107.曰く、知らぬ顔の星空。
ただヒトという種を蔑むようなその言葉を契機に、少女の姿は次第に変貌していった。
両腕は大きく歪に変わり、背には三対の大きな蠅の羽が震える。
下顎の代わりと言わんばかりに生え揃い、蠢く虫の肢は、今や少女の身体より大きく、長く。
眼孔には真っ赤な複眼が嵌り、下半身は小さく縮んで、遂に虫の腹となる。
口から伸びた虫の肢にぶら下がるように、少女は蛇腹の腹を揺らして嗤った。
それはどこまでも悍ましく、冒涜的な姿だ。
「お父様の邪魔をするならば死ね」
四方八方へと振り下ろされた肢の一撃は重く。ナイフで防いだはいいものの、シキミの腕は押し負けそうになる。
ブルブル震える薄い銀色一枚隔て、禍々しい黒が迫り来る。
肢から突き出している、小さな棘一つに触れたって死んでしまいそうなほど、恐ろしい。
「ぅおも……ッ!?」
『──やはり私を出しなさい! 一撃でも食らえば死にますよ!』
もう我慢ならないとばかりに、それまで沈黙を貫いていた神器の焦った声が、頭に響く。
切羽詰まったそれに急かされるように。シキミは彼を喚ぶべく、大きく一つ息を吸う。
──が、しかし。
シキミの叫びは、言葉になる事はなく。
へ……? と、気の抜けた音になって消えた。
シキミのすぐ目の前、幾重にも重なる不思議な光の帯が、ベルゼブブを覆う。
不気味な翠色の線と図形の重なりは──どこからどう見ても、巨大な魔法陣である。
「……何? こんな時に呼び出し!?」
これじゃ殺せない──! と、悲鳴にも似た叫びを上げる彼女を嘲笑うように、陣は一層その輝きを増してみせた。
「駄目……! 邪魔できないようにされてるわ……!」
「エレノアでも駄目ですか」
「あなたが駄目なら私も駄目に決まってるじゃない!」
引き戻そうとでもしたのだろうか、あるいは、動きを止めた今こそと、攻撃をしようとしたのだろうか。
焦ったような二人の様子に、いずれにせよ、一切の干渉を ”何か” に阻まれているらしいということだけはよくわかる。
突き立てようとしたナイフは、障壁のようなものに阻まれ、弾かれてしまった。
テオドールの大剣も、その障壁を貫くことはなく。ガチン、と嫌な音を立てて弾かれる。
「駄目だなこりゃ」
『いったぁい……! 酷いのだわ! 微妙に痛いのだわ!』
シェダルは、それを見て素直に諦めたらしい。
構えた鎖鎌をだらりと下ろし、悩ましげに眉根を寄せる。
「……わからないことだらけだ。──おい、虫のバケモノ。何故、人を害する。何故俺達の国を襲った?」
「ハァ? 何それ」
眩い光の向こう。姿をヒトの形へ戻し始めた少女が、心底馬鹿にしたような顔をする。
「……魔王が見つかるかな~? っていう軽い実験と、実験場がたまたまここだった。それだけ」
というかそもそも、石の量産をすることが本当のお仕事だったんだし、とため息が揺れる。
陣の輝きは一層増し、少女の輪郭を暈してゆく。
「これだけ人間に広まった……広めることになったのは、まあ成り行きみたいなものだし。──私達が怨むのは、個ではなく全。人でなく、生命を。国でなく、世界を」
──だから、この国を壊してやろうとか、そんなちっぽけな話じゃないのよ。
もう光は、夜に現れた太陽の如く周囲を明るく照らしている。
闇に慣れた瞳が、悲鳴を上げる。
思わず閉じた目蓋の向こう側で、少女の笑い声は高らかに響き渡った。
やがて小さくなってゆく声と、光。
「またどこかできっと会うと思うよ。次はちゃんと殺してあげるね」
収束してゆく光と共に、少女──蠅の王は跡形もなく消え失せていた。
まるで初めから何事もなかったかのように。……否、戦闘の爪痕はしっかりと残り、見えなかったはずの星空は、崩れた壁からしっかりと覗いているのだけれど。
後に残ったのは、繭のようになった木の根に閉じ込められている男と、一言も発することができない五人。
「……考えていた以上に厄介かもな」
やっとのことで絞り出されたシェダルの一言は、どこからか近づいてきた、ワアワアと騒がしい人の声にかき消されてしまった。
「ようやく侵入れたァ!! おい無事かシェダル!」
「……どこほっつき歩いてたんだシャウラ。もう終わったぞ」
「結界みたいなものがあって入れなかったのよ。肝を冷やしたわ」
「お姉さん……無事でよかった! 死んじゃったら、お墓に飾るお花は何がいいかなって、考えちゃうところだった!」
「う~ん。天使君それはちょっとどうなの??」
彼らの声で、次第に現実の輪郭が鮮明になってゆく。思い返せば、まるで夢の中にいたかのような気持ちになってくる。
本当は何も起こってなんかいなくて、あの悍ましい虫のような少女は幻覚で──そもそも魔化だのなんだの自体が妄想の産物で……そんなはずはないのだけれど。
「こいつァ派手にやったな。後処理が大変だって、ハンスにまたグチグチ言われんぞ」
木の根の繭を徐に燃やしながら、シャウラは面倒臭そうな視線を寄越す。
「ちょ……! 燃やし──!?」
「悲鳴も聞こえねェんだから、もうお陀仏だろ」
「え……えぇ……?」
ドン引くシキミを他所に、轟々と燃える塊と、空気を伝わる熱。
燃え落ちた灰に、ひとまずの終幕を知る。
それにしてはすっきりしない結末に、シキミは静かに星空を仰ぎ見た。
ここで宝石編お終いにするか、もう一話続けてお終いにするか迷いどころですね。
長かったですがとりあえず一段落です!!
スッキリしない終わり方ですが、得てして現実なんてそんなもの。まだ続きますので、どうぞお付き合いの程を…………
追伸
更新遅れちゃってごめんなさい!!!





