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異世界に行っても働かずにいられる101の方法  作者: 芋煮
方法の2 森に住もう! の巻
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ソイレント・グリーン

 あんな人だとは思わなかった。

 “彼女”は、自分自身が選んだ男に対して確かな失望を感じていた。


 名は浦木生司。年齢は二十六歳。高校を卒業後ニートとなり、そのまま八年間を穀潰しとして過ごす。

 身長は一七八センチ。体重は六五キロ。

 趣味はアニメ鑑賞と昼寝。好きなものは自由、安眠。嫌いなものはストレス、面倒な人間関係。


 ……と、そこだけ抜き出せばどうしようもないだめにんげんだが、それでも、彼女は彼の中に光を見出した。儚く、頼りないけれども、しかし確かな善性とも言うべきものを垣間見たのだ。

 情けない死因ではあったけれども、それを掴めるだけの“何か”が、彼には感じられたのだ。


 生命を守り、そして生命の奔流の中で死ぬ。

 誰の為でもなく、名も知られずに。


 …………まあ、それは勘違いだったらしいが、にしても彼の精神性より現出した能力が“生命を育む嵐”とも言うべき代物だったのだ、やはりこの宇宙が創世した時から数多の世界を見てきたかわいい審美眼には間違いがなかった。。


 何より、このかわいくてさいきょーな女神が自分の力を注ぎ込んであげた人間が自分を裏切るなどあってはならない。


 何せ、こんなにもかわいいのだ。

 それに、昔から悪いやつとかやっつけたりしてきたし、その手の“神器”も作ってきた。

 ……まあ、そう言うのは大体失くしちゃってはいるんだけど、でも頑張って来たのだ。


 そんな自分が魔術の一つも使えない程に弱体化し、単なる女の子と化してしまった。

 いや、普通の子よりもずっとかわいくてさいきょーなのだけど、神として能力は殆どないに等しい。


 そんな風になった事など、あの人は知っている筈だ。

 この共同生活の中で、その事はありありと理解出来ていた筈だ。


 それなのに、今、こうしてドラゴンに攫われた人を助けに向かおうと言う時、何もしようとはしなかった。

 いつもの様に気だるげな感じで対応してくれやがった。


 彼女は嘆息する。

 されども、足は森の中を突き進んでいった。

 神として、力持つ者の使命として、目の前で困っている人を見捨てられる訳がないのだから。


 そうして、どれ程の時間が経っただろうか。

 肺が悲鳴を上げ、体中は汗に塗れ、息も既に荒く切れた頃に、彼女はそこに到着した。


 森の中を外敵に遭わぬ様に駆け回り、切り立った山肌をどうにか昇り、目的の場所である、あの洞穴に辿り着いていた。


 ぽっかりと口を開けた、巨大なそこ。

 切り立った山の中、暗闇がうずくまるそこからは生暖かい風が吹いてくる。ごう、ごうと底から響いてくる様な音が、果たして何者に因るものなのか、それすらも理解出来なかった。


 彼女は額の汗を拭き、ごくりと生唾を呑み込む。

 情けない話だが、心の臓が高鳴り、酷く喉が渇いていた。


 神である彼女に、人間の言う“死”と言う概念はない。

 だが、それでも、一度この身が損じればタダでは済ませられない。

 特に、今の様に酷く消耗した状態では、一度復活するのに人間換算で数千と言う年月を要する。

 それは神の身でも、それなりに気の長い話なのだ。


 加えて、彼女には敗北と言う経験がない。

 常に勝利を重ね、例えギリギリ何かちょっと危ないぞ、と言う事があっても勝つまで戦いを続ける事で戦略的な勝ち星を上げ続けてきた。それが、彼女にとっての必勝法と言うやつだった。


 だが、今この場面においては、それも難しくなっている。

 信じて力を目覚めさせた男は、英雄にもならず毎日寝てばかりいるし、ここから向かう場所には今の時分では敵わない相手がいる。


 緊張するなと言う方が無理と言う、この状況。


 それでも……。


「……うん、大丈夫です。ボクなら、ボクならきっと」


 自分に強く言い聞かせ、一歩を踏み出す。

 両足はとんでもなく震えていたが、それを無理矢理押さえつけていた。


 そうやって、微かに濡れた岩肌を手に、一歩、一歩を踏み出していき、やがて――――






 ――そこに、辿り着いた。






 そこは、手広い空間だった。

 入り口から入って来る光が、しかしほんの僅かしか機能しない様な深い闇。

 その場所を照らすのはその頼りない明かりのみならず、それを拡散させる貴金属の類いだ。竜と言う種の一部は、こうして宝を溜め込む嗜好があると言う事を、彼女は知っていた。


 そして、その奥には、てらてらと光る鱗を持つ巨大な竜がいた。

 翼を畳み、屈強に過ぎる体を丸めて凶暴な口で呼吸をするその存在。


 ……その傍らに、女の子がいた。


 今の彼女の身よりも年齢は上だろうか。

 丁寧に手入れをされた茶色い髪と、整った顔立ち、豪奢なドレス。

 どうやら、高位の立ち位置にある生まれの様だ。


 まあ、ボクよりは全然かわいくないですけど、と彼女は評価を下した。

 むふーと、胸を張ってやった。何せ、その上さいきょーだ。敵はなかった。


 ……ただまあ、そんな事をしている場合ではない。

 彼女はそう思い直し、身を隠している壁からそっと出て行った。


 抜き足、差し足、忍び足、とそっと近付いていき、ドラゴンの寝息が聞こえてきた辺りで、ぱっと女の子が顔をあげる。涙で濡れ、真っ赤に染まった頬は見ていて痛々しいものがあった。


 あっ、と声を上げそうになる女の子に向けて、女神さまたる彼女は冷静にしーっと人差し指を口元に当てる。女の子はそれに、頭を何度も動かしこくこくと頷く。やはり、かわいい! さいきょー! と言われ続けて幾星霜、その文字通り神がかった魅力は同性ですらも惹きつけるらしい。彼女は一人、むふーと自慢げだ。


 彼女はそのまま、女の子の元へと歩み寄っていく。勿論、気配は極力消して、だ。


「いやはや、大変な目に遭ってしまいましたね。大丈夫です?」


 女の子に近づいた彼女は、そっと屈んでそう声をかける。女の子はそれに、安心した様な、しかしそれでも恐怖はぬぐい去れないと言う風な微妙な表情で、


「は、はい……。こ、怖かったですぅ」


「もう平気ですよ。何せ、このボクがいますからね」


 えぐえぐと嗚咽を漏らす女の子を、彼女はそっと抱きしめてあげる。女の子は一瞬びくりと体を震わせるが、その内に体を委ねてきた。その行動に、あのばかにんげんとは大違いのだ、と彼女は頬を緩ませた。


「それで、あなたは? どうしてこんな所に?」


「わ、わからないですぅ。お庭で日向ぼっこをしていたら、急に暗くなって、それで……。お父様や騎士団の方々も絶対心配していますし、わたし、どうすれば……」


 どうも、想像した通り高貴な身分、それも王女やそこら辺の出らしい。


 ま、ボクには勝てませんがね、と内心自分のかわいらしさを誇ったまま、彼女は笑顔を絶やさずに落ち込む女の子の涙を拭いてやる。それから、元気づける様に、


「心配はありませんよ。ボクが助けてあげますから。だから、さ、立ってください。出口まで先導します」


「で、でも、逃げ切れるかなんて、わからないですよぉ……」


 涙ぐむ女の子に、彼女は立ち上がり、そっと手を差し伸べた。


「大丈夫、きっと大丈夫なんです。そう言う風に信じておけば、どうにかやっていけるってものですよ。なんてたってボクの言う事ですからね、聞いておいて損はないんです」


 にっこりと笑顔を向けると、女の子はどこか呆気に取られた風に口を開けた後、ぽっと頬を赤らめて、


「お、お姉さまぁ……」


「え?」


「素敵、素敵ですぅ! 何て格好のいいお方なんでしょう! わたし、もう骨の髄まで参っちゃいました! お姉さまと呼ばせてください!」


 熱烈な、女の子の言葉。


 それに、彼女は、


「――あったりまえじゃないですか! 超絶お姉さまですよ、ボクは!」


 これだ、これなのだ。

 女神とはこう言うものなのだ。

 決して、どうしようもないだめにんげんに働いてくださいと頼む事が本懐などではない。

 こう言う風に、崇められ、慕われてこそ神と呼べるのだ。今までだってそうだったのだ。


 彼女はあのうんこ製造機にされてきた仕打ちと、今自分自身に向けられる眼差しを天秤にかけて、その天秤が余りの不釣合いさにぶっ壊れる場面を目撃した。


 むふーむふーと胸を張り、彼女は手を伸ばしてきた女の子の華奢な手のひらを取った。

 途端にぬくもりが交わされ、その儚くも確かな熱が、この出会いというものを何よりも証明している気がして――――






「何処へ行こうと言うのかね?」






 しかし、そのすぐ後に、自分達が薄氷の上に立っている事をどうしようもなく思い知らされた。


 地響きの如き、重い厳粛たる声が響いた後で、実際に空気が震える感覚がした。

 まるで、巨大な何かが、その存在を主張している様な、それ。


 余りにも異質な感覚に彼女は身震いし、そして……。


 自分達を見下ろす、威容に気が付いてしまった。


 それは、正しく竜だった。

 屈強な四肢に堅牢な鱗、巨大な体躯、人間が造った武器などよりもなお凶悪な爪と牙。畳まれはすれど、それでもその雄大さを隠しきれていない翼。


 何より、彼女達を見下ろす、知性を湛えた翠の瞳が、凡百の獣との乖離を伝えていた。


 大空の覇者にして地上の暴君。


 その形容は、何ら彼が冠するに不足のないものだった。


「我輩の住処に入り込むとは。余程の勇者か、或いは馬鹿か。一体、貴様はどちらなのだ?」


 まるでこの場を支配する絶対者の様に、竜は問う。


 彼女は、その堂々とした態度と肌をひりつかせる程の覇気に全身が総毛立つのを感じるも、しかし後退はしなかった。彼女よりも大きな体を可哀想なくらいに縮こませて胸にすがりついてくる女の子の姿が、それを許さなかったのだ。


「――ふ、ふん! 何が住処ですか! こんなのただの洞穴じゃないですか! まだボクを愛して止まないだめにんげんに造らせてあげた木の洞の方が居心地が良かったと言うものです!」


「ふむ……。どうやら、その両方、と言う所か。所詮は定命の者の蛮勇、か」


 彼女の応えに、竜は値踏みをする様に視線を動かす。

 そこには、超越者としての余裕と言うものが窺われた。


「むー! 何が定命の者ですか! ボクは女神ですよ、女神! あなたなんかよりもずっと偉くて強くてかわいいんですからね! さっさと敬いなさい!」


「馬鹿な事を……。その脆弱な身に、どうして神威を感じられようか」


 低く、竜は唸る。

 その音色に含まれた感情は、間違えようのない嘲笑だった。


 一頻り声を鳴らすと、やがて竜はその瞳をじっと彼女に向ける。


「――さて、笑わせて貰ったが、我輩の住処に入り込んだのだ。その末路は、理解出来ているな? 蛮勇なる間抜け娘よ」


「ま、まぬっ――」


 彼女は、竜の向けてきたその言葉の、絶対的なまでの尊大さに触れた。

 腹が立った。

 だから、指を突きつけて、こう言ってやったのだ。


「ええ、勿論です! あなたの元から、この女の子を連れ出して逃げ延びてやりますよ! ざまあみやがれです!」


 それに、竜の目がすうっと、細まった。

 同時に、何か、凄まじいエネルギーが鳴動する様な、そんな震えが空気をびりつかせる。


「……成る程、少々、痛い目を見ないと分からないと見た!」


 竜が吠え、同時に、幾条もの火炎が彼女目掛けて襲い来る。鮮烈なまでの炎は、洞窟の中を照らし上げるほどに明るく、美しく、何より激しかった。


 骨の髄が危険を伝える程の、それ。


 その脅威に、彼女は何も出来なかった。

 腕の中の女の子の様に悲鳴をあげる事も、かといって立ち向かう事も出来ず、ただただ我を忘れたみたいに棒立ちしてしまっていた。


 だから…………何一つとして、やれることはなかったのだ。


 迫り来る業火の中、彼女に出来た事など――――






「ったく、世の中クソだな」






 そんな声と共に暴風が吹き、焔の群れを消し飛ばす。

 宙に霧散していった火の粉は、闇の中をはらりと舞い、やがては消え去る。


 それが齎した深く重い暗黒。

 その中を飄々と歩いてくる、一つの足音。


 その確かな足取りを捉えて、彼女に出来た事など、たった一つだ。


「よう、だめ神。まだ生きてるか?」


「せ、生司さん――――っ!」


 彼女は今までに見せた事のない程の笑顔を、浦木生司にプレゼントしてやった。

 彼の、その黄色い雨合羽が、何故だか酷く心強かった。

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