46.曰く、幽霊屋敷の一日目。
「黄昏」とは「誰そ彼」
暈けた陽の光は、すれ違う人影の容貌を識別できなくさせる。
皆「其処に居るのは誰ぞ」と尋ねるゆえに「誰そ彼」と人は呼ぶ。
今すれ違うたは人か──妖か。
それは人と、人ならざるモノの交わる時間。
そんな妖しい光の中で、シキミたちは一つの屋敷を眺めている。
ゴシック建築を思わせる美しい尖頭アーチは、鋭い影となってシキミたちを覆い尽くさんと大きく背伸びをし始めていた。
冒険者の街アズリルを抜け、王都に程近い郊外の一角。
貴族が住むにはやや手狭だが、財を成した商人や、下級貴族の別荘には丁度良さそうな大きさのその屋敷が、今回の依頼の現場であるらしい。
「────つまりですね、幽霊というのは本当にいるわけです」
「……エッ?」
幽霊なんてホントにいるわけないじゃないですか、ねぇ? というシキミが何気なく零した一言に淡々と返された言葉が、シキミの心臓を二三度ひっくり返した。
ジークは当然でしょうとばかりに二コリと微笑んで言葉を続けてゆく。
「死んだ人間の思念や記憶……なんと言うのでしょう、故人の残滓……とでもいうのでしょうか。そうしたものが魔力を帯びた時彼らは現れます」
「記憶を持った魔力。……害意は基本ねェが、斬れねェってのはちょっとなァ……」
「そ、彼らの主成分は魔力。だけど魔力なんて基本的には見えないから、視るためにはこれが必要なのよ」
それはまるでサングラスの様な──というよりもサングラスにしか見えない、黒い硝子の嵌った丸眼鏡が、エレノアの手によって目の前で左右に揺らされる。
銀縁でちょっとおしゃれなのが悔しい。
「これは幽霊を視るための迷宮品」
「低級ですが、性能は十分ですよ」
「くっきりばっちり、よかったじゃねえか」
「ゆ……幽霊が…?」
「くっきりばっちり」
錆付いたブリキ人形のように振り返ってみれば、勝ち誇ったような笑みのテオドールと目が合った。
「や……やっぱりパス……で……」
「そりゃナシだぜ」
「途中放棄は冒険者の名折れ、っていうのよ」
冗談じゃない、とおどろおどろしい屋敷を前にシキミは後ずさる。
幽霊が存在するなんて、しかも魔力との融合体として、半ば事実として証明されているだなんて。
シキミは幽霊を信じていない。
それは、幽霊が非常に観念的な存在であり、故に認識の問題であると自分を納得させられていたからだ。
「ヤ……ヤです~!!!!」
「はいはい、大人しくかけような~」
散々揶揄われた仕返しとばかりに、テオドールは良い笑顔で眼鏡を押し付けてくる。
いるとわかってしまった、今。ただひたすらに怖い幽霊屋敷。
よく見てみれば窓の向こうからチラと見える、荒れ果てた様相からしてもう恐ろしい。
人の住まなくなった家というものは、どうしてこんなにも死んだように荒んでしまうのだろう。
「ほら、行きますよ」
ジークの手によって屋敷の大きな扉は、悲鳴を上げるように軋みながらその口を開け始めた。
薄っすら冷気の滲むその向こう。
無理やりかけさせられた眼鏡のせいで一層闇を深めた世界は、魔力の残滓が視界をちらちらと掠めてゆく。
今ここで足を踏み出せば、この世界に二度戻って来られなさそうな。
そんな不安が、無防備に構えていた心に忍び込む。
ふと目を向ければ白いワンピースの端でも映り込んでしまいそうな気がして、前を向くのも怖い。
足元に目を向けたとて、古ぼけた石畳が足元に広がっているだけで、それはそれで十分怖い。
暗闇の中では、本能的に人は萎縮してしまうらしい。
その例にもれず、シキミは十分に萎縮している。
「ほ……ほんとに行かないと駄目ですか」
「あなたが選んだんでしょ~?」
「そうなんですけど……ッ!」
装飾の美しい玄関ポーチで、ぐずぐずと尻込みしていれば白い手が差し出された。
「ッヒ……!」
「ほぅら、手」
エレノアがぱちりとウインクを寄越す。
促されるようにそっと手を重ねれば、柔らかく握られた手がぐいと引かれた。
間に合っっっっったァァァァいい!!!!!(歓喜の雄叫び)
ここまで読んでいただきありがとうございました。





