105.曰く、イヤな予感ほどよく当たる。
暗闇の中で三日月が嗤う。
虫の羽音は止むことなく、細かい振動を伝えていた。
「そんな風に隠れてもムダだよ。もうバレてるって」
嘲るような声に、チッ、とシェダルの舌打ちが応える。
いつの間にか人の姿に戻っていたらしい。長身の痩躯が、隣で鎖鎌のようなものを構えていた。
一方シキミは、部屋の中──少女の喜色に歪む瞳から、目が離せないままであれば。身体はピクリとも動かず、まるで蛇に睨まれた蛙のよう。
他の三人は、突然の宣戦布告に、にわかに殺気立っている。
「下手な小細工はいらないようで、何よりですね」
穏やかな声は、一歩前へ。
シキミの目の前で開かれた、白い豪奢な扉の向こう。対峙した五人と二人の間に、緊張の糸がピンと張った。
「な……! なんだね君たちは!!」
「裏切り者に名乗る必要が?」
冷ややかなシェダルの視線に、男はぐっと息をのむ。
大事そうに、石の詰まった袋を抱える姿はなんだか滑稽だ。
「男の方はどうでもいいな。どうせ、お家がどうのこうのの逆恨みで、一矢報いてやろうとでもいうんだろう? 問題は女──お前は何だ?」
「通りすがりのか弱い女の子だよ。お兄さん」
「ハッ! 冗談は顔だけにしろ」
どう頑張っても怪しいその少女は、何処までも馬鹿にした笑みで闖入者達を見つめている。
「主犯はこのおじさんで、私は本当に何の関係もないよ。おじさんは戦争がしたいらしいけれど」
「ほぉ?──いずれにしても、話は地下牢でたっぷり聞いてやる」
「おことわりィ──」
続く言葉を待たずに、シェダルの手から、小さな鎌が放たれた。
銀の軌道は、少女を切り裂きながら弧を描く。
為す術もなく真っ二つに裂かれた人影は、ずるり、とズレると霧散した。
羽虫の霧が、輪郭を失いながら溶けてゆく。
霧は暫く飛び回ると、少し離れた場所に、再び少女の姿を形作った。
「馬ァ鹿」
『マスター! 伏せなさい!』
真っ赤な瞳とかち合った瞬間──神器の焦ったような声が響く。
半ば反射的に頭を下げれば、少女の指先から発せられた衝撃波が、頭上を通り過ぎ、廊下の壁を破壊して消えた。
「テオ! 漢魅せなさい!──かの者を助けよ!」
「おう任せな、一撃必殺!」
『行くのだわ!』
爆音を契機に、反撃の時来たれり──とばかり。あっという間にテオドールが前へ出てゆく。
彼の掲げる大剣が、エレノアの詠唱によって一層激しく、紅く燃え。姿を現したサラマンダーが、楽しげにくるりと宙を舞って。小さな火の粉が落とされた。
少女とテオドールの間。攻撃を阻む壁のように立ちはだかる虫を、熱が焼く。
有機物の燃える、焦げた嫌な匂いが漂い、黒い煙が視界を狭める。
虫はどこからか湧いて、キリがない。
「──龍の息吹よ」
追撃とばかりに、ジークの詠唱が爆風の鎌鼬と化す。
びりびりと空気を揺らす濃い魔力の気配に、シキミは思わず身震いした。
素人でも感じる「凄さ」など、もはや「凄い」を超えた何かであることは間違いがなく。
その人外じみた強さだけが、肌を伝って骨身に沁みる。
「切り裂け」
「げ……ちょっと! オンナノコ相手に寄って集って、五対一は卑怯でしょう!?」
上がる悲鳴に、顔色一つ変えることなく行使された攻撃魔法は、虫も煙も──壁すらも、何処か遠くへと消し飛ばしてしまった。
大きくあいた壁の穴から、素知らぬ顔の月夜が窺う。
椅子から転げ落ちた男は、這う這うの体で逃げ場を探す。
そのすぐ側。
地に伏せ、小さな切り傷を作りながらも。ゆるりと起き上がった少女の口元には、未だ余裕の消える気配はない。
「あはは、なんちゃってぇ〜。……でも、物凄ォい有利なわけじゃないからなぁ」
──ほぅら、責任取んなさいよね。
足元を這いつくばる、貧相な男の目の前に、真っ赤な石が投げ付けられた。
「ひ……」
「おじさんの欲しがってた石だよ。たくさんおあがり」
男の、強張った頬がピクリと痙攣する。
あ……とか、う……とか。音に成り損なった母音を垂れ流して、彼は凝っと毒々しい赤を見つめ続けていた。
「い……厭だ……死にたく、ない。きいていない、こんな──」
「シツレイしちゃうな。死ぬって確定したわけじゃないよ。おじさんが適合者なら、魔族として一生暮らせるんだし」
「やめろ…………!」
後ずさる男と、それを追い詰める少女。
地面に落ちた──林檎のように紅い、親指ほどの石。
何が起きるのかと──起きてしまうのかと、厭な予感ばかりが、シキミの頭でぐるぐると渦を巻く。
「──いいから持てよ」
壁際まで獲物を追い詰めた捕食者は、まだ幼さの残る顔を、ぐっと男に近づけた。
小さな手は、男の前髪を力強く握り。睦言でも囁かんばかりに瞳を覗き込むと──またどこからか取り出した赤い石を、男の口に捩じ込む。
「ぐ……んむゥ……!」
「ほら、もっと怖がって、助かりたいって思わないと、立派な魔族さんになれませんよぉ」
あの赤い石の輝きは──確かにエイデンの持っていたカフスのそれに似ていて。
『あれは厄介ですね。助かりたい──など、ほぼすべての生物が持つ生存本能ですよ。……本能で起動してしまうのであれば、逃れようもありません』
「怖いと思うと起動する……?」
『言葉を繋げて考える限りは……ですが』
大抵、嫌な予感は当たるんですよ──と、堕天使は小さく溜め息を吐いた。
シキミちゃん、呆然。
戦闘シーンは楽しいんですが、難しいです。
漸く一章の終わりが見えてきた感じがするんですが……(ようやくかよ)
ここまで読んでいただきありがとうございました。





