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5.散歩

 それからも、化物は玉緒を食おうとはせず、食糧を与え続けた。

 玉緒は捨てられた時よりも、血色は良くなり、人並みな肉付きになってきた。

 体力も徐々に取り戻し、手持無沙汰になり始める。

 ただ、盲目であることと、片足を失っているため洞窟からは出られずにいた。


「あの……お願いがあります」


 食べていた手を止め、玉緒は意を決した。

 声もはっきりと聞こえ、洞窟の中に短く響く。

 すぐ隣には、化物がぐちゃぐちゃと咀嚼していたが動きを止めた。


『何だ』


「少し……外へ出たい、です……」


 化物の低い声に、あっさりと玉緒の意思がしぼみ、言葉も尻すぼみとなる。

 ここ最近は脅されることも、扱いが雑になることもほとんどなくなった。与えられる食糧を黙々と食べているから――と玉緒は考えた。

 が――頼みをするときは別だ。周りの空気が震える。

 

『なぜだ』


 熱を帯びる言葉に、玉緒は少しだけ言葉を震わせた。


「ず、ずっと洞窟の中だと……暇なんです。……食べて下さらないですし。別に……逃げる気はありませんから……」


 最後は俯いてしまった。

 化物がどういう表情で自分の言葉を聞いているのか。何を言われるのか内心ビクビクしていた。

 少し間があった後、化物の低い声が洞窟内に響く。


『山を知らぬ貴様が、逃げられるわけなかろう』


「……はい」


 やっぱり――と、諦めてため息を漏らした直後だった。


『教えてやる』


「え……」


 予想していない言葉に顔を上げたのもつかの間――。


「……な、なんですか!」


 化物が舌を玉緒に巻きつける。身体に纏わりつくベトベトとする感覚に、玉緒は顔を顰めた。

 食われる――そう思った。が予想に反し、玉緒の身体は持ち上げられる。

 纏わりつくベトベトの感触がなくなり、ごわごわとした毛の上に落とされた。――化物の上だった。


「ど、どこへ!?」


『どこへでも行ってやる』


 玉緒が毛を握り締めるのを確認すると、化物は勢いよく洞窟から飛び出した。

 そして、そのまま大きく飛び跳ねる――玉緒の身体全体に風が撫でるように駆け抜けていく。


「わぁぁ!」


 夜空に月が浮かび、その周りに無数の星が淡い光を放っている。

 眼下の山は真っ黒で、薄らと月明りに照らされているだけだった。

 が、玉緒はどんな風景が広がっているのか、想像することもできない。

 だが、風が玉緒を撫でて行く。

 髪を、手を、頬を、足を――まるで自分が走っているようだった。


「すごく気持ちいいです!」


 頭上から元気の良い声に、化物も思わずにやりと口元を緩める。


『落ちるなよ』


 そう言うや否や、化物は急降下し再び地面から一気に飛び跳ねる。まるでジェットコースターのようだった。

 玉緒は声も出すこともできず、ただひたすら毛を握り締め、落ちないように踏ん張っている。


 ――ここまで力が戻っておるのか。


 移動をしながら、化物はふと思う。

 木の枝だったような身体も、今まではずっしりと重さを感じる。食べ頃に違いなかった。

 食らえば、柔らかい肉と微かに甘い血が口に広がるのだろう。

 だが、今の化物は当初と考えが変わっている。

 

 ――確かめねばならぬ。


 化物は山を見渡せる大岩を目指した。



 大岩は山の頂上付近にある。そこに登り下を見下ろせば、山全てが見渡せる。

 見渡せる、と言ってもあくまで化物の視界での話。

 人間の目では、鬱そうと茂る木々にしか見えないだろう。


「なんだか風が冷たいですね」


 大岩の上に腰を下ろした玉緒は、冷たく当たる風に少し身を小さくする。

 寒そうに震えるも、新鮮な空気を吸える喜びで顔をほころばせていた。

 一方で、化物は岩に着くや否や、前回見下ろした辺りを再び凝視した。


 ――今日も、か。


 やはりその場所に、人間が懐中電灯を手にうろうろと探しまわっていた。同じ人間だった。

 真っ暗闇の中、弱い閃光が左右にと揺れている。


『……貴様、この山にどうやって来た』


 耳が痛くなるような静けさに、化物の低い声が響く。

 久しぶりに聞く殺気だった声色に、すぐに答えることはできなかった。

 が、化物は続ける。


『貴様が倒れておった場所、そこに人間がやってきておる。……あれは、貴様を探しておるのではないか』


 玉緒の顔が一気に強張る。

 少し身体を震わせ、拳をギュっと握り締める。


『……違うのか』


 恐れている――と、化物はすぐに理解した。かつて化物に向けられた顔と同じ表情で、玉緒が固まっている。

 玉緒にとっては、あの人間の方が恐怖なのだろう。

 となると――と化物は再び口を開いた。


『どうやって山へ来た。答えろ』


「車に乗せられて……捨てられたんです。やっと……自由になったと思ったのに……」


 声がかすれたかと思うと、玉緒の目から涙が流れる。


「……主様、私を……早く食べてください。……戻りたくないんです。楽になりたいんです……」

 

 俯き、流れる涙を手で拭っている。

 その姿を眺めていると、化物の中の奥底――何かが痛む。

 軋むような苛立たしさが化物の中で疼く。


『もう良い。泣くな。迷惑だ』


「ご、ごめんなさい」


 しゃっくりをしながら、玉緒は無理やり涙を堪える。

 化物は玉緒から視線を逸らし、眼下でうろうろとする人間を見下ろす。


 ――玉緒を探してどうするつもりだ? 自ら捨てたというのに、なぜ探す。


 玉緒を捨てた人間。そして、再びこの山へ踏み入れて来た人間。玉緒の恐怖の対象。

 苛立ちが、化物の凶暴さを再び蘇らせる。

 

 ――目障りだ。


 化物は舌舐めずりをする。月夜に鋭い牙が光る。

 人間の生肉を食いたいという欲求が高まる。


『あの男、食ろうてやろう』


 口を歪め化物は笑う。

 殺意に満ちた声。玉緒は身震いしたが、咄嗟に身体は動いていた。

 化物が飛び跳ねようとした時――玉緒が毛を掴む。

 

『……何をする』


 見下ろせば、玉緒が離すまいと抱きついている。


「だ、駄目です。……主様、私を食べるために色々やってくれたんでしょう?」


 玉緒の言うことはもっともだった。やせ細っていた玉緒を、食うがためにせっせと食糧を運んできたのだから。

 だが――玉緒を見ても食らおうという気が起きない。


「主様。食べたいなら、私を食べてください。あの人は……もういいんです。お願いします」


 毛に顔を埋めている。

 振り飛ばすこともできるが――できなかった。


『……もう良い。戻るぞ』


 化物は玉緒を舌で包み、ひょいと乗せた。そして、再び寝床へと飛び跳ねる。

 玉緒は再び振り落とされないよう、強く毛を握り締めた。


 ――なぜか玉緒を食おうとは思えぬ。なぜ? あの男よりもきっと旨いに違いないというのに……。


 悶々と考えながら、化物は寝床へと帰って行った。

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