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eggs

掲載日:2014/01/31

 男は畜産農家の息子だった。主に鶏卵を出荷している。


 鶏肉は肉厚なブロイラー種のアーバーエーカ。

 広大で日光の照射時間まで徹底管理された箱の中に大量の鶏が犇めく、近代においてごくごく一般的な養鶏場である。


 採卵鶏、もといレイヤーは白色プリマスロック。長く真っ白な廊下に整列された棚から、これまた真っ白な鶏達の顔、顔、顔である。

 男の担当はこのレイヤーファームだった。

 一匹の鶏が「ココッ」と声を上げる。それが100も合わされば騒音になり、1000ともなれば圧巻の一言。彼はその音の濁流の中を毎日毎日、飼料のぎっちり詰まったバケツを片手に決まった筋どおりに何度も往復する。


 鶏が犇めく棚は、グラフの様に定規で引いた法則に沿って綺麗に整理されている。

 些か潔癖のきらいのある父が、かつて有機畜産が主流であった祖父から受け継いだ際に流行りに乗って一斉に現在の形へと変えたのだ。その姿は牛や豚の畜産農家に比べて非常に工場的だと、男は鶏達の世話をしながら考えていた。

 父には商才があった。そして時代もまた父に味方をしていた。その為、男はスクールメイトの中では比較的裕福な暮らしであった。


 お陰で彼は幼少の頃は随分と太っていた。

 クラスメイトには皆からいつも「太っちょ」と笑われていた。

 クラスメイト達は年齢を重ね、知恵がつき、男が農家である事を知ると、それまではただ「太っちょ」と笑うだけだった彼等は、男のことを悪意と熱意を込めて「ポテト」と呼ぶ様になった。


 散々からかわれた男は、農家は農家でも自分は畜産農家なのだと言い返した。だから「ポテト」は間違っている。

 浅はかにも小さくコロコロとしていた男は無い頭で必死に考えたのだ。


 けれどその訂正こそ間違いだった。哀れ、男の言葉に彼等は爆笑。

 以後、男は「ピッグ」もしくは「ピギー」。でなければ色白さから牛乳をもじり「ミルキー」と呼ばれる様になり、はやし立てられる材料が増えてしまったのだ。

 男がどれほど、自分は酪農家ではなく鶏卵関係の農家であると声高に叫んでも意味はない。彼等にとってそんな瑣末な事は重要ではないのだ。彼らはこの「太っちょ」でずんぐりむっくりとした子供を、いかに効率的にからかえるかの方が大切なのだから。


 結局、まだまだ子供だった男に出来る最後の手段はひたすら耐える事だった。

 小さくまん丸だった男はいじめっ子達を退治してくれるヒーローを何度も夢想したが、世界で何千何万と起こるだろう小競り合いを颯爽と助けてくれる者はいなかった。

 しつこい奴のからかいは下校にまで及び、彼は逃げる様に家へ帰った。

 幸か不幸か、両親は彼の状況をこれと言って何も言わず、ただ受け入れていた。

 父親は商売の時は非常に雄弁だったが家庭では非常に寡黙な男で、母親はそんな父の代わりに倍以上お喋りだったが、息子が擦り傷を抱えて帰ってくると悲しげに微笑みながら、手当てをしてくれるだけだった。

 彼等はこの小さな小競り合いを、男が大人になる為の通過儀礼と考えていた。


 父は、醜いやっかみやからかいによって友達の少ない男を、毎週末小さなヨットに乗せて近くの湖畔へと連れて行った。父なりの励ましであった。

 両親は目に見える様な物では無いかもしれないが、助けるべき時に息子を助けたいと心から思っていた。

 しかし丸々太っていた息子はその意図を計れず、父に誘われた時はただ面倒で不貞腐れるだけで、首を掴まれてやむなく付き添っただけだった。

 けれど何度か父と二人で釣りをしたり、ノンビリと水面に揺られて昼寝をしたりする内に、男のトゲにまみれた心は少しずつ凪いで行く様だった。

 男の沢山の色を認識できる若い瞳で改めて見た世界は、それでもキラキラと輝いて映ったのだ。とてもとても、心安らかなひと時だった。


 次第に男は父の手伝いを率先してするようになった。

 静かな父の隣で鶏達の面倒を見ている間は、やはり静かだった。そこには辛いことは肉体的なモノのみで精神的な疲弊は少なかった。

 自分が努力すればする分だけ結果が返ってくる事に、男は喜びを見出せた。

 小さな雛たちを手で掬い取ると、それらは男に優しい温もりを与えてくれる。男は自然と微笑んでいた。父はすっかり細くなった目で、彼を見守る。


 彼と鶏達との時間は増えていった。


 それから数年、毎日ギッシリ詰まったバケツを持ち歩いていた男の腕は、気付けばモリモリと筋肉がつき、骨格もガッチリ、顎は男らしく割れはしなかったが、スッキリとシャープになった。

 男がハイスクール生になった時には誰も彼を「太っちょ」とは呼ばなくなっていた。


 だが、男にとっての異変はそれだけではなかった。


 ある日のことだ。

 彼は目を覚まし、洗面所で顔を洗い髭を剃るために鏡を見ると、そこには見たことも無い程の大きな玉子があった。

 驚いた男は何度か首を振り、自分の頭を動かしてみた。すると鏡の中に映る玉子も同様に動くではないか。


 男が呆然としていると、突然バタンバタン!!と言う、何か大きな物が階段から転げ落ちるような音がした。それと同時に、父親が「わぁっ!」と叫ぶ声。

 どうしたのかと、彼は今現在起きている不可思議な現象を取り合えず横に置いて、慌ててそちらへと向かう。

 二階へと通じる木製の階段の下で、先ほど鏡の中で見た様な大きく白い玉子が一つ、ぱっかりと割れて中身の卵白がドロドロと廊下に垂れていた。

 それにしがみつく、大きな茶色の赤玉子。

 これは一体どうしたことか?

 異様な光景に、男は固まる。ドロドロとした液体は廊下を徐々に侵食して行き、遂に男の足の爪先に辿り着く。


 赤玉子は男の父と同じ声で、慟哭していた。

 階段から落ちて割れた白玉子は、男の母であった。


 それからと言うもの、人の顔と言う顔が全て、男には玉子に見える様になった。


 事情聴取として現れた警官も、母の葬儀に参列した人達も、それはそれは色とりどりの玉子を男は見る事になった。

 時にはイースターで作るカラフルな玉子もあった。

 男は自分が、母が死んだ事の自衛本能か何かが働いて、錯乱しているのでは無いかと思い、自発的に病院に行った。

 ただ医者には「貴方の顔が玉子に見えます」と、正直には言えず、「母が目の前で亡くなって以後、おかしな物が見える様になった」と濁した。

 医者にはその後、木のハンマーで軽く関節をコツンとされたり、よく分からない絵を見せられて感想を言わされたりした後、身内の死によるよくある症状だと言われ、特に目立っておかしなものはないと診断されただけであった。

 ただやはりショッキングな出来事の後と言うことで、軽い鎮静剤を処方された。


 その薬を男自身が使う事は無かった。

 飲み始めたのは、男の父の方だった。


 男の父は、それから前にも増して誰とも話さなくなった。

 母の死は、彼から英気を失わせた様だった。

 仕事も縮小し、今では男が担当しているレイヤーファームだけを残し、精肉用の鶏と土地は別の人間に売り渡した。実質引退をしたのだ。


 ある夜、父は酒を飲みながら母が生きていた頃のビデオを、リビングのソファーに座りながら静かに観ていた。男がまだプクプクと太っていた時期の映像だ。

 そんな父の背をぼんやり見つめている内に、男は自分が視界が次第にボヤけて行く事に気付いた。涙であった。

 男は母が亡くなってからそれまで、涙は一雫として零さなかった。もちろん、葬儀の日でも。

 テレビに映っていたのは、玉子では無かった。懐かしい、人の姿の母、男、そして二人を映す父の太い指であった。


 男は本当は見ていた。母の死に方を、嘆く父を。ただそれを見たくないと、覚えていないと心から願い、彼の頭は無意識に己の記憶を玉子へと置き換えただけであった。

 男はその夜、母が死んでから始めて「母の死」を漸く認めた。


 翌日、男が目を覚まし、習慣的に顔を洗いに洗面所に向かって鏡を見た。そこにはヒゲが伸び放題、目の血走った「人間の顔」があった。

 試しにペタペタと触ると、それはツルンとした玉子の殻ではなく人の肌である。

 驚いて父がいるだろうリビングに向かうと、そこには同じ様にヒゲが伸び放題の、先ほどよりは随分と老け込んだ男性が、苦しそうにイビキをかきながら眠っていた。


 暫く見なかった父の顔は、すっかりやつれていたが、それでも生きている。

 男は母を思い静かに涙を流しながら洗面所に戻り、玉子であった間、放りっぱなしにしていたヒゲに刃を添わせた。


 今度の休みは、父をあの湖畔に連れて行こう……。

 こざっぱりとした男は飼料を担ぎながら、ズラリと並ぶ鶏と玉子の元へと、今日も向かう。

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