48.曰く、幽霊屋敷の静寂。
──慣れって怖い。
顔の上半分を覆う長い前髪のその向こう、すっかり輝きを失った瞳で屋敷の探索を続けるシキミは、小さくそう呟いた。
あれから数日経ち、何度か屋敷の中で夜を明かすものの未だ悲鳴らしきものは聞こえず。
眼鏡をかけた視界に揺れるカーテンが映るぐらいのもので、幽霊のゆの字もないままただ時間だけが過ぎてゆく。
そう大きくはないお屋敷とはいえ、部屋数は十を超える。
集団で探していても効率が悪いだけ、とシキミが環境に順応──否、行き過ぎた恐怖に茫然自失となったのをいいことに、四人はバラバラに行動することになっていた。
二階建ての屋敷の中は、荒れ果ててはいても朽ちてはいない。
とはいえ、踏み出すのが少し怖い二階の廊下。左右に広がる部屋の扉は開け放たれている。
一つ一つ覗き込んでは黒い硝子越しに目を細め、見えたらどうしようと思いつつ、早く見るもの見て解決してしまいたいという気持ちが湧き上がるの仕方のないことだろう。
どうせ朝までいるのなら、来たばかりの今のうちに見て早く帰りたい。
これだけ回っても悲鳴一つ聞こえないのなら、肝試しに潜り込むような人間がいたのではないか、と話し合ったこともある。
端とはいえ一応富裕層の住む地域。そうそう夜中出歩く類の人間が来るとも思えないが、可能性はゼロではない。むしろ、最近私たち "白銀の糸" がここを巡回しているから人も来ず、故に悲鳴の一つも聞こえないのではないのか……と言ったのだが。この夜の探検がいたくお気に召したらしいAランク三人は、飽きるまで続行を言い渡した。
どう考えても闇堕ち寸前の私の反応を見て楽しんでいるのだが、これがAランクだというのだから世も末だ。鬼しかいない。
──と、そんなことを考えながらだったから気が付かなかったのだ。
夜も寒さが蟠る、北部屋。
何気なくドアを開け、恐る恐る部屋を覗き込んだシキミは硬直した。
毎日の巡回ルート。いちいち開けるのは面倒臭いとこの屋敷のドアは全て開け放されているはずなのに。
手のひらに吸い付くような、真鍮のドアノブから手が離せない。
少し前かがみになって、隙間に押し付けた目が離せない。
閉じられた、重く重厚なカーテンが割れた窓からの風で揺れ、床を擦る。
蠟燭の炎らしき揺れる橙に照らされて、暗い臙脂が広がっていた。
あの向こうには、大きなテラスがあるはずだ。
その、薄明かりの中。濡れたものが叩きつけられるような湿っぽい音が二度、三度と響く。
腹の底を撹拌するような不快なその音がする度に、黒い靴底がつま先を上に向けて、河岸に打ち上げられた魚の様にビクビクと痙攣している。
────靴底。
床を滑るように彷徨わせていた視線が、導かれるようにゆっくりと上がってゆく。
馬乗りになった、誰かの影。
白い陶器のような肌に金色のリングピアスが等間隔で付けられて、その輪を繊細なレースが編み上げるように通されている。
所々赤く染まった白は、まるでそれで完成だとでも言わんばかりに完成された美しさを湛えていた。
ピンと張ってしなる背に、小さく盛り上がった筋肉が影をつけ、酷く細い腕が銀色を振り上げる。
その背には天使の羽が一対、刻まれていた。
夕陽色に染め上げられた金糸の髪が、振り下ろす毎に柔らかく広がる。その場違いなほどの儚い優美さは、まるで一つの絵画のよう。
飛び散る赤い飛沫が、広がる臙脂を冥く染めた。
「──ッ、ひ」
目の前で今まさに繰り広げられている惨劇に、きゅうと喉の奥が収縮し、思わず声にもならない息が漏れる。
それはまさに、無理心中事件のその現場を見ているような──。
「あら、見ちゃったの?」
耳元に落とされた柔らかい女口調。女にしては低いハスキーな声と共に、シキミの口は静かに塞がれた。
手袋をしているのか、唇に感じる滑らかな布の感触。
混乱した頭の中のやけに冷静な一区画が、随分いい布を使ってるなぁと呑気な事を考えている。
「厭ねぇ。…………ここ、誰も近付かなかったのに」
氷のように鋭くひんやりとした感触が首をなぞって止まった。
幽霊ではない、生きた人間の体温と、息遣い。
冷や汗がゆっくりと背筋を伝って──消えた。
余談かつ超個人的なことではあるのですが。
なろうユーザーでもあります森一勲さんの主催する「いっくん大賞」という企画において
現在発表されております「文章力」部門で入選三作の枠の一つをいただきました!!
(リンク先など、詳しいことは活動報告にて記載させていただきます)
多くの作品を読まれることになった森一勲様含め、読んでくださっている皆様。
本当にありがとうございます。
これからもその判断に間違いがなかったと言わせられるような作品にいたしますので、どうぞお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
ここまで読んでいただきありがとうございました。(長々とごめんなさい!)





