「チョコレート? 一度だけなら食べたことあるわよ」(本編前)
バレンタイン付近なので関連ネタです。
<大空騎士団副団長の場合>
先日、チョコレートというものを初めて食べた。
焼き菓子や飴とはまるで違う味に驚きはしたが、とても美味しかった。
味は気に入ったけれど、あまり手に入らないし、量を食べると太る食べ物らしい。私の普段の運動量から考えるとあまり関係ないだろうけれど、制限はしたほうがいいと思う。値段高いし。
そういえば明日はそのチョコレートを大切な相手に贈る日だそうだ。そのせいか街でもチョコレートを取り扱う店が増えている。私達が出動するような騒ぎに繋がらない話なので毎年気にしていないが、私個人の近辺では面倒事が増える。
「ユリアさん、エシル団長の好みのお菓子を聞いてきてほしいの」
「はぁ」
毎年、まずは数日前、下手すると数十日前からこれだ。
チョコレートを贈る相手というのは大抵恋人か、それ前提の男女。とくに女性からの好意を示すものに利用されるものらしい。
エシルが毎年沢山の飾り付けられた小箱を机の上に山積みにしていたのを想い出す。今までは気にならなかったけれど、チョコレートの味の素晴らしさを知った今は、ちょっとうらやましい。
まあそれはそれとして、頼まれごとを片付けるとしよう。
「エシル、好きな菓子はありますか?」
ユリアに真っ直ぐ見つめられ、エシルは嬉しそうに微笑む。
「私はユリアの作ったものならなんでも好きだ」
「それ以外は」
「ない」
「冗談は後回しにしてください。せめて、一つくらいありません?」
エシルは眉を潜め、じっと考える、考えに考え、彼はひとつの答えにたどり着いた。
「ユリアが何か作ってくれるのか?」
「いいえ。他の団員や、施設部の方ですよ。あなたにチョコレート菓子を送りたいのだそうです」
説明しつつユリアは団長の確認が必要な書類を渡す。
「それなら要らないと伝えてくれ」
エシルは答えながら書面を読み、さっと署名する。
「断るのが面倒だから適当に何か言っておいてくれないか」
「わかりました」
「ところで、私も菓子を用意しているんだが」
「そうですか。どちらに贈られるんですか?」
「もちろん君へだ」
「私は今減量中なんです。宿舎の近くに美味しいパン屋ができてから、腰回りに余分な重みを感じるようになり困っています」
エシルはユリアの腰に手を伸ばすが、素早い一撃ではたき落とされる。
「何触ろうとしているんですか」
「確かめようかと」
「必要ありません」
はたかれた手をなでながら、エシルは悲しそうな表情を作る。
「仕方ないな。せっかく予約してとびきりのチョコレートケーキを買っておいたのに……」
棚からリボンの掛けられた紙箱を取り出すと、ユリアの表情がわずかに動く。それを横目で確認し、エシルは内心笑みを浮かべながら普段と変わりない調子で続ける。
「私は甘いものがそんなに好きではないし……ユリアが要らないというのなら……」
箱をゆらすとユリアの視線が吸い付くように動く。傾けると必死そうな顔つきになる。自分の一挙一動に注目するユリアが可愛らしくて、嬉しくて、エシルはこらえきれず自分の頬がゆるむのを感じた。
「捨てようかな」
「なんて、もったいない!」
「では、ユリアが」
「これ全部は無理です! ほかの団員とわけましょう」
「遠慮するかもしれない」
「チョコレートは滋養強壮にいいのです。皆喜んで食べますよ」
結局エシルの贈ったチョコレートケーキはユリアだけでなく待機室にいた他の団員にも分けられた。エシルは団員達に自分からの差し入れだと重々説明し、それから配る許可を出した。
ちなみに翌日の本番のために別のチョコレート菓子も用意しているのはエシルだけの秘密だったりする。
「そういえば毎年もらっていたチョコレート菓子の山はどうしていたんですか」
「法術で安全か検査して部下に配ったよ。何か仕掛けられているかわからないからね」
「確かに、この機会にと贈り物に何か仕込む可能性はありますね」
「ユリアからの贈り物はいつでも待っている」
「残念ながら、先日刀の鞘を新調しまして、財布に余裕がありません。それに、甘いものは苦手なんでしょう?」
「君からの物は別だ」
◇
<白箔国の恋人たちの場合>
「チョコレート? 一度だけなら食べたことあるわよ」
菓子の話題からチョコレートの話になった時、ファムはそう言ってうっとりとした表情になった。子供の頃に一度だけ食べたが未だに忘れられない味だと。
そんな会話をした後、ヴィルヘルムスはさっそく動いた。輸入業をしている知り合いからチョコレートを買い、その際に異国の文化でチョコレート菓子を恋人同士で食べ、その興奮作用で愛を高めあうという話を知って、いくつかのチョコレート菓子のレシピも一緒にファムに贈った。もちろん異国の風習は省いて、様々なチョコレート菓子の美味しさと、恋人たちで食べる物だと伝えて
新しい事に挑戦する事が好きなファムは喜び、さっそく菓子を作るのだと意気込んでいた。
それから数日後のこと。
「どうぞ」
「お邪魔します」
今日は入れてもらえたと、喜びの感情があまり表に出ないように気をつけながらヴィルヘルムスは玄関を通り、いつも案内される居間へと入る。
デートの最後は可能な限り彼女の家まで送っているため場所はよく知っているが、ファムの家にはなかなか入れてもらえない。あまり自分の領域に他人を入れたがらない人なのかと思ったが、どうもそうではないらしいとヴィルヘルムスは最近になって気づいた。
入れてもらえない理由は「他の存在」がいるためだ。何故だか知らないが時々ファムの家を精霊が訪ねることがあるらしい。ヴィルヘルムスは行く先々で精霊に絡まれる青嶺国の友人とは違うが、ファムはヴィルヘルムスを自分の家の事情に巻き込まないようにしているようだった。
今回も室内にわずかに霊素の気配が残っており、精霊が滞在していたことが感じ取られた。
茶を用意するファムの表情はどこか浮かないものだった。何かあったのかとヴィルヘルムスが心配する声をかける前にファムが動いた。
「あのね、これ……」
眼の前に出されたのは手のひらに収まる大きさの紙箱。
「どうしたんですか?」
ファムが黙って蓋を開けると、中から茶色いチョコレート菓子が出てきた。一口大のチョコレート本体は艶のある光沢を持ち、側面や上部には見事な飾りが施されている。透かし彫りされたリボン状のものが全体を包み込み、贅沢にちりばめられた指先ほどの花飾りはよく見れば花びら一つ一つが違う色のホワイトチョコレートで出来ている。
「これは見事ですね。ファムが作ったんですか?」
「私のはこっち。このマーブルケーキよ」
そう言って平らな皿に乗せられた素朴な二色のケーキを差し示す。
「あのね、このケーキ作っている時、たまたまうちにお客さんがきたの」
「もしかして……」
ヴィルヘルムスはファムがぐったりしている理由に察しがついた。この家に来る客といえば、自分以外では一種類しか思いつかない。
「うん。精霊。それでね、私がチョコレート菓子を作っているのを見て自分はもっと凄い物を作れるって自慢し始めたから、むかついてじゃあ作ってみてよって、余った材料渡したの」
「はあ」
今度はいったいどんなタイプの精霊が現れたのだろうか
「それでね、出来たのがこれ」
指し示す優雅な一品は先程と変わらないが、一気に怪しい物体に見えてきた。
「帰る時、すっごく機嫌良さそうだったの」
「はあ」
「ねぇヴィル、これ何か仕掛けられてないか調べられない? 精霊が作ったお菓子なんて、しかもこんなに綺麗な細工で。絶対何か仕込んであるわ」
「そうですね……」
見たところ霊素は感じられない。しかしどこか見覚えのあるような飾りだ。
ヴィルヘルムスは記憶を探り、王宮で聞いた話の中でひとつ思い出した。貴族たちがこぞって注文する菓子職人がいる。固定の店を持たず、大陸を渡り歩き究極の菓子を追求し続けている伝説の菓子職人。
有名菓子職人の元を訪ねることが多く、あちこち渡り歩いているため、いつどこに現れるかわからない。そのため一度滞在が知られると注文が殺到し予約で即埋まってしまうという。作れない菓子はなく、どれも一級品。そして特に見事なのはチョコレート菓子で、花を模した飾り付けは目にすると貴族ですら食べることがためらわれてしまうという。
まさか、あれが精霊だったと……?
確かに、一度口にした菓子ならば全て完璧に再現出来るといった伝説や、七十年前からあちこちに出没しているといった噂話もある。精霊だとしたら全てに納得がいくが……
「見た感じでは問題無さそうですが。その精霊は他に何か言っていましたか?」
「特に、でも、私がこのケーキをヴィルと食べるって言ったらいきなり作り出したの」
「そうですか」
それならばこれはヴィルヘルムスに対しての意図も含まれていることになる。
念のため法術で検査もしてみたが、何の反応もなかった。
「食べても大丈夫そうですが……どうします?」
「そうね、なら半分こしましょう。綺麗な飾りを壊すのはちょっと可哀想だけど……よいしょ」
そう言うとファムは台所から小ぶりのナイフを持ってきて一口大のちいさなそれを容赦なく二つに切り分けた。
「あと、こっちもよかったら食べて」
マーブルケーキも切り分けて小皿に取り分けるとヴィルヘルムスと自分の前に置く。
「ありがとうございます」
ヴィルヘルムスはファムのケーキを食べ始める。生地はそこまでしっとりとしておらず、見た目どおりの素朴な味わいだった。
ファムは精霊の残していったチョコレートを深刻な顔で見つめると、意を決してつまみ上げ口に放り込む。
「……すごく美味しい。……凄いわ。あの材料でこんなに美味しくなるなんて」
そう悔しげにつぶやいて机の上に顔を伏せる。
ヴィルヘルムスも精霊のチョコレートをつまみ、溶けないうちに口に運んだ。
「確かに美味しいですね」
口の中で一刻一刻と味が変化し、まるで甘味が全身のすみずみまで響きわたるかのように広がっていく。後味は満足感と名残惜しさが程よく残るもので、全てにおいて今まで食べたことのない味わいだった。
ひと通り堪能し終え、お茶で喉を潤すとヴィルヘルムスは口を開いた。
「マーブルケーキ、もう一切れいいですか?」
「え、ええ。別にいいけど……」
ファムは先ほどよりぎこちなくケーキを切り分け、再びヴィルヘルムスの皿に乗せる。
「さっきのチョコレートの後だし、その、食べられるの?」
「ええ」
ヴィルヘルムスはファムの焼いたケーキを今度はゆっくりと味わうように食べる。
「どう?」
「ファムのケーキも美味しいですよ」
ファムが自分の事を考えながら焼いてくれたのだ。不味いはずがない。
「個人としてはこっちのほうが好きです」
「そ、そう」
不安そうだったファムが一気に嬉しそうな表情になるのを見て、ヴィルヘルムスも笑顔を浮かべた。
ヴィルヘルムスには精霊の狙いが大体読めた。ファムの焼いたケーキと比較させたかったのだろう。人間を試す事が好きな精霊は多い。
だがどんなに試されてもヴィルヘルムスの答えに変わりはない。
「ファムがいらないなら残りも貰いますが」
そんなに大食ではないが、すべて食べられそうだった。
「た、食べる! 私も食べるわ。折角ヴィルにもらった材料で作ったんだもの」
ファムはそう言って慌てて自分の分のケーキを食べ始めた。
この頃他のみんなは…
・ライナちゃん達は緑閑国で苦労中。
・レーヘンはどこぞを徘徊中。
・ベウォルクトはお城に引きこもり中。
※ちなみにこの経験があったのでファムはレーヘンにパンケーキ作りを諦めさせませんでした。またチョコ職人精霊はかつて存在した菓子職人の技をまるまるコピーしてるので、レーヘンとは学習手順が違います。