育まれる生命
「どうしてこうなった……」
俺は蹲り、頭を抱えた。
だが、それでも、噎せ返る様な緑の香りと、そして木々が織り成す豊かなざわめきからはどうやっても逃れる事は出来なかった。先程の一件と異世界に来た、そう言う事実は、覆し様がなかった。
「えーっと、ここはどこら辺でしょう。ゼハの森? うーんと、何か目印とかは……」
頭上からは、そんな呑気な声が降ってくる。
俺をこのとんでもない状況に陥れた張本人のそれだと言うのに、それでも、その声が愛らしく聞こえるのは男としてのどうしようもない性ってやつだろう。
全く、情けなくて涙が出てくる。
「うーん……。まあ、どうにかなりますか。ボクが目をかけてあげたあなたもいますし、何よりこのボクがいる訳ですしね!」
「どうしてそこまで自分を誇れるんだ……」
幾つもの木々、そこに茂る葉の数々がが青い空を彩る下、真っ平らな胸を張る少女に俺は言う。
何とも忌々しく、どこまでも面倒臭かった。
スニーカーからは、足元の草を踏みしめる柔らかな感触があった。
「ようし! それじゃあ生司さん! これからはあなたの英雄譚の始まりですよ! 悪者を倒し、名声を掴み、富と地位を確保して、そしてボクにあなたを自慢させてください!」
「俺の意思は何もかも無視する気かよ……」
「だって、ボクが助けなければあなたはあのまま死んでいたんですよ。それに、身を削いでまであなたに力を与えてあげたのもボクですし、あなたにはボクの言う事を聞く義務があるんです」
「別に助けてくれって言った覚えもねえし、何より力って何だよ。そう言うのは中学二年生で卒業したんだ。今の俺が目指しているのは訳の分からんサクセスストーリーじゃなく、何事もない平穏な日常な訳。分かったらほら、さっさと俺からその力とやらを抜いて元の世界に戻せって。好きなアニメの四期を待つ作業が待ってるんだから」
「分からない人ですねえ。だーかーらー、ボクにはもうそんな力はないんですって。その殆どをあなたの為に使って消耗しているんですから。今のボクは見た通りとっても可愛い女神さまってだけですから」
「使えねえやつだな」
「何ですって?」
睨まれるのを受け流し、俺はその場に寝転がった。元々、こう言う体勢のまま日がな一日を過ごす事も多かったのだ。むしろ立っているよりもずっと自然と言える。
頭の裏に広がった芝生が何とも心地良かった。
うとうとと、眠気が押し寄せてきた。
「……何をしているんですか?」
「精神を落ち着かせているんだ。ストレスは体に良くない」
「何がストレスなんです?」
「強いて言うならお前の存在」
「……言ってくれるじゃないですか。この、可愛いボクに向かって」
横目で窺えば、少女は口の端をひくひくと痙攣させていた。
確かに、自分で言うだけの愛らしさはあるのだが、主に性格がそいつに泥を塗り込んでいた。
「そう言えば、お前、名前は何て言うんだ?」
何の気はなしにそう訊くと、その途端に少女は顔を明るくし、機嫌良さそうに、
「ふふん、それを知りたいですか。殊勝な心がけです。まあ、こんなにも可愛いボクの事を知りたがるのは当然ですけどね! いいえ、むしろ義務です! 義務なのですが、それでもやっぱり勿体ない! そう言う訳で、どうしてもと頭を地面に擦り付けるなら考えてあげてもいいですよ?」
「やっぱいいわ」
「最後まで自分を貫き通してくださいよ!」
言い、少女は一つ咳払いをして、
「とは言っても、人間が容易く発音できる名前ではないんですよね。……ぬ、ぬぬ、ぬー、ぬー」
「分かった。じゃあ、ぬーな」
「違いますよ! そんな間抜けな名前じゃありません!」
「じゃあ俺に分かり易く言ってみろよ」
「ええ? ぬ、ぬ、ぬ、ぬー、ぬー」
「ほら、ぬーじゃん」
「だから違うんですって!」
ぷりぷりと怒ってみせるも、別にこいつの名前なんてそこまで気になる事でもないし、俺は話を流しておいた。ぬーはそれが嫌なのか暫く突っかかって来たが、やがて俺に相手をする気がないのを察したのだろう、次第に諦めを見せていた。
「……もういいですよ。でも、絶対に英雄にはなって貰いますからね。そうじゃなきゃ、ボクのやった事は何だったんだって事になりますし」
「いいじゃん。無駄だったって事で」
「そんな風に諦めはつきません! 早くその力を使って栄光の階段を駆け上がって下さいよ!」
「嫌だって言ってんだろうがよ。大体なあ、俺に何の力があるって――」
言って、俺は上体を起こす。
特に何をする訳でもなかったが、そんな事をして、ぬーの方を睨み付けると、
ぽつりと、雨が降ってきた。
見れば、木々の間に雲がかかり、そこから暖かな雫が降り注いでいたのだ。
空にかかるにしては、余りにも近いそれ。
その事実に、戸惑っていると――
地面から、急激に植物が生えてきた。
「――はあ?」
雨を浴びた、地面の真ん中。
陽光を浴びてくっきりと照らされる、そこに、一個の樹木があった。
無機質で、それ故の滑らかさを有していた大地は最早そこにはなく、生命溢れるざらつきを持った背の高い樹木が、雄大に聳え立っていた。
そんな、不動の事実が、そこに横たわっているのだ。
それを見て、俺は、
「な、なんじゃあこりゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
「うるさいです」
「ごめん」
ぬーに窘められて口を噤む。
確かに、ちょっとはしゃぎ過ぎていた。
だから、俺は小声で、
「で、これ何なん?」
そう訊ねると、ぬーはまるで自分の成果を誇るみたいに、むふー、と息を吐き、ぐぐっと胸を張って、
「ふふーん、教えてあげましょう! それこそが、ボクが開花させたあなたの特質! “物体に生命を与える”能力なのです!」
そんな声が響いた。