51.曰く、幽霊屋敷の終幕。
「私の名前はリーンハルト。白銀の糸になら、名前と媚を売っておいて損はないわね」
これからはビジネスパートナーとしてよろしく、と差し出された手を反射的に握り返し、シキミは直後「しまった」と硬直した。
ちらりとジークの方を伺ってみれば、明らかに「また面倒事を……」という顔をしている。
どう考えても私を選んだのは確信犯だからなのだろう。わざとらしくニコリと微笑んでみせたリーンハルトの思惑通り、見事に手のひらで転がされたシキミは心の中で静かに地団駄を踏んだ。
「幽霊屋敷の件でこっちが掴んだ情報はきちんと伝えるわ。……とはいえ此処でハイどうぞと言う訳にも行かないし……」
そうねぇ、と考え込むように視線を彷徨わせた彼は暫く黙り込むと、いいことを思いついたとわんばかりに破顔した。
「いやです!」
「まだ何も言ってないわよ」
「嫌な予感しかしなかったですその笑顔はだめだと本能が告げました」
「リーダーさん、優秀ねぇこの子」
「あげませんよ」
何やら人身売買の不穏な気配を漂わせながら、あれよあれよと話は先に進んでゆく。
「カフェ・バー『箱庭』はご存知?」
「はい。よくお世話に」
「なら話は早いわね。向こうに話はつけておくから、明日の夜にでもいらっしゃいな」
「──光栄ですね。招待状でもいただけるんでしょうか?」
「これを彼女に渡しておくわ」
これを見せれば教えてもらえると思うからと手渡されたのは、美しい少年の横顔が彫り上げられた楕円のカメオ。
どこか憂うように遠くを見つめる瞳と、柔らかな微笑みを形作る口元の繊細な表現は、溜め息が出るほど美しい。
黒い地に浮かぶ白い肌はまろく滑らかで、優しく靡く髪の一本一本まで彫られているようにさえ感じられれば、シキミのド素人目にもその高級さがひしひしと伝わる。
親指ほどの大きさのそのブローチは、話と状況から取り残されたシキミの手のひらに置かれ、握りこまれた。
「それはもうあなたにあげるわ、シキミちゃん」
「そうやってサラッと名前とか素性とか握ってますよアピールは大人気ないと思うんです」
「名前以外掴ませないくせによく言うわね」
「誤解です!! 今すごい誤解の気配がしました!!」
シキミだってわからない素性を早々簡単に暴かれてしまっては、いけしゃあしゃあと記憶喪失ですなどと宣ったことが恥ずかしい。
物語によくある「突然現れてこの強さ──一体何者だ?」などという事態にでもなったら目も当てられない。神器達がいるからと忘れがちだが、シキミ本人は依然レベル1から上がる気配を見せていないのだから洒落にもならない。
どうせこんな世界だ、王族子飼いの暗殺組織だの裏親衛隊だの胡散臭くも恐ろしい連中は溢れるほどいるに違いない。
そんなのに追い掛け回されてみろ、地獄だぞ?
と、脳裏で囁く悪意と恐怖に満ち満ちた言葉に、シキミは思わず身震いした。
「まぁ、なんにせよ私達は今日からここを使わないことにするわ。依頼達成ね」
「全てあなた達の仕業だったとしたら……ですが」
「ジークさんそういう怖いこと言うの法律違反です」
非難するようにぎゅうと服の裾を握れば、法律は違反してないですと至極もっともな返答が返される。違うそうじゃない、と言えないのはシキミが弱いからか。十中八九弱いからである。
「かけてるのも "魔魂探知眼" でしょう? ソレを三つも四つも……つくづく力の使い所が間違ってると思うわ」
「そんなにヤバいものですか、これ」
「確かに低級ではあるけれど、あくまでも利用価値的な物差しでの話。出るのはダンジョンの深層からだって聞くし、世の中には熱心なオカルトマニアが存在するってことまでは言っておくわ」
「えぇ…………お返ししてもいいですか………………」
「駄目です。持っていてください」
いるいらないの応酬もそう長くは続かず、シキミとジークの手を渡り歩いた眼鏡は、すっかり元通りシキミの鼻の上に収まった。
マニアが付くモノの値段は高いと決まっている。
一体金が何枚を頭の上に載せているのやらと思うにつけ恐ろしい。そのうち金貨の重みで鼻がもげるに違いない。
そんなことになったら一体どうやって美味しい料理の香りを楽しむのか、と馬鹿なことを考えているうちに、上位者たる彼らの悠々とした会話は緩やかに収束を迎えつつあった。
「で、どうすんだよリーダーさん。うちの嬢ちゃんは承っちまったみてぇだけど」
「どうもこうも……そうですね……まぁ、面白そうなのでいいですよ。若干面倒の荷が勝ちますが」
「素敵なカメオねぇ、いい趣味してると思うわぁ」
「あらありがとう。お褒めのお言葉は了承として受け取ってもいいかしら?」
「御自由にどうぞ。時間を見つけて『箱庭』にはお邪魔します。しかし、そこも手の内だったとは……手広いですね」
どうやら暗澹たる裏社会の一端を覗かされているような、妙な感覚がシキミを襲う。
裏社会に憧れた甘酸っぱい青春の記憶はないが、裏社会というスパイスの効いた言葉は並べて等しく人の心を擽るものだ。
しかしあくまでもそれは夢想するが故の香辛料であって、実際に関わるとなると話は別だ。
スパイスどころか無数の刃物が会話の端々から覗くような気がして、生きた心地がしない。根が小心者なのだから、命の危険など無闇矢鱈と負わないほうが幸せなのである。
と、口に出せたらどれだけ良いだろう。
「じゃあ、確かにお願いしたわ。無理に、とは言わない代わりに今日のことは他言無用でお願いね」
柔らかく上機嫌な口調とは裏腹に、冷たく冴えた瞳がそれを軽く受け止めることを許さない。
言外に「バラしたら次はお前が肉片になる番だからな」と伝える冷徹な雰囲気に背筋が伸び、寿命は縮まった。
天使君は相変わらずリーンハルトに抱き上げられ、彼の首にその細い腕を回している。
黒いロングコートをマントのようにはためかせた彼は、おもむろにカーテンを開けると躊躇いなく飛び降りた。
「いかにもな "悪" を感じるぅ……」
「その悪と馴れ合ってたの嬢ちゃんだけどな……」
「言わないでください…………」
もうそろそろ夜明けが来るだろう。
夜明け色の瞳の男が開いて行ったカーテンの向こうから、淡い光が差し込み始めた。
さっきまで床に転がっていた肉片は、いつの間にか消えていて。ひょっとしたら夢だったのかもしれないなと、そんなことを考える割に手のひらのカメオは人肌に温い。
「帰りましょうか」
「酒飲むか寝るかの二択だな」
「お酒飲みたいわ~」
「えっ寝ません……??」
後ろ手に閉めたドアの向こうから薄っすらと血の匂いが漂ったのは、きっと寝惚けているからだと、そう思う事にした。
ドドド小心者のシキミちゃん一体誰に似たんですかね(目を逸らしながら)
ここまで読んでいただきありがとうございました。





