5 出会い
成鬼の儀が終わっても、耳の奥ではずっと太鼓が鳴っていた。
血の匂いも、鬼たちの笑い声も、体の中にこびりついて離れない。
ジンは興奮しっぱなしだった。
「なぁトウヤ! 見ただろ? あれが強さだ! 来年は俺たちの番だぜ! 俺は誰よりも血を飲んで、誰よりも強い鬼になってやる!」
「……あっそ」
つい、そっけなく返してしまった。
ジンがこちらを見る。
大事なおもちゃに泥をぬられたって感じの顔。
「なんだよ、さっきから冷めたことばっか言いやがって」
ジンが僕の顔をのぞきこむ。
「お前、泣いてたのか?」
胸がズキッと痛んだ。
「ねぇジン。人間を殺して、血を飲んで笑って……それが強さだって思うの?」
ジンの表情がこわばる。
「は?」
「僕には……わからないよ」
口に出た声は、自分でも驚くほど弱々しかった。
「わからないじゃねぇよ!」
怒鳴り声が地面をゆらす。
ジンが一歩、強く踏み出してくる。
「お前はあいつらの味方か? 鬼より人間のほうが大事なのか?」
「そんなこと言ってないだろ。ただ、あんなのは違うんじゃないかって――」
「違う?」
ジンの眉がギュッと上がる。
その瞳の奥で、何か黒いものがゆれた。
「お前は、人間がどういう奴らか……知らねぇんだよ」
ジンの声が、ほんの一瞬ふるえた
怒りじゃない。もっと深い、いやな感じのふるえ。
「ジン、僕はさ――」
言い終わらないうちに、拳が飛んできた。
頬をかすめただけですんだけど、殴られた事実に言葉を失った。
ジンは歯をむきだしにして言った。
「お前、鬼じゃねぇみたいだ」
「そんな言い方……」
「じゃあどう言えばいいってんだよ!」
ジンの声は怒りだけじゃない。
どこか、裏切られたような――そんな色が混じっていた。
「勝手にしろ!」
ジンは振り返らず、鬼たち集まる炎のまわりへと戻っていった。
冷たい風が吹きぬける。
胸の中がぽっかりと空いたって感じ。
言い返したかったけど、できなかった。
だって、おかしいのは僕の方だってわかっていたからね。
気づけば、僕は歩き出していた。
ただ、この場所から遠ざかりたかったんだ。
※
どれくらい歩いただろう。
僕は里の北へ広がる“暗がりの森”へと足を踏み入れていた。
暗がりの森には誰も近づかない。
冷たくて、ジメジメしていて、昔から“よくないもの”がいるって言われている。
でも、里に戻る気にはなれなかった。
ひとりになりたかった。
「くそ、なんで、あんなに怒るんだよ」
転がった小石を力いっぱい蹴とばした、そのとき。
ガアアアアアッ!
森の深くから、腹の底に響くような咆哮。
背筋がぞくりとする。
この声は知っている。
森食い熊――大鬼でも手こずるほどの化け物。
まぎれて、細く切れた悲鳴が聞こえた。
「いや……来ないで……!」
僕は考えるより先に走っていた。
体が勝手に動く。
木々をかきわけて飛び出すと、ひらけた場所に出た。
そこで、あっと息が止まった。
森食い熊が、地面に倒れている少女に覆いかぶさろうとしている。
少女は僕と同じくらいの年。
黒い髪は泥にまみれ、破れた服から細い腕がのぞいている。
そして、少女の額には角がなかった。
――人間!?
「やだ……だれか……」
少女は助けを求めて、泣いている。
僕は思わず叫んだ。
「やめろ!」
森食い熊がにぶい音を立てて振り返る。
黄色い瞳がぎょろりと光り、地面をけって突っ込んでくる。
僕は近くの石をつかみ、全力で投げた。
ゴッ!
森食い熊の目の上に当たり、一瞬だけ動きが止まる。
そのすきに少女に駆けよって腕をつかむ。
「逃げるよ!」
少女と目があう。
泣きはらして赤い瞳が、一瞬だけ安心したようにゆれる。
だけどすぐ、僕の手をふり払った。
「さ、さわらないで!」
その視線にはっきり恐怖があった。
――化け物を見る目
胸がちくりと痛んだけれど、今はそれどころじゃない。
背後で森食い熊がほえる。
「立ってくれよ! 走れるだろ!」
「いやっ、来ないで! あなたも鬼なんでしょ!」
「ああもう! 頼むから来てくれよ!」
僕は少女の腕をもう一度つかんだ。
今度はふり払われなかった。
力が入らないほど震えていたからだ。
僕は少女を引きずるようにして走る。
後ろから森食い熊が木を押し倒しながら追ってくる。
ドオンッ、ドオンッ。
大地がゆれるほどの足音。
「こっちだ!」
少女は何度も転びかけ、そのたびに腕を引いた。
泣きそうな声がこぼれる。
「……はなして、はなしてよ!」
「はなしたら死んじゃうだろ!」
言った瞬間、少女の足が少しだけ強く動いた。
森食い熊の咆哮が背中を押す。
木々の間に、細い岩の隙間が見えてきた。
――あそこならこいつは入れないぞ
少女の手をにぎり、その隙間へ飛び込んだ。
突っ込んできた森食い熊は、入口にはさまり、暴れ狂った。
僕は少女をかばうように壁際に押しやる。
「はあ……はあ……ここならもう大丈夫」
息をしながら、あらためて少女を見る。
少女は涙をためた目で、じっと僕を見つめてくる。
そして、小さくつぶやいた。
「なんで、助けたの?」
僕は答えられなかった。
だって、自分でも理由なんてよくわからないんだから。
少女は僕から離れるように身をよじり、敵意むき出しの声で言った。
「どうせ、食べるためなんでしょ」
全身を抱きしめるようにして、キッとにらむ。
「……さっき……見たのよ」
「……僕は君を食べないよ」
「嘘!」
「嘘じゃない。僕は君を食べない。食べたくないんだ」
泣きそうな情けない声が出た。
少女は少しだけ意外そうな顔をして、すぐに首をブンブン振った。
「し、信じられない。だって……人間を……あんなふうに」
少女は泣き出した。
近くで見ると、本当に小さかった。
僕と同じ歳くらいなのに、細くて、すぐに折れちゃいそうだ。
「怖かったろ」
少女は強がるように押しだまった。
でも、それが答えじゃないか。
「……僕も怖かったよ」
「え?」
僕は自分の髪をかき上げる。
「ほら、角ないだろ。僕は角なしの欠け者で、鬼の中でも変わり者みたいなんだ。だから、君を食べたりなんかしない。いや、できないんだ」
さみしい笑いがこぼれた。
少女は迷っている。
信じたい。でも、怖い。そんな顔。
そのとき、森食い熊がまた入口に体当たりし、洞窟がぐらりとゆれた。
少女は思わず、僕の服をぎゅっとつまむ。
「ここを離れよう。もっと奥に行けば安全だよ」
少女はこくんとうなずき、僕の袖をそっとつまんだ。
「……ありがと」
今にも消えそうな声だった。
「いいよ」
胸の奥が少しだけ温かくなった気がした。
この日――僕はただ、泣いている少女を助けたかっただけなんだ。
だけど、鬼の世界はそんな優しさを許さない。
この出会いは救いなんかじゃない。
奇跡なんかじゃない。
ただの落下の一歩目だった。
僕と少女の先にある道に、光なんてひとつもなかった。
毎日一話書いていこうと思います。
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