21.曰く、見えても躱せない事があるもので。
一度目を閉じて、再び開いた時。
世界は一枚の膜を被っていた。
感覚は遠く、この両目を通して見える光景は、レンズ越しの景色に似ている。
目前で鋭く構えられた大剣の背に、朱の線が一本走っているのがやけに明瞭と目に焼き付いた。
まるで翅を拡げるように、手妻のように滑らかに動かされた手のひらにはあの時と同じ、恐ろしいほど良く手に馴染む小ぶりのナイフが握られている。
くるくると、細い指の中で弄ばれる銀色は勝ち気な輝きを持っていた。
「オウ、嬢ちゃん。準備できたか?」
私は頷きもしない。至極冷静に、手の中を自由に動き回るナイフに意識を向けただけだった。
気合の声が一閃、彼が何と言ったのか判別はつかず、声になりきらなかった音たちは、意味をなさずに頭の中を素通りしてゆく。
テオドールさんの攻撃は大振りでパワーがある。
スピードには多少欠けるが、それでも隙のない一撃。
風を切る音より速く、鈍い光が頬を掠めた。
甲高い衝突音が耳元で叫ぶ。
視界の端、金属が擦れる火花が散って、小さなナイフが大剣の軌道を変えていった。
間を置かず、容赦の無い二撃目が空を斬る。
剣を振れば隙ができる。僅かに見せられた腹部への隙は、きっと誘い込まれているのだろう。
しかし他に活路は無く、内心で舌打ちをしたくなっている自分に驚いた。
本当に、私が私でないみたいだ。
気持ち悪い、でも、今は考えすら邪魔だ。
手にしていた銀色を放り投げ、新しいナイフを構える。
突き上げ、抉るように。小さな獲物で、確実に命を刈り取る最善を探す。
決死の一突きは、しかし、危なげもなく剣の腹で受け止められる。
右手から弾かれ、離れてしまったそれに視線を送ることなく。シキミはまた新たなナイフをその手のひらに収めていた。
「──やるじゃァねぇか」
準備運動はお終いだな。
ニヤリと口角を上げた顔は悪戯っぽいというよりは最早野生のそれで。ああ、やっぱり狼だと思う。
その鋭い牙は私の眼前で、今も喉を噛み切ろうと隙を窺っている。
それを睨めつけながら、頬を伝う血をシキミはゆっくり舐めとった。
開いた瞳孔がかち合えば、また一閃。
まるでスローモーションのように、大剣の動きが見える。
先程よりも鋭い、本気の一撃だ。
──これは耐えられない。
私の中の何かがそう囁く。避けようと必死で捩った身体に、容赦ない一撃が叩き込まれた。
ビリビリと骨にまで響く衝撃をいなしながら、シキミはゆっくりと──ゆっくりと後ろに倒れた。
「────えっ?」
果たしてその、漏れるような一言は誰のものだったのか。
どさりと土埃を舞い上がらせて、シキミは静かに目を閉じた。
「……やり過ぎですよ、テオ」
「……すまん」
静寂の中。背の高い草が、さわさわと風に擦れる音だけが素知らぬ顔で横切ってゆく。
一体どこから出したものか、刃の薄いナイフが三本。彼女の手を離れて草むらに転がっていた。
あの一撃を受け止めてなお、刃毀れ一つない刃は、力の逃し方が相当上手いのだろうことを思わせる。
当然、手加減はした──したが、薄い刃一つ砕けない力で振ったつもりはない。
「どォすんだ、コレ」
「どうするもなにも、そのまま手元に置きます」
「そうは言ってもよ……」
前髪に隠された目は見えないまま。それでも酷く不愉快で、空虚な視線だけが前髪を通してなお突き刺さった。
得体の知れない、全く違った誰かのような。まとう気配が変わったその瞬間を、テオドールはよく感じ取っていたのである。
普段の、否、さっきまでの。あのどこか抜けた少女とは似ても似つかぬその気配。
よほど場数を踏まなければ、ここまでナイフを扱うことも、テオドールの気迫の前で立ち向かうこともできはしないだろう。
正体でも見抜いてやろうと、そういうつもりだったのに。謎は解けるどころか深まってしまった。
「不思議な子ですけれど、俺が、或いは俺達が……負けると思いますか?」
「ま、今んとこそりゃねぇな」
「そうでしょうとも。──だから良いんです。このままで」
横たわる少女の身体に、自分のコートを被せてやりながらジークは優しく微笑む。
「いざとなったら殺せると、わかっただけで十分です」
「お前ほんとに時々、人として最低だよなぁ……」
人が死ぬのはあまり好かない、などと言っておきながらこの男は存外敵にシビアだ。
読めない友人の笑顔を前に、面倒事にならなきゃいいなとため息を吐いた。
サブタイトルはフォロワー様からいただきました(笑)
せっかくなので使わせていただきます。
さて、一言。
まぁAランクなので。
いいですね、最高の言い訳です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。





