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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

お伽噺の悩める乙女たち

スノーホワイトに気を付けて☆

作者: さくら比古

3作目~シリアスデス。軽い皮に包まれた重たい重たいお話。



「こちら不眠症こちら不眠症。スノーホワイトどうぞ」

 草木も眠る丑三つ刻。広大な庭を持つ領主の館では、時折夜風に乗って囁き声が行き交っている。

 黒装束の男たちが庭木を掻い潜りながら目的地まで無音のまま走り抜けてゆく。

 手甲に仕込まれた通話の魔法陣は使用者の魔力次第で自在に通信をすることができる。とても高価で余程の財力を持つ者にしか持ち得ない代物だった。

 その事からも、男たちの『主人』が尋常ではない人物であることが察せられる。

「こちらスノーホワイト。対象者の確認は可能か、どうぞ」

 どこからともなく高く澄んだ少女の声が応えを発する。

 少女の周囲には同じように黒装束の者が5名控え、油断なく気配を伺っている。

「こちら不眠症。対象者の部屋に到着。突入の許可請う。どうぞ」

 鮮明な音声を届けるがために通話者の感情まで伝わってくる。かなり抑え気味だが苛ついている。

 『スノーホワイト』は溜息を吐くと飽くまで淡々と指示を出す。

「報酬のこれで安眠!爽快安眠抱き枕が要らないのならどうぞ。

 厚顔。部屋に突入する前に内部の確認のちに対象者の確保。どうぞ」

 音声を消した雄叫びをバックに、『不眠症』の同行者『厚顔』からは苦笑交じりの諾の応えが返ってくる。

「こちら厚顔。対象者の部屋内部の確認完了。対象者の気配なし。指示請う。どうぞ」

 深みのある声が瞬時に緊張状態に入った。受け取ったスノーホワイトの指先が僅かに震えるが、次には冷静な声が指示を飛ばした。

「厚顔と不眠症は直ちに部屋に突入。ただし館の者に気付かれないように」

「諾。これより突入する。対象の視認及び痕跡の確保に入る。どうぞ」

 厚顔たちからの返事を機に通話が絶たれる。瞬間に様々なことを考えていたスノーホワイトは更に己の足元に侍る数人に指示を出す。

「ひねくれと福神は館の防衛機能を30分気付かれないように無効化して頂戴。

 うつけとしゃっくりは外壁周囲へ、ここ1時間の出入りを調べて来て」

 それぞれから諾と返事が返りスノーホワイトの足元にはただ一人が残された。

「仏頂面は・・「俺一人ぐらいは残せ」そうね。貴方は私に付いて来て」

「諾」

 深更の領主館。篝火に深く沈んだ闇を更に濃い闇が駆け抜けてゆく。

 誰にも見咎められず。



 もう無理だわ。

 何度目の弱音か数えることにも疲れてしまった。

 頼る相手も居ないのに、私は何処に逃げればいいのだろう。

 

 戦の無い平和なこの王国には昏い真実があった。

 他国から攻められることの無いように国内の力関係を王家が掌握するため、裏で設けられた様々な施政や機関による裏からの恐怖政治。

 表は永年続く平和に民はそれを疑いも無く享受している。

 しかしそれは支配者階級の眼から見れば張りぼての王国だ。王と貴族階級との薄紙一枚の主従関係は、影を濃くし闇を闊歩する者達の応酬に終始し均衡を保っている。

 それは各領地の領主や王都から離れない母衣貴族たちにも圧力として確かに存在していて。

 その血生臭い貴族の末端とは言え私は生きてきた。

 大きな寄親に寄生中の様にしがみついて生きている下位貴族が私の実家だ。

 私は自分では儘ならない身分と家の都合で、父親よりも年老いた高位貴族の後添えに望まれた。

 その年齢は12歳。

 婚儀の夜に無理やり押さえ付けられ教え込まれた痛みは、今でも体に刻み込まれている。

 野獣のように荒々しく、下民と呼ばれる者たちのように下品と侍女にも嫌われているが、正直そんなことは私にとってどうでもよい事だった。

 痛みと苦しみと屈辱に塗れ、私が大人の女になるまで続くことを告げられた時の衝撃。借金に喘ぐ親から売られた身が切なく。その後一家諸共夫に惨殺されたと聞いた時の悲しさは言葉にすることなどできない。

 先妻も12歳で娘を産むまで館に監禁され、産み月に入る頃には半ば狂人であったと聞く。

 ああ、狂えたのならどんなにか良かっただろう。

 夫の言う後継ぎの男子が産まれるまでこの地獄が続くのだろうか?

 嘆くばかりで何ひとつ自分で判断することのできない私。救われる夢も見ることも無い日々。

 もう少しで成人というある日、2人の愛妾を連れた夫が馬車ごと濁流に呑みこまれたという報せが届いた朝。私は出立前に子を産まないと酷く乱暴され、寝台から頭を上げる状態ですらなかった。

 『夫の死』の報は朦朧としていた私に光明を与えた。

 男子では無いけれど先妻の娘がいるのだ。もう夫の子(・・・)を産めない私は放免して貰えるのではないか?その思いは次第に私の中で大きくなり、夫の遺体の受け取りや確認、高位貴族で大領地の領主でもあった夫の盛大な葬儀を経て、一族が今後を話す親族会議までは持続した。とても幸せな時間だった。

「未亡人となられた侯爵夫人は、一女ハクモクレンの後見人エリク卿の後添いとして3年後居を卿の屋敷に移されますよう」

 領地の運営にすら興味を持たない夫の代わりに侯爵家と共に差配してきた執事長が、もう決定したことを伝えるだけとばかりに凶報を齎すまでは。

 何故なの?エリク卿と言えば夫の弟にして夫よりも残忍な男と言われている。その男が未だ成人しないからといってハクモクレンの後見人になるだけでもとんでもない事なのに、私の新しい夫?

 視界が昏くなり眩暈に震えたが誰も私を見ようともしない。

 一門の思惑は分かっている。エリク卿が侯爵家の実権を握ることは許されない。彼は王家の血筋の少女を乱暴して殺した前科があるからだ。

 そんな男を何故王家が放置しているのか。そこにこの国の歪んだ構造が関係してくるのだ。

 すぐにでも極刑をという王家の意思を曲げ、何故エリク卿は未だに貴族として存在できるのか。王家にも影があるように侯爵家にも影が存在する。長い歴史の中で蓄積してきた王家の弱味というカードを、その時先代の侯爵が切ったのだ。

 内容までは知り得ないが、王家は歯軋りしながらもそれを受け入れた。エリク卿には何があっても侯爵家の継承位の永劫の剥奪。他家への縁組。更に子を儲けてはならないという条件を付けて。

 ならばハクモクレンの後見人どころか、私との再婚など有り得ないと拒否しようとしたが、一門の者達の判断は、『侯爵家内々の事。私が受け取るはずの遺産の保持。エリク卿については爵位は与えることはできないが後見人についての言及はない。子を成せない夫人ならば婚姻関係があっても通すことができる』だった。

 正気なのかと並ぶ顔を見回すが、皆目を合わせようともしない。自分たちの言っていることが強弁だと知っている。

 もう耐えられない。

 帰る場所など無い私だけれど、この家を出て尼寺へ行こうと思っていた。

 子を産めない身体にした男が子供を産めないと責めてくる。その日々に私は女の幸せなど求めないようになっていたから。

 会議が終わり、馴れ馴れしく肩を抱こうとするエリク卿をなんとか躱して部屋に逃げ込んだ。

 全ての窓という窓、次の間までの全てのカギを掛け、ようやく寝台にその身を投げた。


 寝台のクッションの後ろから、両手で抱えるほどの鏡を出す。

 装飾を出来るだけ省いた簡素な鏡。歪んで正しく像を映せない鏡。痛みや苦しみに唇を噛んで耐えていた私の前に突然現れたそれに、私はいつしか誰に言うことも出来ない心情を吐露するようになっていた。

「ああ、鏡よ聞いておくれ。もう私には耐えられない。

 夫が死ねば解放されると!遺産などいらないし着の身着のままで放り出してくれて構わない!それなのにエリク卿と再婚するだなんて・・耐えられない・・・」

 涙が、もう涸れ果てたと思っていた涙が溢れて止まらない。ぼたぼたと覗き込んだ鏡に落ちては溜まる。

「私は狂う事も許されないの?死ぬことさえ。

 行動も助けを求めることさえしようとしないから?

 誰に出来るというの?あの野獣たちは気に入らなければ両親さえ拷問死させるというのに?

 抵抗なんて出会って5分で砕かれたわ」


「クリスタああッ!開けねえかこのアマ!」

 ドアの向こうで野獣が暴れているようだ。

 他人事のようにドアを見遣る。

 執事長を信じるわけでは無いけれど、彼から渡された鍵束には私の部屋の全てのカギが付いていた。彼の立場ではあの私の処刑執行書を渡すしかなかったのでしょう。少なくとも彼の行動には私に生きろというメッセージがあった。

 酷いことを言うものだ。こんな地獄に生きろと。

 館の使用人から優しくされたことは無いけれど、彼等がそれぞれの手段で私を護ろうとしていたことは感じていた。

 時には何故助けてくれないのと詰りたいこともあったけれど、私が彼等の立場ならばそんなことは無理だと知っている。

 逃がせとは言わないが逃げる私を見逃してほしい。できないのならばせめて死なせて。そう願ったこともあった。

 今も、必死に守っていてくれるのだろう。やがて野獣の声が遠くなっていく。


 ハクモクレン。彼女はどうなってしまうのだろうか?

 その名が私の頭に浮かんだのは夜も更けたころの事。

 未だ成人になっていない彼女とは、今迄なるべく接触しないようにしていた。

 私が嫁いできた時にはもう彼女は領主館近くの乳母の家に預けられていたのだ。

 夫の言う新婚を邪魔されたくはないという理由よりも、周囲が夫の非道を見せないように配慮された結果だと思う。

 夫のとって跡継ぎの男子ではない娘には愛情も関心も無かった。

 初潮も迎えない少女を好む性癖は其の倫理観の低さからいつ実の娘に向かうかもしれない。

 きっと私と館の者達は同じ思いだったのだろう。

 辛い毎日の中、少女の歌が聞こえた。

 高く澄んだ歌声は膿んだ傷を癒すようで、私はその歌を聞いて漸く泣いたものだった。 

 それからはおしゃべりな侍女から義理の娘の話を聞いては乾いた唇に笑みを佩いた。

「ハクモクレン。貴女を救うことはできない私だけれど、あの野獣がその汚い手を掛けようとするならばこの身に代えても逃がしてあげる」

 自分で紡いだ言葉に自分が驚いた。 

 そうね。逃げられないのならば誰か一人でも逃がしてあげよう。あの日の少女()の代わりに。

 一睡もできずに朝が明けた。

 鍵束を鳴らして私はドアを開けた。待ち構えていたエリク卿の護衛が私を拘束したが、執事長を始め居並ぶ使用人たちは無言のままその姿を見ていた。

「生意気なことをしてくれる。兄上は石女のお前を余程甘やかしていたようだ。

 俺はそんなに甘くないからな!

 これから出かけにゃあならん。帰っって来るまでに肌を磨いて鞭を用意して待っていろ!」

 万力のような指が顎を掴み、揺さぶる。ぎゅっと身を竦め嵐の過ぎるのを待っていると、唸り声を発して足音高く去ってゆく野獣。呆然と見送る私。酷くあっさりと解放されたものだ。

「エリク卿は王都に呼び出されました。

 侯爵家の世継ぎ問題に王家の許諾は必要ですがエリク卿は押し通すでしょう。時間は僅かです」

 執事長が意味深な言葉で私を促すけれど、敢えて私は首を振った。

「ハクモクレンの方が先よ。

 森の奥に彼女の元乳母が隠居している家があるのでしょう?

 乳母の親族にヒンメル大公の縁者がいた筈。手紙を書くから用意させて」

 勿論エリク卿の息のかかった者には覚られないように。

 ここまで言えば執事長なら最善の手配をしてくれる。

 時間稼ぎの為に目を逸らさなければならない。後見人になるというのにエリク卿はハクモクレンと一度も面会していない筈。私に対する怒りが継続している間は思い出しもしないだろう。

「奥様・・・申し訳ありません。

 お嬢様は現在当家の『影』たちにその身を護られております。

 影は表には関わらず、又、表にも影に対して干渉を許しません。

 実際お嬢様に接触することは不可能。しかも、どういった伝手を使ったのかエリク卿がお嬢様に奥様の悪評を植え付けていたという報告があります」

 渋面の報告に彼が成す術も無かったというのは真実だろう。

 私が接触することの無かった義理の娘にあの野獣が何を画策して近付いていたのか。

「ハクモクレンにとって私は敵であると?」

「その可能性があります」

 率直に答える執事長にはこの後に起こることへの予感があるのだろう。

 予想に過ぎないが、まだ幼く親からも見放された少女がその親の死後さらに苦境に追いやられる。継母が自分から父親を取り上げ、その父の死後この侯爵家をも取り上げ自分をもしかすると殺すかもしれないとまで言ったかもしれない。

 それを聞いた少女が、実際会うこともしない継母と血の繋がった叔父、しかも後見人であるエリク卿のどちら信じるだろうか?

「影は本家の状態を知っているのかしら?」

 確認するけれど答えは分っている。

「彼らは主と認めた者の言葉にしか従いません。それ以外に興味が無いのです。

 もう3年。いつの間にか『影』の忠誠は先代では無くお嬢様に奉げられていました。

 それを不服に思った先代が何らかの報復を与えようと成された結果が先代の死ではなかったかという疑惑があります」

「証拠はあるの?」

 断定的ではない口調だが、確信はしている。そんな答えに慎重を促す。

「先代と共に亡くなっていた少女は影の一門の出です」

 衝撃の言葉に凍り付く。

「それほどまでなの?

 ・・・私はハクモクレンに恨まれてもいいわ。けれど、彼女がこの家を継ぐためにあらゆる禍根と瑕疵は除きたいの。それが私自身であろうとも」

 息を吐き、大事な事だけは執事長に告げた。

 彼とその背後に控えていた使用人たちの気配が揺らいだけれど、譲れない決意がお陰でできた。

「エリク卿が王都へ行って戻ってくるまでの時間はどれくらいかしら?」

「この領地は王都より離れてはいますが王国随一の高速街道があります。馬車ではなく馬を飛ばされるでしょうから国王陛下が引き延ばされても5日が限度かと」

 その額を見れば深い皺が刻まれている。ああ、貴方も大事な人を奪われたのね。

「そう、それだけあれば問題ないわ。

 貴方たちはその間にハクモクレンが何を成そうと口は出さないで頂戴。できれば私の死後も黙っていてほしい。

 そしてそれが成される前に万全の態勢を整えて欲しい。エリク卿が手と口を挟めないように。

 あと一つだけ、あの野獣の手の者をハクモクレンに近付けさせないで」

「承知いたしました」

 お辞儀をして執事長が私を見つめてくる。彼に倣いその場に居た者達も頭を下げ視線を向けている。

 私が強く譲らないことを悟ったようだ。

 執事長がついと私に近付いてきた。

 深い皺が刻まれた厳しい顔が私を見ていた。

「私の妻は御母上の従姉に当たり、当夜奥様のご実家に逗留しておりました」

 はっと見つめ返すと何と例えればいいのか分からない瞳に私が映っている。

「指示を出したのは亡き先代、実行したのはエリク卿です」

 執事長の顔を信じられない思いで見ると、しっかりと頷かれる。

 あの日まで、両親の手を放すその日まで、私は幸せだった。貴族とは名ばかりの貧窮生活だったけれど、父は頼もしく母は優しく在ったのだ。

 攫われるように侯爵家に嫁いできたその日から、売られた花嫁として蔑まれ痛めつけられる中、真実は翳んでいき優しい記憶も失われていった。

 両親が侯爵家を裏切り不正をしていたと、断罪され家諸共焼き殺されたことを告げられた日。私には泣く涙など残っていなかった。

 一緒に災禍に遭った執事長の夫人の記憶は微かに有った。母が従姉のレシィ様よと言って微笑んでいた。白い美しい手が私の頬を撫でてくれた。

 それでは父と肩を並べ笑っていた男の人が執事長だったの?

「理・・由は?」

 何もかもが一気に私の奥底(なか)から溢れてくる。立っていることが辛い。

「ご両親は貴方を返して欲しいと訴え続けておられました。

 それを疎まれたのが一つ。

 もう一つは御母上のお腹の中にはお子が・・・それを聞きつけ先代が『その腹の子が女ならば代わりに返してやる」と。御父上は激しく拒絶され、王都へ訴え出ると仰ったのです」

「お・父様。お母様っ!!」

 両親は記憶の通りの人たちだった。最期は私を護ろうとしていたの。

 侯爵の非道に、この執事長の夫人は巻き込まれてしまった。

「許して・・・許して下さい。私が居なければ「貴女様が居なければ私の娘が貴女様になっていました」え?」

 燃えるような怒りが執事長の瞳に浮かんでいる。

「あの日、妻はたった数か月違いで分れた貴女様と娘の運命に、深い罪悪感に苛まれ懺悔をするようにご実家を訪っていました。

 憔悴する妻を涙で腫らした御母上の優しい瞳が迎え入れて下さったのです。

 私が駆け付けた時にはご両親の息はもう・・・申し訳ありません。妻は虫の息でありましたが起こったことの全てを伝え死にました。

 その日から、私は娘から詰られ離れられようとも侯爵家の忠実な僕として仕え、「いつか」この日を迎えるまで耐えました。

 貴女の悲痛よりも「いつか」のために鬼となりました」

 執事長の告白は懺悔でありながら許しは請うてはいない。

 私も許しを受け入れる余裕は無い。二人して仇を見失ってしまった。

 だからこそ、ハクモクレンにその汚い手を伸ばさせはしないし、ハクモクレンの思いは受け入れよう。

 彼女が私を殺すというのならば、受け入れよう。

「今夜、ハクモクレンの影が来るのならば招き入れるように」

「奥様!!」

 侍女長が声を上げた。初めて声を荒げた彼女を見て何故だか可笑しくなってしまう。

 首位にいた侍女たちも色めき立っている。皆が皆平素は人形のように無表情で感情など無いと思っていた者達。ありがとう。

「その後の事は執事長が差配してくれます。ハクモクレンがこの家を継ぐためには私は必要のない人間。

 それにもう疲れてしまったわ。自分で自分にナイフを突き立てる勇気も無いし。

 エリク卿に関しては心配の無いように手配をしているのでしょう?」

 執事長に目を遣ると神妙に頷き、言葉を発しようとする前に止めた。

「ハクモクレンもきっと来るでしょう。

 私が呼び出しても来ないと思うの。

 だから、親子水入らずで話をさせて頂戴」

 これでお終いと頭を下げる。声を噛み啜り上げる音。何もかもが遅いけれど、私は心が晴れた気がした。

「承知いたしました。

 奥様。これでお終いにはならないかもしれません。お諦めなきようお願いいたします」

 執事長の最後の言葉に振り向かず私は自分の部屋へ戻った。

 窓から差し込む朝日を、私は初めて見た様に見つめていた。



「状況を説明して頂戴。厚顔」

 未だ幼い頬は陶器のように白く、朝露に震える薔薇のように薄桃色を佩いている。

 炭のように黒々とした髪が細い肩に掛かり、一層見た目の幼さを裏切る少女の眼の強さを引き立てている。

「対象者は寝台どころか部屋の中の何処にもいない。

 あの薄ノロ脳筋野郎のいない間に逃げたのかと思ったが、荷造りどころかピン一つ動かさず消えてる。

 あの馬鹿に縊り殺されて森に捨てられ「止めなさい」ってすまん。

 兎に角、身一つ逃げる手段も持たない高位貴族夫人が、身一つで忽然と消えた。事実は一つだけ」

 少女にきつく止められ、報告していた男が悪い予想を引き下げた。

 少女の周囲には闇に溶け込むように7つの影が侍っている。

 夫々力を抜いた姿勢で少女を見ているが、常に意識を周囲に飛ばしている。

「逃げたのかしら。協力者がいた?聞いていた話と違うわねしゃっくり」

 皆、声を聞けば成人以上の男の声だが、総じて小柄だ。その中でも一際小柄な影が立ち上がる。

「屋敷の誰とも交流が無かった。それは確かだ。

 この家は古い分異質な気配が辿りやすい。変わった流れがあれば引っかかったはずだ。それでも漏らしたのなら向こうが上手だっただけ。あの阿呆でない事だけは断言できるが」

 少女は考え込むように黙る。僅かな時間が流れるがその間身動(みじろ)ぐ者はいない。

「時間が惜しいわ。父ほどではないけれど叔父は危険よ。帰ってくる前に見つけないと計画が進まないわ」

「「「「「「「諾」」」」」」」」

 影の唱和が少女の背を追う。

 目的の人物がいない以上()に進めなければない。

「お久しゅうございます」

 ひゅうと飲まれた声が影たちの散開の合図だった。夫々得物を持ち換えて声の主に殺到するが、存在はもうそこには無かった。

「失礼いたしました。執事長のディクスンにございます」

 侯爵家のお仕着せを纏った年嵩の男が深々と頭を下げる。

 自分たちが束になってもその影を掴むことが出来なかった事実に、7人が戦慄の汗を伝わせている。

 彼等に守られて昂然と立っている少女は、目の前の男に傅かれることを微塵も揺るがずそれを受け入れていた。

「奥様より茶の席に招待したいとお申し出がございます。お受けいただけるでしょうか?」

 慇懃にならないその所作は内心少女が舌を巻くもので、振り返らずとも影たちの反感を買う質のものだ。揶揄をするほど悪どく無い所がいっそ清々しいまでに悪どい。

「『逃げ水』を使える人間が当家の影では無いことを、私はどう判断すべきかしら?」

 はっと7人が少女を振り返る。返す刀で撫で切らんとばかりに執事長に圧力が殺到する。

 結果は薄く微笑んだ執事長が開放した圧力に屈せられ言葉も出せない有様になるのだが。

「この若造たちが7人も生き残っていることが答えにございますよ。いい時代になったものです。

 この程度で連携を確立できない者が生かして貰えるのですから。この年寄りの時代には多くて3人。残りは捨て駒か的になる為だけに生かされ、殺された」

 花の品評をしているかのような穏やかな口調の内容は衝撃的なものだった。

 少なくとも精神的に足蹴にしている彼等にとっても初めて聞く話だからだ。

「今の里長はテリでしたか?それではこれらは(・・・・)お嬢様の意思でございましょうや?」

「甘いと言いたいのかしら?」

 ぐっと少女の眉間が寄せられる。

「いいえ。感謝しかございませんよ。口減らしから始まり能力による選別。先々代の代で『改善』が計画されていた事案でした。最も資源の無駄遣い(・・・・・・・)という名目ではございましたが」

 まるで幼い孫を見るような執事長に、少女は頬に熱が上がるのを感じた。と同時に自分がこれから果たそうとしていることに、必要な人材と感じていた。

「私はこの家を受け継ぐ。叔父の後見は要らないわ。義母のもね」

 真っ直ぐに執事長を睨みつけ宣言する。これは十をいくらか過ぎた少女の瞳では無い。その覚悟のほどを執事長はそのまま受け取る。

「お話は奥様が待っておいでですのでそちらで。宜しいでしょうか?」

 お伺いを立ててはいるが決定事項だと少女は感じていた。

「分かりました。案内をお願い」

「「「主」」」

 身体の硬直が解けた者が叫ぶが、少女は有無を言わせない。

「主に恥をかかせるな小僧ども」

 再び床に縫い付けられる圧力が彼らを襲う。

「来れる者だけついて来い。私がこの家の『当主』に手を掛けると思うのならばな」

 影たちには辛らつな言葉を投げつけ執事長は少女の案内に立つ。

「そうしなさいあなた達。ちょっと残念過ぎるわよ」

 無表情に声を掛け少女は執事長の背を追う。

「ち、畜生!今は駄目だが「そこは認めるのか」煩い!必ず一矢報いるからな糞爺!!」

「負け犬だ」

「負け犬だな」

「五月蠅いお前ら!誰か一人でも主を追えよ」

「「お前に出来んクセに俺に言うな」」

「じゃあ、俺行ってくるわ」

「「「「ひねくれ?!」」」」

 軽い返事で、動けない仲間を後目に、長い廊下の遥か先に行ってしまった主をひねくれが足取り軽やかに後を追う。

 置いて行かれた仲間の怒号が廊下に響き渡るその中を駆けるひねくれは、期待に胸を膨らましていた。

「面白いおっさんだ。遊んでもらえるように頼んでもいいかなあ」

 頭の中はそれだけのひねくれだった。

 




 白木蓮は私の好きな花。その品種にスノーホワイトという名があった(?うろ覚え)ため付いた名前。白雪ちゃんごめんよ。

 この話は別視点の短編を次に書くかもしれません。かもです。



読んでいただき感謝感激。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 殺伐!!( *´艸) 執事カッコイイです!!( *´艸) [気になる点] 普段見かけない漢字が読めなくて(((^^;) 「母衣貴族」ってハリボテ貴族って事でいいですか?(笑) そして、続き…
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