15.曰く、腹が減っては戦はできぬ。
鼻孔を満たす懐かしい薫りに目が覚めた。
ゆっくりと浮上した意識は、暫くの間ぷかぷかと朝日に微睡んでいる。
さんざん泣いて、泣き疲れて。
神器の膝の上でぐっすりと寝てしまったところまでは覚えている。
もう既にニシキはいなくなっていたが、約束通り朝まで傍に居てくれたのだろう。まだ少し上品な焚物の香りが、彼女の気配と共に残っている気がした。
窓から差し込む朝日の眩しさと、部屋を満たす珈琲の苦い香り。随分穏やかで優雅な目覚めだが、天井も世界も昨日のままで変わらない。
泣けば気分がすっきりする、というのはどうやら本当らしく。鬱々とした気持ちは鳴りを潜め、幾分心持ちが良い。
──夢じゃ、ないんだなぁ。これ。
相も変わらず、視線をずらせば長い亜麻色の髪が揺れる。見覚えがあるようで無いそれは、自分のものとして認めるにはもう少しだけ時間が必要そうだ。
気分が良いとはいえ、なんだか体が重いなァ、と肩を回し、うんと伸びをすれば固まった体がバキバキと悲鳴を上げた。
なんだか変な夢を見た気がするのだが、夢の残滓は陽の光に混じって消えてしまった。こうなってはもう思い出せないだろうし、思い出さずとも良いものなのだろうけれど、少し気になる。
ところどころ乱れた髪を気持ちばかり撫で付けて、鏡を探して戸惑った。きっと、暫くはこんな風に何かとの齟齬を埋めてゆくのだろう。
あぁ、そうだ。ここは私の部屋じゃないんだし。
多分もう、戻れないのだろうし。
しっかりしろ、と気合を入れる。ぱちんと両手で頬を挟めば、痺れるような痛みが広がった。
──自分でやっておいてなんだが、紅葉型の跡がついていないか少し不安だ。
「おはようシキミ。頑張って生きるぞ」
ぐっ、と拳を握れば、腹の虫が小さく鳴いた。
せっかくだから、と紹介してもらった宿はこじんまりとしていて清潔で、なるほど彼の気に入りそうな場所であった。
出会って間もないが、それでもなんとなく"彼らしさ"というものは感じるわけで。今日からしばらくここに泊まってくださいね、と言われるがままに泊まってみれば案の定、とても居心地が良かった。
宿の規模も相まって誇示されない優しさは、この宿の女将さんを体現しているように暖かい。
ジークからこちらの事情をあらかた説明されていたのだろう。風呂は、食事はと甲斐甲斐しく世話を焼かれてはまるで母親のようだと思いもした。
二階建てのこの小さな宿は、一階を食事処として一般に開放しているらしく、どちらかと言えばそちらが本業なのだろう。
昨晩食べた夕飯は量もあり、派手ではないがどこか懐かしい味がした。「おふくろの味」というやつかもしれない。
要するに、とても美味しかった。
だから、と言うと些か即物的がすぎるような気もするのだが。
「朝ご飯っ!」
腹が減っては戦はできぬ。
まさに世の真理。昔の人は良いことを言う。
異世界と、己と、それから不思議な生き物と戦うには、まず資本からちゃんとしないとね。
多分彼はもう起きているだろう。
階段を駆け下りた先。カウンターに腰掛けた黒衣の人は、朝日に照らされて小さく苦笑していた。
いや短いんですがすみません………………。
再びレビューをいただいてしまいました!!!
この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました!
今後もがんばりますので皆様どうぞよろしくお願いいたします。
さて、そんな意図はないのにだんだんシキミちゃん食いしん坊キャラになってきました????
だんだんペットと飼い主の様相を……じわじわとこう………………いやなんでだ。
多分性癖です。ごめん。
ここまで読んでいただきありがとうございました。





