02.魔女が抱いた違和感
「あんたがあたしのこと魔女だって言うからじゃない。他人なら別に構わないけど、身内にそう言われたんじゃあ、ねぇ」
頬を膨らませて、随分と子供っぽい口調で女は言う。明らかに拗ねた様子だ。しかしそれよりも男は女が言った言葉の方が気になって仕方がないようで。身内、と女が言った言葉を口の中で転がせる。
「その身内、っていうのは……ええと、俺が魔術師か呪術師だから、てことですか」
「そーよぉ。そういう意味でもあるし、あんたは魔術師じゃなくて多分呪術師だから」
女は指先を男の鼻に引っ付けるように伸ばしたまま、鼻を寄せてくる。すんすん、と男の周りを嗅ぎながら自信満々に言い放った。
「そんなこと分かるんですか」
「分かるわよ。人にもよるけど、あたしとかだと匂いで魔術師か呪術師かまで判断できるわ」
ま、絶対ではないけどね。と女は肩を竦める。
「でも、呪術師だったとしてどうってことは……」
「まあ今のあんたには関係でしょうけどぉ。これから生きていくには必要かもしれないわよ?」
口端を持ち上げて笑った女に、男は怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「どうしてですか。別にそんなこと知らなくたって――」
「それが問題あるのよねぇ。魔術師と呪術師ってのは、いつの時代だって相容れないものだから」
一体それが、どう関係あるというのだろう。言葉には出さなかったものの、女にはその疑念が伝わっていたのか。男の鼻先に向けていた指先をようやく退けては、その指で毛先を弄っては、にぃ、と口の端を歪める。
「魔術師と呪術師ってのはいつの時代も相容れないものなのよ。目が合ったら殺せ、目が合わなくてもそこにいれば殺せ、って遺伝子レベルで刷り込まれてんじゃない? ってくらいにね」
ったく。どっちも絶滅危惧種なのに、と付け足した女の口調は呆れたようなもの。それでも口端の歪みはそのままだ。
「だから、あんたここで会ったのがあたしで幸運だったわね。あたしは理解あるから、あんたが魔術師でも特に気にしなかったしぃ?」
楽し気に笑う女は、控えめに言ったって不気味だった。男はなんと返せばいいのか言葉に詰まり、あたりに視線を彷徨わせる。
音もなく熱いほどに暖められた風が吹き抜ける。砂を巻き上げるように通り過ぎていく風は、まるで女のようだ。
「あーあ。久しぶりに起きたところで、たくさん喋ったから喉渇いちゃった。あんたなんか、飲み物持ってない?」
「飲み物、ですか」
そういえば、と男も思い出したようだ。
乾いた空気に、空中を飛び交う砂。少しは陰ったとはいえ照りつける太陽。それを吸い込んで、下から熱を放射してくる砂。
男は何時間も――下手をすれば何日も歩いていた。女との出会いで忘れていたが、男も喉が乾いていたような気がする。
慌てたように身の回りを確認した。しかし、なにも見つからない。飲み物はおろか、持ち物一つだって。
「……すみません。持ってないです」
「なによぉ、仕方ないわねぇ。こんな乾いた場所じゃあどう足掻いても水なんて手に入んないだろうし……ちょっと移動するしかないわね」
女は地面にしゃがみ込み、男と女をぐるっと囲んで、指で何かを描く。緻密な模様と、よくわからない文字。出来上がったものは、一種の芸術とも呼べるだろう。
立ち上がった女がすっと手を差し出す。男は首を傾げた。
「早く掴みなさいよ。移動するって言ってるでしょ」
どうやら掴め、ということだったらしい。男は慌てて、女の手に自分の手を重ねた。女は満足そうに頷くと「じゃいくわよ」という掛け声と共に親指を口元に持っていく。
何をするのだろう。男がそんな疑問を抱く間もなく、女は親指の肉を噛み切った。
紅を塗ったかのように、女の唇が赤く染まる。
肉を噛み切ったのだ。どう考えても痛い。だというのに痛みなど感じていないかのように女の口元は弧を描く。どこか、楽しんでいる風にすら見える。
口元から離された親指は、真っ直ぐ伸ばされて横に向けられた。血が砂の上に落ち、乾いた砂に吸い込まれ――辺りが、描かれた何かの形に沿って光り出す。
あまりの眩しさに男は目を瞬かせる。
その一瞬。その一瞬の間で光は止み――踏みしめる大地が、視界に映る景色が、変わっていた。
「こ、こは」
「さあ。どこかはわかんない。でも多分川か水脈、が……――」
手にあった暖かさが消え、どさり、と何かが倒れる音がした。
視線を横に移すと、女がいない。慌てたように辺りを見渡せば、砂の代わりに草で覆われた地面に女が倒れている。
「だ、大丈夫ですか!」
しゃがみこんで、女を助け起こす。
幸い女は意識を失ってはいないようだ。驚いたように目を瞬かせている。
「っかしーわね……今のでごっそり、あたしの中の魔力もっていかれた……?」
心底不思議だと言わんばかりの口調。手を顔の近くまで持って行き、握ったり開いたり。何かを確認するような動作を繰り返す。
あの、と控えめに男は声を掛けた。
「ああ大丈夫よ。心配させて悪かったわね。……でも、これじゃあ水脈があっても水なんて引き出せないじゃない」
平気だと言わんばかりの表情を浮かべて笑ってみせた後。けれどすぐに女は口を尖らす。
「ちょっと悪いんだけど、辺り探索してきてくんない? あたし、しばらく動けないからさ。なんか、飲めそうなものとか見つけてきてくれるとありがたいんだけど」
「わかりました。ちょっと待っててください」
男は辺りを見渡した。流石に地面に女を寝かしたままにしておくのは、忍びない。近くにあった、大木の幹にもたれるように女を座らせた。
すぐに戻ってくるからと伝えて、歩き出す。
先ほどまでの砂一面な景色からは一転。辺りは随分と緑が多い
足元は絶え間なく足首くらいまでの草が生えているし、そうでなければ木々が生い茂っている。木々の枝を伝うように、蔦が行き交っていたりもして、どこか鬱々とした感じすらしてしまうほど。
僅かに男の眉間に皺が寄った。
――早く見つけて帰ろう。そうしなければ、帰り道がわからなくなってしまう気がする。
僅かに過った不安を打ち消すように、歩調を早める。そのたびに、足の裏を草を踏みつける感触が襲う。少し煩わし気に男は地面を蹴った。
「おかえり。随分早かったわねぇ。水源、見つかんなかったの?」
「いえ、随分と近くに川があったので」
と言いながら、男は女のすぐ隣に膝をついて屈んだ。意図を読んだ女は、男の肩に手を回す。男は女の手を固定するように掴めば、立ち上がる。
「悪いわねぇ、迷惑かけちゃって」
「……いえ、乗り掛かった舟ですから」
「沈みかけの泥船だけどねぇ!」
嬉々とした様子で言った女の手を、男は一瞬離しそうになった。――それだけ元気なら、一人で歩けるんじゃないか? と頭の中を過ったからだ。
女を引きずるようにして、見つけた川までの道のりを歩く。
生い茂る木々を避けて、足を取ろうとせんばかりに伸びた草の上を人一人抱えて歩くのは至難の業だ。それでもものの十分もしないうちに川に辿り着けば、川の淵に先と同じように膝をついて、女を下ろす。
「ここなんですけど。飲めますか?」
と男が問うと、女は目の前を流れる川に親指を突っ込む。それから、何かを唱えると川が底の方から明るく光った。
「飲めなくても、飲めるようにするのが呪術師ってものよ」
口角を持ち上げて、自信に満ち溢れた顔で笑った女は、不覚にも少し格好いいと思った。そんな思いを振り払うように首を振っては、川の中に手を入れる。ひんやりとしていて気持ちいい。
女は既に手で水を掬って飲み始めている。男もそれに続くように、同じく手で掬って水を飲む。
「ふー……生き返った気分。こんな森の中の湧き水だし、余計にね」
「関係あるんですか? それ」
「大ありよぉ。なんせ魔力がたーっぷり篭ってるんだから」
よいしょ、という言葉と同時に手を地面に手をついて女は立ち上がった。
「さぁって、ちょっと力は戻ったことだし、いきますか」
「えっ……いくって、一体どこへ」
男の問いに、女はいたずらっ子のように笑った。
「“あたし”を取り戻しに、よ」