うちの王子知りませんか
うちの王子知りませんか。
毛は深緑、目の色は赤茶、身長178、長身痩躯。
性格はいたって無責任で特技は脱走、多少天然気味。
見つけていただいた方には、王室特製ステッカーを差し上げます!
「馬鹿じゃないの」
隣を歩くリンドウが冷めた目でおれを睨みつけた。
「そんなお触れ出したって怒られるのがオチでしょう。それに、何、ステッカーって」
「知らん」
ちょっと言ってみたかっただけだ。
主のジン国第三王子ヤン・チャオさまが城を抜け出して四か月経つ。
「まだ見つからんのか」と国王陛下には怒られーの、各国に密偵を放っている暗部には「余計な仕事増やさないでくれよ。お荷物なんだよ、お前ら」と睨まれーの、もう散々だった。
いつものことだと開き直ってしまう所が我ながら情けない。
「おーい、そこのお荷物二人組」
遠くから故意にしている暗部の男がやってきた。
「見つかったぞー」
「本当ですか!? どこにいたんですか?」
「シノ小国の東で目撃された。いやーそれがさー」
男は笑いをこらえながら続ける。
「女連れだったとさ。可愛いチビに、ネコのような鈴をつけて、町中で堂々といちゃついていたらしい」
ってはい?
「道のど真ん中で熱~い口づけを交わしていた。大胆だね、おたくの主は」
なんですと?
隣のリンドウは真っ青だ。
ぶっ倒れそうな体を立て直して、礼を言う。
「さっさとヤン・チャオさまを探して回収しよう」
「これ以上恥さらしになる訳にはいかない」
言いながらも、歓喜が湧きあがってくるのが分かった。
おれは早くあの人に会いたくて堪らない。
二十年前。おれがまだ五つだった頃の話だ。
地方貴族の息子だったおれは、いきなり王子の側近に大抜擢された。
同い年だからという理由だったが、まあそれ以外にも色々あったのだろう。
父が頑張ったのかもしれない。
「こんなこと、あんたに言うのは酷かもしれんけど」
城まで送ってくれた母は、つらそうな顔でおれの頭を撫でた。
「王子さまっちゅう方は、この国の一番偉いお方の子供さんや。そしてな、あんたの仕事は王子さまのお相手をすることや。あんたの行動は、あんただけの責任やない、うちらの小国を背負うてるんで。しっかりお気張りや」
「いやや、母さま。おれ、行きとうない」
両親や家から引き離されて、未知の場所に放りこまれるのは、とてつもない恐怖だった。
しかし、御前に控えてこれから付く王子を見た瞬間、全ては吹っ飛んだ。
その瞬間を、おれは鮮烈に覚えている。
それだけ王子ヤン・チャオは美しかった。
見た目が美しいというだけではない、と今では思う。
子供心に、いや、子供だからこそ、その魅力を直感的に捉えた。
一目惚れだったのかもしれない。
声も交わしてない内から、五歳のおれはこの人の為には命を失っても構わないと思った。
ところが、当の本人は非常にとんでもない人物だった。
教師にいたずらをする(だから教師はしょっちゅう入れ替わった)。
女官の群れにネズミの死骸を投げる(混乱の余り、数人がぶっ倒れた)。
度々、部屋を抜け出す(ご丁寧にお手製の人形を身代りにおいてあった)。
食い物を粗末にする(好き嫌いはないくせに)。
そしていい訳のうまさは天下一品だった。
何度おれたちは煮え湯を飲まされたことか。
ここに来てから身に付けたスカした言葉(チャルカ訛りはどうも馬鹿にされるらしい)を投げ出して怒っても、それはヤン・チャオさまを喜ばせただけだった。
手に余るというのはこういうことを指すのだと、おれは学んだ。
本当は気が付いていた。
全てを手にしている主は、飽いていた。
嫌悪していた。
「人生とはままらないものだな、カイドウ」
いつしか主はそう言った。
「自分を殺して善となるのならば、わたしは喜んで悪になりたい」
そして振り回されるのはおれたちという訳だ。
昔っから。
***
で、城に帰還した主は少女を連れていた。
「ネコを連れて行くといったではないですか、まさか……」
「そうだな、正確にいえばネコのような少女だ」
小娘の頬に指を這わせながら、歌うように主は言った。
無責任にも程があるぅぅぅ!!
怒りのあまり、頭の線が2,3本切れたおれとリンドウの言葉も、ヤン・チャオさまはのらりくらりと流す。
結局は疲労根陪したおれらが折れて、主の我儘が通ってしまうのだった。
「殿下は娘を拾ってこられたのですか」
鉄仮面(おれとリンドウがつけたあだ名だ)、キムザは筆を止めておれたちを見た。
「ネコとおっしゃっていたではないですか」
「ネコのような娘でした」
まんまといっぱい食わされた。
用意されていたネコ用の檻や皿は全て下げられた。
「おいくつくらいのお嬢さまで」
淡々とキムザは聞くと、分かりました、身の周りのものを手配いたしますと頷いた。
さすが鉄仮面。
ヤン・チャオさまの付き合いはもう二十年になるということは、この女官との付き合いもそれくらいになるということだ。
なのにおれは一度もキムザが笑った所を見たことがない。
多分、誰もいない。
ところが晴天の霹靂、王子のネコはまずキムザを籠落した。
鉄仮面が嬉しそうな顔をしてにっこりと笑ったのだ。
あんな饅頭以下(その昔、主言う所の麻疹時代。ヤン・チャオさまは城中の美姫に手を出しまくった。そして彼女らを饅頭と評した)の小娘に。
感動よりも恐怖を感じた。
明日は雨じゃなくて槍が降るんじゃないか?
籠落どころか崩壊しまくっている主は、政務以外は娘を片時も離さない。
ある日、用事があってヤン・チャオさまの部屋の扉を叩こうとした時だった。
中から声が聞こえた。
主がネコに本を読んでやっているようだ。
思わず耳を澄ますと
「『ああ、おやめください。わたくしには主人も子も』『よいではないかよいではないか』男は有無を言わせず女の衣をはぎ取り、その白い乳……」
「どんな話をきかせとるんじゃああああ――!!!」
絶叫と共にバーンと扉を開けると、目を丸くしている主とネコがいた。
「昼間っから官能小説なんぞ読み聞かせるな! 阿呆かー!」
「こらこら、カイドウ。主に向かって阿呆とはなんだ。どうだ、お前も一緒に読むか?」
「読まんわ! 色ぼけ満開花畑牧場か、おんどれの脳内は!!」
一通り怒鳴りつくしたおれは、不覚にも用事を忘れてしまった。
そんなこんなの日々が過ぎた頃だった。
主の部屋で何故かおれとネコの二人きりだった。
おれは壁にもたれるように控えており(ヤン・チャオさまの前では勿論そんなことをしない)、ネコは卓の上に座って、つまらなさそうに筆を転がして遊んでいた。
「いいよな、お前は」
図らずも愚痴が出た。
いいよな、お前は。
政務以外は四六時中、あの人の傍にいて、一身に愛情を浴びて。
おれが今まで見たことのないような優しい笑顔を向けられて。
おれが今まで訊いたことのないような柔らかな声をかけられて。
お前はおれが欲しくて堪らないものを、全て手にしているんだぞ。
ニ十年間、秘めて押さえつけて殺してきた感情は、言葉の発することのできないネコに溢れるように流れ出した。
愚痴という醜悪な形で。
どんなに身分の高い娘に言い寄られても。
どんなに美しい女に粉をかけられても。
おれが好きな人は男で、しかも自分の主ときた。
どうにもなるものじゃない。
でも、仕方ないじゃないか。好きなんだから。
仕様がないじゃないか。好きなんだから。
ただ黙って愛しい男の背中を見ながら、付いてゆくだけだ。
ネコが小さく鳴いた。
顔を上げると、目が合った。
もう一度、小さく鳴いた。
ぞっとするような悲しい鳴き声だった。
「お前もさ」
卓に近づいて、ネコが転がしていた筆を手にする。
「おれと同じで苦しいんか?」
ネコは俯いて返事をしなかった。
「ええよ、別に何も言わんでも。だけど、ヤン・チャオさまにはこのことは言わんといてくれ」
うん、とネコは頷いた。
そして慰めるようにおれの頭を撫でた。
「……優しいんやな。スズさまは」
普段なら同情なんかいらん、おれの頭に触るなと怒鳴っていたことだろう。
でも、この時は涙が出そうになった。
心が弱っていたのかもしれないし、撫でてくれる手が余りにも優しすぎたのかもしれない。
「スズ、遅くなってすまな……何をしている!」
部屋に入ってきた主が絶叫した。
「カーイードーウーおぉーまぁーえぇー……」
「やましいことなどしておりませんよ。ちょっと恋の相談に乗ってもらっていただけです」
そうそう、と横のネコも同意するように鳴いた。
「お前たちときたら、わたしを差し置いて。大体、カイドウの……」
「あ、おれ、用事を思い出したんで。失礼しまーす」
さっさと逃げる。
ヤン・チャオさまがあの娘に夢中になるわけが何となく分かった。
それにいつもおれたちを振り回している主が、振り回されている姿を見るのは中々に新鮮じゃないか。
おまけに城を抜け出すこともない。
おれは苦笑した。
「うちの王子知りませんか」と探し回ることもなく、日々その近くにいることは何て幸せなことなんだろう。
叶わぬ恋だと分かっていても。