ニート、不貞寝する
「もういい加減働きたくなったでしょう?」
「全然だね!」
作り直した新居に引っ越してから数日が経っていた。要するに、毎日一度は繰り返されるこの問答も、もう最低三度は成されてきたと言う訳だ。全く、懲りない奴だった。
俺の応えに、ぶー、と頬を膨らませるのも何度も見てきた為、既に慣れてはいる。最初見た時は悶絶の余り心臓が止まるかと思った。
「何でなんですか。英雄にさえなればそれで栄光を掴めるでしょうに」
「だから言っただろう。栄光なんていらない。その代わり没落もない。独りで、静かに、しかし満たされた毎日を送る。それが俺の幸せなんだ」
「それじゃあ、ずっとこのままここで生活をするって事ですか? それのどこが楽しいんです?」
「楽しいさ。こうして、住居となる洞を手入れし、空を眺め、風を聴く。香草は自在に生み出せるし、暇ならば虫を生み出して戦わせていればいい。アニメとラノベだけでニート生活を謳歌してきたんだ。酒や煙草や女はいらない。まあ、酒と煙草は、その気になれば作れるがな」
俺は前回とは違い、やや手狭くなった洞の中を見回し、そう応える。前回の様な事がない様に、木の中腹、地上から数メートルの所に作られたそこは、周囲の木よりも高い位置にあり、青空がしっかりと見えた。そこに、雨避け兼日光避けとなる出っ張りやカーテンも拵え、嵐への準備もばっちりだった。
「あなたは自分の能力を無駄遣いしていますよ。魔猪を、ああも簡単に倒せたんです。それだけの力をもっと有意義な事に使おうとは思わないんですか?」
「十分に有意義だろ。生きる為に力を使うんだ。お前も養っている訳だしな」
「それはそうですけど……。本当に、富や名声には興味がないんですか?」
「ああ、全くないね。だだまあ、お前にはこの力を貰った恩があるからな。力を取り戻すまでは養うし、守ってもやる。だが、それが済んだら出て行ってくれ。そっちの方が、お互いの精神衛生上よろしいだろう」
「……ボクに、あなたを諦めろって言うんですか? 神々の間でも不敗の女神として名高いボクに?」
「そんな風に言われてるのか」
「ええ! “あいつは勝つまで勝負を続けるから関わるな”って恐れられてるんですよ!」
「面倒臭がられてるじゃねえか」
むふー、と胸を張るぬーに現実を突き付けてやる。まあ、それを信じるにんげ――女神ではないと言うのは、この共同生活で理解はしていたが。
「とにかく、ボクはあなたを諦めませんよ! 自分の力の大半を使ってまで目覚めさせたあなたを逃したとあれば、ボクの沽券に関わりますからね! あなたが肯くまで付き纏い続ける! それが必勝法なんですよ!」
「ああ、周りの神がお前に言っていた事、理解出来るよ」
「でしょう!」
「いや、そう言う意味じゃ……やっぱいいや」
俺はテキトーに流しておく事にした。
って言うか、まともに取り合っても仕方がなかった。人の話なんて聞くタイプじゃあないんだし。
「さて、生司さん。ボクはお腹が空きました」
「そうか。何が食べたい?」
「今日は魚の気分ですね! 前に生司さんが用意した、おさしみでしたっけ。あれ、気に入っちゃいました!」
「まあ、俺は生み出す生物に寄生虫がいるかどうかを選べるからな。常に新鮮、安全に喰う事が出来る。ふふ、水は雨をそのまま飲めばいい、塩に関してはアイスプラントを生み出す事でどうにかなる。火だって雷を降らせるだけで充分に生成可能だ。正しく、行き届いた生活って奴だな……」
部屋の隅に置かれた、柔らかな火種。
それから、葉などに塩分を凝固させるアイスプラントから抽出しておいた塩を溜めた木の壺。
それらは、俺の工夫の印と言うものだった。
「さて、一度外に降りるか。魚を処理するんだ、俺の部屋の中を生臭くしちゃかなわんからな」
俺は立ち上がり、入り口から外を見て言う。
下には、はしご状に生み出した木が掛かっており、そこから上り下りが容易に出来る。他の木々の上に口を開けたここからは葉が海の様に波打つ光景が見え、その先にある山並みが見て取れた。
「じゃあ、ボクはお湯を沸かしちゃいますね! 火種はこれを使えばいいですしね!」
「ああ、それじゃあ頼もうか――」
俺と同じ様に立ち、木製のバケツを被ってにこにこと微笑んでいるぬーに、言葉を返そうとした、
その時の事だ。
ごうっと、空を割る様な轟音が振り、同時に猛烈な風が部屋の中へと飛び込んでくる。
辺りの葉が乱れ舞い、目を開ける事すらどうにかと言う程の暴風の中心、俺が、目撃したものは――
「――はあ?」
……竜、だった。
見紛う事などあり得ない、ゲームや漫画に良く登場する、あのドラゴンが、大空を我が物顔で飛翔していたのだ。
鈍色の鱗。
雄大な翼。
屈強な四肢。
そして、その腕の一つには、何か人影の様なものが掴まれている。僅かに身じろぎをするその様からは、確かな生存が確認出来た。
雲一つない青空の、その只中に、そんな光景があるのだ。
やがて、竜は此方などには目もくれず、流れる様な動きで正面に見える山岳の中腹へと降り立っていく。剥き出しになった山肌は、それを拒みもせずに受け入れた。
全てが過ぎ去った後で、俺はぬーと目を合わせた。
互いに瞼をぱちくりとさせて、それが何度か続いた後、
「……ドラゴン、だったな」
「ドラゴン、でしたね」
「強そうだったな」
「大きかったですね」
「何か、人間捕まえてたな」
「手で掴んでましたね」
「大変そうだなあ」
「……それだけですか?」
「何の話だ?」
「助けるとか、そう言うのはないのかって訊いているんです」
真剣な、ぬーの眼差し。
それに、俺はついつい笑ってしまう。何と言うか、今まで見せた事のない真面目な表情に、上から被ったバケツのアンバランスさが面白くなってきてしまったのだ。
口元を抑えながら、俺は壁に背を預ける。
「何だ、また英雄の話か? 何度も言ってるだろ、そんなものに身を窶すつもりはないよ」
「そうじゃありません! 純粋に、一人の人間として今の出来事に思う所はないのかって言っているんですよ! 一人の人間が、攫われているんですよ!」
「ぬー。余り同じ事を繰り返させるなよ。俺は独りで、満ち足りた生活がしたいんだ。他人なんてどうだっていい。お前といるのも、単に恩を返せないと言うストレスを排除しているだけなんだからな」
俺とぬーは互いに見つめ合う。
その間には、今までにない緊張した空気が横たわっていた。
それから、幾許の間があって、
「……もういいです!」
ぷいっと俺から視線を逸らし、ぬーは梯子を降りて地面へと足を着けた。
汚れる事のない、清楚なワンピースがふわりと風に揺れていた。
「おい、何処に行くつもりだ?」
部屋からそう呼びかけると、ぬーは此方を見上げて言葉を紡ぐ。
「あの人を助けに行くんです! 当たり前じゃないですか!」
「何の為に? お前に何の得がある?」
「得とか、そう言う事じゃありません! あなたはどうしてそう言う風に考えるんです!」
「それが俺の人生観だからな。自分の利にならない人間の命を、一々慮っていられるか」
「……見損ないました。あなたは、確かにニートでどうしようもないウンコ製造機でも、心の中は温かくてもっと優しい人だって思っていたのに」
悲しそうに、ぬーは言う。
俺はそれを肯定も否定もせず、
「忠告はしておいてやるぞ。止めておけ。行って、それで相手が生きているかも分からし、何よりお前に何が出来る? 今の、か弱い、ただの子どもに過ぎないお前に人間一人の命を救う事が出来るって言うのかよ」
「ドラゴンには気に入ったものを巣に持ち帰り、保管すると言う習性があります。そこから察するに、そうやって持ち替えられた人物が直ぐに殺される事はないでしょう。それに――」
「それに?」
ぬーは、俺をしっかりとその双眸に捉え、何よりもはっきりとした声で言った。
「ボクは、神様ですから。神様が人間を助けるのに、難しい理由がいりますか?」
余りにも真っ直ぐに放たれた、その言葉。
それに俺は一瞬言葉を失い、何かを探している間にぬーは森の中へと去って行った。
ただただ、ひたすらに、あの山へ向かって。
俺はそれを見送り、それから、
「――ばっかじゃねえの」
言い、ごろりとその場に横になった。
ぬーのいなくなった空間は、孤独で、そして何よりも満たされていた。