6 鬼界
あたりは灰色だった。
どこを見ても死んだような景色。
血と、土と、腐った肉のような匂いがする。
懐かしくて、吐き気がするほど嫌いな世界。
「……これが鬼界か」
すぐ後ろで、かすれた声がした。
振り向くと、蓮が土に片膝をついたまま、あたりを睨みつけている。
顔は青く、刀を握る手には力が入りすぎていた。
無理もない。
はじめてなら、こんな場所、正気でいられるはずがない。
「おい」
蓮が低く言う。
「お前、怖くないのか?」
僕は少しだけ黙った。
怖いよ、なんて言うのも違う。
懐かしい、なんて言えるわけもない。
だから、短く答える。
「……別に」
蓮の眉がぴくりと動いた。
「強がるなよ」
「強がってない」
立ち上がって、周囲を見渡す。
裂け目は、僕らの後ろにまだ揺れていた。
でも、それも長くは続かなかった。
ぐにゃり、とゆがむ。
「あ」
蓮が息をのんだ。
「おい、待て」
裂け目は返事なんてしない。
ゆっくり、でも確実に形を失っていく。
次の瞬間、音もなく消えた。
そこにはもう、灰色の空気しか残っていなかった。
「くそっ」
蓮が悪態をつく。
「これじゃあ帰れないじゃないか」
その声には焦りがにじんでいた。
僕はまわりを見回しながら言う。
「紅羽さんたちを探す」
「は?」
「この近くにいるはずだ」
「お前、何を――」
「戻る道がないなら、動くしかないだろ」
蓮は何か言い返しかけた。
でも、言葉は続かなかった。
「……わかったよ」
背後にはどこまでも続く荒野が続いている。
前方には崩れた都市があった。
黒く崩れた塔。
倒れた城壁。
壊れた建物の影。
知らない場所だった。
僕らは、その都市に向かって歩き出した。
風が吹くたび、砂がさらさら鳴る。
しばらく進んだときだった。
崩れた建物の陰に、何かが転がっているのが見えた。
鬼の死体だ。
半分ほど食い荒らされていている。
肉は黒ずみ、骨がのぞいている。
蓮が顔をしかめる。
「ひどいな……」
そうつぶやいたとき。
ずるり。
死体の腹のあたりが動いた。
「っ!」
蓮が反射的に刀を抜く。
でも、その前に僕は低く言った。
「動くな」
蓮が目を見開く。
「何?」
「刺激するな」
死体の裂け目から、細長いものが這い出してくる。
腕みたいに細い胴。
やたらと長い首。
骨ばった指先。
口だけが異様に大きく裂けていて、その中で小さな歯がびっしり並んでいた。
骨食い。
鬼界の掃除屋だ。
戦う鬼じゃない。
骨食いは死体に頭を突っこむと、ばき、ぼき、と嫌な音を立てはじめた。
蓮の顔を引きつる。
「なんだ、あれ」
「骨食い」
「知ってるのか」
「知ってる」
「だったら、なおさら斬るべきだろ」
「やめろ」
僕は骨食いたちから目を離さず言った。
「一匹ならいい。でも、刺激すると群れる」
瓦礫の隙間が動いた。
一体。
さらに二体
そして、もう四体
細長い影が這い出してくる。
蓮の呼吸が止まる。
骨食いたちは互いに身を擦りつけながら、死体に群がっていく。
ばきばき。
ごりごり。
骨を砕く音が、いやにはっきり響いた。
「……っ」
蓮の喉が鳴る。
刀を握る手に力がこもる。
でも抜かない。
飛び出さない。
ちゃんと耐えていた。
僕は小さく息を吐く。
「行こう」
蓮は数秒おいてから、ようやく刀をおさめた。
「お前の言うことを聞いたわけじゃないからな」
「ああ、わかったよ」
「むかつく言い方だな」
「いちいち噛みついてくるからだろ」
「お前が気に食わないんだ」
「あっそ」
言い合っている場合じゃないのに、口だけは動く。
でも、そうしていたほうが、少しだけ平静を保てる気もした。
ふいに、蓮が足を止めた。
その視線の先を追う。
少し離れた岩場の上に鬼がいた。
灰色の皮膚。
曲がった角。
ただ立っているだけに見える。
でも違う。
一定の間隔で周囲を見回している。
巡回だ。
蓮が刀の柄に手をかける。
「一体ならやれる」
「だめだ」
即座に言う。
蓮が苛立ったように振り返る。
「またか」
「よく見ろ」
僕は顎で鬼たちを示す。
「腰」
蓮が目を細める。
そこには短い角笛が下がっていた。
「あれが何だ」
「群れの境界を見張ってる鬼だ。見つかったら、すぐ仲間を呼ばれる」
蓮が無言になる。
「……なんでそんなに詳しい」
その問いに、僕はすぐには答えなかった。
風が吹く。
巡回の鬼たちは、まだこちらに気づいていない。
僕は声を落とした。
「鬼の世界にいたことがある」
蓮の目が見開かれる。
「は?」
「前に」
「前ってなんだよ」
「そのままの意味」
蓮は僕の顔をじっと見た。
冗談を言っている顔じゃないとわかったんだろう。
「……鬼に捕まっていたのか」
僕は答えない。
蓮が小さく舌打ちした。
「悪かった。嫌なこと思い出させたな」
僕は視線を逸らす。
騙しているようで気分が悪かった。
蓮が低く言う。
「俺は鬼のことなんて知りたくもない」
僕ははっきりと言う。
「知るべきだ」
「なんでだ?」
僕は巡回鬼から目を離さず言った。
「殺すため」
蓮が黙る。
しばらくすると、巡回鬼が姿を消した。
そして、遠くでかすかに鋭い音が響いた。
金属がぶつかる音。
続けて、獣みたいな咆哮。
――戦ってる。
僕は走り出した。
「おい!」
蓮が慌てて追ってくる。
「待て、勝手に――」
「こっちだ!」
僕は瓦礫を飛び越え、崩れた石壁のあいだを抜ける。
戦いの音が近づく。
僕らは、その方向へ駆けていった。
毎日一話書いていこうと思います。
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