19.曰く、記憶のゆりかご。
目の前に広がる広大な草原は、いつかテレビで見た雨季終わりのサバンナを思い出させる。もっとも、その記憶は「見た」というよりは「見た気がする」に近いのだが。
青々と茂った草葉は時折シキミの腰までその背を伸ばし、そんな茂みの影には大抵、小さな動物が隠れるようにしてもそもそと草を食んでいた。
「これはソウゲンアナウサギと言います。大抵どこの草原でも見られるんですが、可愛いでしょう。食べると美味しいんですよ」
「今、可愛いのと美味であることを同列に語る必要ありました??」
「美味しいんですよ」
「ジークさん、ひょっとして結構お腹空いてます?」
「揶揄われてんなァ〜……」
これ、揶揄われてるのか? 思わず必死の形相で振り返れば、朗々とした美丈夫は「なんか安心しちまった」と笑って背に担いだ大剣を取り外すと、草原のただ中にドカリと腰を下ろした。
勝手に安心されても困る。
「いやァ、懐かしいなここ」
あれから、少しばかりまごまごとしながらも「テオドール」と名乗った彼は、何故か初心者の依頼に同行してきていた。
ジークと共にAランクだという彼は、やはり相当強い人なのだろう。素人目から見ても立ち居振る舞いに隙がない。
原初の森を取り囲むようにして広がっている、初心者御用達のラナキア平野にはあまりの過剰戦力だ。Aランク二人で来るような場所ではない。
それらしき花の群生する場所に腰を下ろしたシキミは、依頼を受けた際に受付から渡された薬草図鑑のコピーとにらめっこをしながら、恐る恐る採集を始めた。
コピーなんてあるんだと関心もしたが、魔法があればある程度なんでもできてしまうだろうとも思う。
科学の発展故にあの形で発展した元の世界と、魔法がある故にちぐはぐに発展したこの世界。似ているようで全く別物のここは、やはり少し生き辛い。
「なぁ、どうして嬢ちゃんの世話なんてしようと思ったんだ。……おい、嬢ちゃんそれ違うぜ」
「どうしてといわれても……」
テオドールはジークを隣に座らせると、シキミの採集現場を肴に談笑することにしたらしかった。
なぁおいどうなんだよ、と揶揄いを多分に含んだ声音は、遮蔽物のない草原の上ではシキミの元まで良く届く。
「──似ているからです、誰かに」
ジークの僅かに哀愁を帯びた声に、ビクリと心が跳ねる。なんだかその誰かを彼から奪ってしまったような気がしていたたまれない。
だってこの見た目は、この器は、楓という魂が奪ってしまった何かかもしれないのだ。
ぷち、ぷち、とよくわからない草花を摘み取るのはおままごとに似て、この薄紫色の花が何に使われるのかさえ知らない己が酷く情けなかった。
「お前に、懐かしく思うような知り合いがいたとはなぁ。意外と俺らはお前のことを知らないよな」
「もう昔の事過ぎて、朧気にすら覚えてないんですから……いなかったも同然ですよ」
ふぅん、まぁ俺だって昔の事なんて碌に覚えてないけどな、と笑う声を聞き流しながら、そんな寂しい事を言わないでほしいと叫びたい己がいる。
だってそれは、見ず知らずの不審者をこんなにも優しく扱わせる程に、庇護させる程に、貴方の中では大きくて、大切なものだったんじゃないんですか。
記憶は、思い出は、一番簡単な時間遡行だ。
その人を作り出す大切な要素は、時に改変され、ねじ曲げられながらも其処に在って、その人を構成し続ける。
いつ変わるか、いつ歪むかわからない過去の飛沫はきっと拭えないもののはずなのに。
「……た、大切なら、忘れてしまったとしても、忘れちゃだめです!」
採集もほどほどに、思わず立ち上がって声を上げれば、テオドールの瞳が面白そうにこちらを見た。
「矛盾だな、嬢ちゃん」
「矛盾です。でも、忘れるなんてことはないんです。思い出せないだけで、記憶はいつだって頭の中で眠ります」
きっと今は、それを揺り起こしてあげられないだけ。
「大切な人なら、忘れちゃ駄目です」
それは、私の小狡い罪悪感の逃し方ではあったけれど。
まだ空に高く登る日に照らされて、眩しそうに目を細めたジークの黒が、少しだけ、優しい色をした気がした。
何度も記憶に触れますが私が好きなだけです(お前〜ッ)
多分私の頭の中にもたくさんゆりかごがあって、今まで書こうと思っていたネタとか、プロットとかがすやすやしているんでしょう。いつ起きるんでしょうか。
できるだけ早急に目覚めてほしい限りです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。





