精霊会合 後(第五章「海の騒乱 14」読了推奨)
人間とは違い利害関係というものが存在しない精霊達の間では、要求を認めさせるに相手に対して「何か」を提供する必要がある。
好奇心旺盛なのが精霊であり、旺盛すぎて人間の知らない所でも人間を知るために色々手を出し、その興味関心のおもむくまま突き進んでいる存在。そんな者達が納得し、満足するような「何か」。
それさえあれば精霊は多少無茶な依頼でもきいてくれる。
「とっておきのものを用意しました」
オーフの期待する声にレーヘンは笑みを見せ、ハーシェが眠る箱とは別の、くろやみ国を出発する際にレーヘンの唯一の荷物だった頑丈な取っ手付きケースをテーブルの上に乗せる。留め金を外して外蓋を外し、光沢のある紙に包まれた物体を取り出すと、包みをほどいて中身がよく見えるように差し出した。
レーヘンの両手に収まる大きさのそれをよく見ようと各国の精霊たちが覗き込むと、包みの中には人間の大人の手のひらよりやや小さい薄茶色の丸くて平らなものが十枚ほど重ねられていた。
「これはパン? いえ、ホットケーキという食べ物ではないですか?」
赤麗国のアカネが飾り紐のついた眼鏡をかけ、まじまじと観察する。
「そうです。ホットケーキともいいますが我が国ではパンケーキと呼んでいます。これは焼き加減も、粉の混ざり具合も、膨らみ具合も、国民すべてが認めた100%正真正銘のパンケーキです。細かい資料は先ほど皆さんの元に送りましたが、今回は実物も用意してきました。どうぞ手にとってご覧になってください。食べてみてもいいですよ」
精霊たちが観察するにどう見てもごく普通のパンケーキだった。特に人間の国に深く関わっている国精霊にとってはそれなりに見かけたことのある食べ物。そう珍しいものでもない。
「これがどうしたんだい?」
不思議そうにパンケーキを見ていたオーフが尋ねると、レーヘンは待っていましたとばかりに答えた。
「実は、これはワタシが自分で焼いたものなんです」
誰も発言しなくなり、闇の精霊が次の言葉を発するのを求めて皆の注目が集まる。
「ワタシはこのパンケーキ製作技術を、『練習』して取得しました!」
レーヘンの言葉に全員が静まった。静寂の中心にいる精霊は変わらず満面の笑みだ。
「なんと」
「まさか……」
「信じられない」
「そんなことがあり得るのですか」
「ワタシは料理を人から習って覚えたのです!」
ここ数百年なかった精霊達のどよめきが場を支配した。
「これは驚きです。わざわざそんな面倒な事をするなんて!」
「ワタクシなんてハーリカさまの記憶をコピーしていたからこそ再現、しかも人間の方にいつも協力をお願いしてなんとかこなせているというのに……」
アクシャムが目の前にあるパンケーキの存在が信じられないといった様子で指でつつく。
「オーフ、君が一番長く人間の傍にいますよね。料理の経験は?」
「確かに人間の国担当の精霊としては古株ですが、料理なんてしようと考えたことはありませんでした。ましてや、教わろうなんて」
シノノメの言葉に、驚きが隠せない様子でオーフは言う。
「精霊は記録をコピーして技術を習得したり、人間達を観察して学習することはできますが、直接ものを教わるのは非常に苦手とするはず。レーヘン、何故習得する事ができたのですか?」
アカネが尋ねると、レーヘンの笑みは深まる。
「我が国主がそう望まれたのです。このパンケーキの製法も国主さまから直接教わりました。何度も失敗しましたが、うまくいくまで付きっきりで面倒をみてもらいました!」
それはもう、ファム女王が良しと判断するまで(レーヘン自身では味や見た目の良し悪しの判断が出来ないので)、何枚も焼き、何度も失敗し、フライパンで焼くとうまくいかないので違うやり方をしても認められず(ファム曰くそれはパンケーキではなく別の小麦菓子だという)、しまいにはパンケーキに適した小麦の種類を選ぶ所から製粉方法まで見直して、道具も作りなおして、そしてまた材料の配合で失敗して、繰り返し失敗の果てにようやく到達した成果だ。
女王いわく「最後は意地の張り合いだったわ」と言われるほどの過酷で壮絶を極める猛特訓だった。
「これは面白い。人に教えるように精霊に料理を教えるとは。精霊術で使役するならもっと簡単で早いでしょうに」
おそらく白箔国、青嶺国あたりではそうする人間が多いだろう。赤麗国は精霊であることを隠し人間を装っているため精霊術が使われるこはないが。
「我が国の王は精霊術に精通しておりませんのでそういったことはしないのです。ですが我々を信頼してくださり、国民の一員として守るとまで言ってくださいました」
「信頼……」
ため息とともに言葉が漏れた。どの精霊から発せられたものかはわからないが、そこにはしみじみとした深いものがあった。
「国民の一員とは……これまで客や助言者、崇拝対象や調停役として国内で働く者はいましたが、仲間として扱われた者はいたかどうか」
「ちゃんと叱ってもくれるんですよ」
レーヘンは嬉しそうに笑う。
シノノメがパンケーキの一枚を手に取って全体を眺めた後、表面の焼き具合を観察し、そして端っこを小さくちぎると口の中に放り込んだ。
「なんと、ちゃんと美味しいではありませんか」
「当然です」
レーヘンは得意げに言った。ただしこの『美味しい』という味覚はファム達によって確認されたもので、レーヘン自身ではいまだによくわからなかったりする。反対にシノノメは表向き人間として赤麗国の宮廷にいるため、普段から人間の食事を食べ慣れて味もそれなりに理解できる。美味しいか不味いかの区別くらいは
「素晴らしい……精霊の作った食べ物が、ちゃんと美味しいとは……これは快挙ですよ」
「あああ! こうなるのでしたら本体で来れば良かった。ぜひともこのパンケーキを本体で味わいたかったです」
オーフが声を震わせ、残念そうに机に突っ伏す。
「アナタの本体って、王宮の地下にあるあのデカい方? それとも成層圏に浮いてる方? どちらにしろ無理でしょうが」
一枚のパンケーキを青嶺国の精霊たちと分けあってちまちまと口に運んでいたアクシャムが、オーフを横目に呆れたように言う。
「よろしければ、是非このクリームとシロップもお付けください」
何名かの精霊がパンケーキを手に取り初めたのを見て、レーヘンは得意満面の笑みで小さな器を取り出し、蓋を開けてすすめる。
「ま、まさか……まさかそんな」
「そうです。これらもワタシがつくりました!」
ちなみにこの付け合せのクリームとシロップが完成するまでにも数多くの失敗と苦労(主にファムの)があるのだが、ここでは割愛する。
再び室内は動揺の声に満ち、小さなガラス器具でクリームとシロップの試料採取する者まで現れた。
「くろやみ国は可能性を秘めた国ですわね」
「ええ。我々精霊と根気よく付き合ってくれそうな方が現れるなんて、今後の楽しみが増えたわ」
「くろやみ国の国主のこれからに期待します。ぜひまた情報を送ってください」
ひととおりパンケーキを(いろんな方面から)堪能した国精霊達は、満場一致で精霊間での協定を結ぶことを承認し、さらにそれ以外の精霊達もくろやみ国の精霊に協力を惜しまない事を約束した。
「そういえば、くろやみ国の国主さんは例のアレとも関係があるようですよ。アレが眠りにつく前、よく我が国に来ていましたが、あの白い家を尋ねることが多かったようです」
オーフが思い出したといった様子で言葉を発した。
「そうなのですか?」
レーヘンがわずかに顔色を変える。
「ならばしっかりと対処しておいたほうが良いようですね」
「ソレに関してですが……計画では会合後にこの場所へ誘導するはずでしたが、予定より早く目覚めました」
アカネがパンケーキを調べるのを中断し、話に入ってきた。
「我が国の人間達の不穏な動きがアレの行動に影響を及ぼしたようで、強引に眠りを中断された状態で、現在まともに話ができない状態だそうです」
シノノメの言葉にレーヘンの表情は暗くなる。
「それはやっかいな情報ですね。アレ、現状位置はいまどこでしたっけ?」
「もう海まできています。どうも何かの影響で予想以上に移動速度が早くなっているようですね。惑星軌道上にいる方に常時監視してもらっていますが、移動経路も想定していたものと違っていますし、大陸のほうで何かあったのでしょう。時間的には会合とギリギリ……といったところでしょうか」
「あら、それってけっこう……」
アカネの説明にアクシャムが口元に手をおき、表情を変える。
「ええ、ちょっとまずいかもしれません」