くろの騎士の脱出劇−湖畔の剣人−(−決勝−の続き)
第三章 くろの騎士と闘技場 5の続きの
くろの騎士の脱出劇−決勝−
の続きです。
2018/02/24:ちょっと加筆。
◆
「エシル、お願いがあるのですが」
揺れる視線と共にぎこちなく言葉を紡ぐユリアに対し、エシルはいつも彼女に対してするようににっこりと微笑む。
「君のお願いなら何でも叶えるよ、ユリア」
「『湖畔』を出してくれませんか」
◆
黒い姿のゲオルギに乗り、サヴァが闘技場から目一杯の速さで飛んでいると、街外れの草原にさしかかったあたりで結界に阻まれた。
先程の闘技場にあった糸のような結界とは違い、ぼんやりと光る水の薄い膜のようなもので、力づくでなんとかできそうなものではなかった。仕方がないので一旦地上に降り立つ。
『このまま一気に逃げないの?』と不思議そうにゲオルギが首を傾げる。
「どうも俺たちを見逃してくれないようなんでな」
そう言ってゲオルギの首筋をなでて労ると、草原に立つ人物の方を向く。
そこに佇むのは大空騎士団の上着を肩に羽織った女性だった。
「お待ちしておりました」
銀縁の眼鏡をかけ、肩を越える長さの緑と青の中間の色の髪を風に遊ばせながら微笑む。だがその優しげにもとれる笑みとは裏腹に、まとう雰囲気は薄い氷が張ったように緊張したもので、異様な取り合わせに相手の意図が読めなかった。そして女性の手に持つものを見て、サヴァは鎧の背に装着していた槍を手に持った。
(“刀”か……)
騎士の剣はたいていは拳の幅ほどのまっすぐなものが多いが、この刀という種類の武器は、片刃でゆったりと反った形状をしており、細身にもかかわらず恐ろしいほどの強度と切り裂く力がある。そして製造が難しいこともあり、大陸ではめったに遭遇することのないものだった。
サヴァはかつて育った地方で馴染みのあったそれを思い出し、ゲオルギをかばうように前に出て槍を構えた。鎧の探知機能であたり一帯をざっと調べたが、目の前の女性の他には誰もいないようだった。
「この周辺は事前に頼んで人払いをしてもらっています」
女性はそう言うと眼鏡を外して肩にかけていた上着の右胸のポケットに入ると、それらを草原の上に放り投げ、淡い水色のブラウスと制服のパンツだけになる。
そして右手に持った刀の鞘から涼し気な光を放つ細身の刀身を抜き出すと、そのまま踏み込んで斬りかかってきた。
「なっ」
想定していた以上の速さで来られて、サヴァは思わず槍と左腕で胴体と首をかばった。
「お相手願います。私と勝負して逃走できたならこの先の動向には目を瞑りましょう」
彼女の表情は恍惚としており、青白かった頬には色があり、澄んだ湖のように透明感のある水色の瞳はとろりとうるんでいる。
「さあ、闘いましょう、竜槍のサヴァ。私は貴方にずっと憧れていたんですよ」
◆
大空騎士団団長のエシルは約束した人払いの範囲のぎりぎり外にあたる見晴らしの良い丘の上に立ち、“遠視”の術で二人の闘いを眺めていた。草原を駆け抜ける風がきっちりと整えられていた彼の淡い紫色の髪を柔らかくほぐし、普段以上に感情の見えない顔に陰影をつけていた。
大会の終結とともに大空騎士団のうち各国所属部隊の指揮権はジェスル王子などそれぞれの部隊長の元に戻っていたのだが、エシルは先ほど大会の後片付けという名のもとに、強制的に大空騎士と衛士全員を団長の指揮下に置き、ユリアが闘いに集中できるように務めていた。
あえて間違った方向に人員を散開させるが規律上は何の問題もない。ジェスル王子が文句を言う以外は。
「おまえらはまともに仕事する気あるのか!」
「仕事はしていますよ。しかし仕事以上に騎士として生きているのです。特にユリアは」
エシルはジェスルに返事をしつつも、深みのある紫の瞳は微動だにせず草原の様子を“視”続ける。
彼はユリアの持つ氷のような刃がきらめくたびに胸の内が疼くのを感じ、それを間近で見ているであろうサヴァに対しての嫉妬を感じ、そして自分の心から沸き起こってくるそれら二つの感情を味わっていた。
「普段はあんなに大人しいのにな。副団長がああいう人物だと知っている奴なんて騎士団にもほとんどいないだろ」
「ええ。ユリアは奥ゆかしい人ですから、すすんで公言するつもりはないようです」
かつて顔を真赤にして黙っていてと言われたときのユリアの様子を思い出し、エシルは顔をほころばせた。
「ここだけの話ですが、私は彼女のそばにいるために騎士になったのですよ」
「見て薄々わかっていたが、本当だったのか。そんな動機でよく団長まで登りつめたな」
“くろの騎士”捕獲を諦めたのか、ジェスルは待機している法術師に追跡と探査の構築を指示すると、近くにあった岩に腰掛けて白箔王の依頼に対する報告書の作成に入っていた。
「ジェスルは“視”ないのですか?」
「おまえに殺されたくないから、副団長の素顔は見たくない」
「確かに剣を持っている彼女はとても美しく、あの姿を他の男が見るなどと」
ジェスルは今回の件で“くろの騎士”が確実にエシルの死の芳名帳に載ったことを知った。
◆
先程の紅濫将軍との闘いとは比べものにならないくらい、サヴァは苦戦していた。
くろやみ国でマルハレータと模擬戦をした時もそうだったが、サヴァは自分がどうにも女性と闘うことが苦手だと実感していた。
病弱な妹と一緒に暮らしてきて、病で寝込み、倒れ、転び、怪我をする姿にいつも心配させられて来たせいか、女性の身体の弱さに恐怖すら覚えている。
それに対して、くろやみ国でマルハレータは意識を変えろと言い、何度も暴力的に殴りかかってきたが、苦手意識を克服する前にローデヴェイクが現れ、マルハレータがサヴァと模擬戦をしようとする度に割り込んで本気で殴りかかってきて結局それどころではなくなってしまった。
その苦手意識の上に、今闘っている女性はかなりの剣の使い手で、高速で鋭く斬り込んでくる。何度か読み誤って剣戟を受けたが、そのたびに鎧に亀裂が増えていく。腕もそうだが、扱う刀も恐ろしく切れ味が良い。
「撃ち返してください。そうしないと、この『湖畔』の障壁は破壊できませんよ」
微笑みを崩さないまま、女性は言う。
「『湖畔』……まさか『湖畔の剣人』か? 三剣勇の」
『紅濫の烈士』、『紫塔の騎士』、『湖畔の剣人』は大陸の騎士なら一度は耳にしたことがある剣の使い手達だ。他にも数名いるがよく名が挙がる三名をまとめていつしか三剣勇と呼ぶようになった。前者二名は顔も本名も有名だが、『湖畔の剣人』は人前にほとんど出てこず、山奥で修行している剣士のことだと言われていたが……
「剣でしたらそうなりますね。ですがそこに槍も含まれるのでしたら貴方だって有名なのですよ? 『緑閑の竜槍』」
サヴァは下から斬り上げてきた一撃を槍で受け、一瞬の溜めを入れると一気に振り払う。
「あれは俺をからかう名前だったんだがな」
竜のような外見で竜に乗り、剣が苦手な槍しか取り柄のない騎士。
それがいつしか通り名になり国外にも通じるものになっていった。
故郷が滅んで妹以外の身寄りが存在しない上に、竜肌のような模様と左目という奇異な外見。緑閑国でのサヴァは騎士仲間からは認められていたが、騎士団の上層部からも一般市民からもあまり好意的には見られていなかった。
実力主義の騎士団の中ではそれなりの地位にいられたが、常に周りに認められるために過酷な仕事を多く引き受け、家に帰る事も少なくいつも妹に寂しい思いをさせていた。挙句の果てに妹が攫われてもすぐに動くことが出来なかった。
「俺は俺だ。もう緑閑国の人間ではないし、そのうちまた別の名前がつくだろう」
「今度は別の国の騎士として?」
『湖畔の剣人』はサヴァの槍を刀の背の部分で受けると顔を寄せ、鎧の奥、黒い仮面の下のサヴァと視線を交わしながらささやいた。
「貴方はこれからも戦うのですか?」
サヴァは彼女の瞳から目を逸らすことなく答える。
「ああ。俺は戦う。守るものの為に」
自分を受け入れ、妹のライナの命を救い、追放されたシメオンを歓迎し、竜のゲオルギと共に静かに暮らす事が許される国を。
「そうですか。では次に会う時は……」
『湖畔の剣人』は寂しそうに顔を曇らせ、力をゆるめて刀を引く。
「女性への耐性をあげておいてください!」
そして再び刀に殺気をこめて一気に斬り込み、サヴァが避けたところをまた畳みかけて斬りかかってくる。
「こんな状態だとまともに闘えないじゃないですか! 守るものも守れませんよ、サヴァ!」
「あ、ああ」
いきなりの勢いに圧倒されて、数撃受けて、もう本当に鎧の耐久具合が危なくなってきたのでサヴァは逃げに転じた。
刀に追われながら周囲を探ると、行く手を阻まれた水の薄い膜のような結界は消えて、騎士と衛士の集団に遠巻きに包囲されつつあった。
ゲオルギが様子に気付いて駆け足で近づいて来たところに飛び乗ると、一気に飛び上がらせる。
「じ、助言に感謝する。それでは!」
「感謝じゃなくて、もっと強くなってくださいと言っているのです!」
遠ざかる中で『湖畔の剣人』からの叫びが聞こえてきた。
「つ、疲れた……」
ゲオルギの背の上でがっくりと頭を垂れ、サヴァは思わずそうつぶやく。また女性への苦手意識が強くなった気がした。
ちなみにこの一件のおかげで後にエシルに本気の殺意で突っかかられる事になるとは、この時のサヴァはまったく予想していなかった。
兄さんの女難
「くろやみ国と準備 1」でぐったりしていたのはこういった事があったからなのです。