分を焦がしてしまうのだろうね……?」
掠れた声が、何かを諦めたように零された。
なんだか酷く悪いことをしたような気持ちになって、シキミは小さくごめんなさい、と謝る。
彼女を抱え込むように回されていた腕に、少し力が入った。
「エヴァ……」
「僕の我儘だから、マスターは気にしないで」
相変わらず肩口に押し付けられた頭は、何かを耐えるように微動だにしない。
何かあったらちゃんと僕とか、ウィスターとか呼んでね、と言い残し、最後にとばかりにきつく抱き締められて、エヴァンズは幻のように掻き消えた。
まるで逃げるようなその素振りと、手のひらに残った柔い髪の感触。
エヴァンズとは旧知の仲である、という設定のウィスタリアが「知らないままでいて」と言ったことが、今更ながらに蘇る。
そーやってみんな私から隠して遠ざけるんだから、と不貞腐れるように身を投げだしたベットは、優しくシキミを受け止めた。
ヤッターー!!!!新しいキャラです!!!!!!!!!
皆様いつも読んでくださってありがとうございます!ちょっとずつブクマとか評価とかも増えて、感想レビューもいただけて幸せです!
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます!
ここまで読んでいただきありがとうございました。





