38 もうひとつの家族
一週間ほどの旅程を経て、フィオレッタたちはエルグランドに戻った。
王都での出来事が嘘のように、領地の空気は穏やかで、どこまでも澄んでいる。
城に到着すると、真っ先に駆けてきたのはティナだった。
「フィオおねえちゃま! おじちゃま!!」
「ティナ、ただいま」
勢いよく抱きついてきたものの――その小さな肩がぶるぶる震え、次の瞬間には表情がくしゃりと歪む。
「……う、うぇぇ……おそかったぁ……!」
ぎゅうっと服を掴んだまま、しばらく離れようとしない。フィオレッタはそっと抱きしめ、ヴェルフリートも優しく頭を撫でた。
「えらかったわね、ティナ」
「すまない、ティナ。もう大丈夫だ」
そんな家族の姿を遠くから見ていたクラウスが、たまらず走ってくる。
「……ヴェルフ、どうだった?」
こっそり聞いているつもりだろうが、フィオレッタの耳にも届いてしまっている。仕方ないので聞こえないふりをすることにした。
ヴェルフリートが簡潔に結果だけを伝える気配がする。
「うおおおおっ、やったじゃんヴェルフ! 迷子にならないように、何度も下見してた努力が実ったな~~~!!」
「……クラウス、あとで話がある」
(私は何も聞いていないわ、何も聞いていない……)
フィオレッタは笑みが溢れそうになるのを我慢しながら、スカートに抱きついているティナと視線を合わせるためにしゃがみこんだ。
「ティナ。かわいいおかおを見せて?」
「うっ、あああ~~ん!」
大粒の涙がぽろぽろこぼれて、つやつやした頬にきらりと光る。
泣きじゃくりながらも必死に抱きついてくる小ささが、胸がぎゅっとなるほど愛おしい。
(これからは、私もあなたを守るわ)
これまでよりも、一層愛おしく、大切な存在。ティナや城の人々の出迎えを受けて、フィオレッタはこの場所を守りたい気持ちをさらに強めた。
***
エルグランドに戻ってから、一週間が過ぎた。
その朝も、ティナは元気いっぱいだった。食卓に着くなり、ぱっとフィオレッタを見て笑う。
「今日は、フィオおねえちゃまとたくさん遊ぶの! おじちゃまもいっしょよ、やくそくしたもん!」
その言葉に、フィオレッタは自然と微笑んだ。ヴェルフリートも頷いている。
王都にいた期間の寂しさを埋めるように、この一週間はティナとたくさん過ごすことができている。
「ええ。今日は三人で過ごしましょう」
ティナは大喜びで椅子から飛び降り、両手を広げて二人の手を引いた。
「じゃあね、あのおはなばたけにいきたい! フィオおねえちゃまにあったところ」
「いいわね。行きましょうか」
「もちろんだ」
こうして三人であの花畑へと向かう。ヘルマと一緒に準備したサンドイッチや焼き菓子を籠に詰めて、ピクニックもするつもりだ。
季節はすでに移り変わり、かつて春に見た花々とは違う景色が広がっていた。
風に揺れるのは、金色や紅色の穂花、可憐な秋桜のような野花たち。
「……きれい……!」
ティナの小さな声が、秋風に溶ける。
フィオレッタはその横顔を眺めながら、胸の奥に静かな確信を抱いていた。
(今日、伝えよう)
ヴェルフリートも同じ思いらしい。
ティナの手を握りながら、フィオレッタにそっと目で合図を送った。
「ティナ。ちょっと、こっちに来てくれる?」
「うん、なあに?」
フィオレッタがしゃがみこみ、ティナと同じ目線に合わせる。
ティナはきょとんとしながらも、素直に二人の間へちょこんと座った。
「ティナに……お願いがあるの」
「おねがい……?」
「ええ。とても大事なお願い」
フィオレッタは、そっとティナの小さな手を包んだ。
指先は少し冷たくて、けれどその握り返しは心細さを訴えるように、ぎゅっと強い。
(本来ならティナは、前辺境伯夫妻と一緒に幸せに暮らすべき子だったのに)
身勝手な男が、この幼い子の家族を奪った。それは許し難いことで、オルドフが刑に処されたとしてもその無念さや怒りは消えないだろう。
ティナはまだ、たまに夜泣きをすることがある。父や母のことを呼びその悲痛な泣き声を聞いても、背中をさすってあげることしかできない。両親を亡くした悲しみは幼い心が抱えきれないほど大きいのだ。
フィオレッタは、そっと微笑む。
「ティナ。私が……あなたの新しいお母様になってもいいかしら?」
「フィオおねえちゃまが、おかあちゃま……?」
子どもにもすぐ伝わる、まっすぐで優しい言葉を選んだ。
ティナはぱちぱちと瞬きをする。ティナなりに一生懸命に考えていることが、すぐにわかった。子どもは大人が思っているよりもずっと聡いのだ。
「……ほんとうに……?」
「ええ。ティナがそうしてほしいと思ってくれるなら、私はとても嬉しいわ」
そう言うと、ティナは勢いよくフィオレッタの胸へと飛び込んだ。
「いい!! フィオおねえちゃま、おかあちゃま、すっごくいい!!」
小さな腕が苦しいほどに抱きついてくる。
フィオレッタは胸がじんわり熱くなって、強く優しく抱き返した。
「ありがとう、ティナ。私もずっと、一緒にいたいわ」
ちらりと見上げると、そのやり取りを見守っていたヴェルフリートは視線をそらしながらも、目元をごしごしと押さえていた。
ヴェルフリートが辺境伯となった今、前辺境伯の娘であるティナの立ち位置は難しいものだ。今は姪っ子として可愛がっていても、いずれその曖昧な地位を狙う輩がいるかもしれない。
(養子に迎え入れたら、ティナの立場は揺るがないわ)
ヴェルフリートはいずれティナを辺境伯に立てようとしている。そのためには、しっかりと後ろ盾としての意思を示す必要があった。ようやく領地を巡る問題が解決し、その手続きに踏み切ることになったのだ。
「フィオおねえちゃま……えへへ、おかあちゃま!」
顔を上げたティナは、涙の跡もそのままに、花が咲くような笑顔を向けてきた。
その呼び方に、フィオレッタの胸がきゅっと温かくなる。
「……じゃあ、おじちゃまは、おとうちゃま?」
小首をかしげながらヴェルフリートを見るティナ。突然の矢印に動揺したのは、当の『おじちゃま』だ。
「あ、ああ、そうなる……!」
声はにじむほど喜びが溢れ、銀のまつ毛がふるりと揺れる。隠しきれない嬉しさが滲んでいる。
ティナはぱっと笑顔になり、ぱたぱたと駆け寄ってヴェルフリートのコートをぎゅっと掴んだ。
「おとうちゃま! わーい! ねえねえおとうちゃま、ティナねえ、おたんじょうびにほしいものがあるのよ!」
破壊力抜群の『おとうちゃま』連打に、ヴェルフリートは完全に撃ち抜かれている。ティナを抱き上げ、真剣な表情だ。
「ほしいものか。なんでも言ってみろ。できるかぎり叶えてやる」
「えっとね……」
ティナは少し考えて、にこーっと笑った。
「いもうとと、おとうとがほしい!!」
「………………え?」
「………………えっ?」
ヴェルフリートとフィオレッタの声が、完全に重なった。
ふたりの時間がぴたりと止まったかのように固まり、ティナだけが満面の笑顔だ。
「だって、ティナね、ずっとひとりだったの。おかあちゃまとおとうちゃまがいたら……つぎはね、きょうだいがいたら、もっとたのしいでしょ?」
「そ、そうだな」
「クラウスがね、そうしたらおるすばんもさみしくないよっていってた!」
「っ……いや……ティナ。それはだな……」
「ティナ、その……とても、素敵なお願い、ですけれど……」
純粋無垢な瞳でまっすぐ言われ、ヴェルフリートは盛大にむせている。
クラウスは一体ティナに何を言っているのだろうか。フィオレッタも真っ赤になりながら視線を逸らすしかない。
大人二人が完全に狼狽えている横で、ティナだけは嬉しそうに手をぱちぱち叩く。
「おかあちゃまとおとうちゃまがふたりもいて、うれしいな」
その一言は、ふたりの胸の奥にすとんと落ちた。
さっきまでのあわあわした空気が、ふっとほどけていく。
秋風が揺らす花畑の中で、フィオレッタとヴェルフリートは思わず顔を見合わせ、照れたように、でも確かに微笑んだ。
自然と三人の距離が縮まり、手と手がつながる。
季節が変わっても、この温もりだけは変わらない。
そんな未来の気配が、やわらかく包み込むように広がっていったのだった。
***
それからのエルグランド領は、穏やかな繁栄の時代を迎える。
冷静で実直な辺境伯ヴェルフリートと、聡明な賢妻フィオ。
ふたりの歩調は不思議なほどに合っていて、領民たちはいつしか彼らを理想の夫婦と呼ぶようになった。
やがて、その背を見て育った娘――ヴァルティーナ・エルグランドが跡を継ぐ頃にも、その治世の穏やかさは変わらなかった。
民を想い、家族を大切にし、誇り高く歩むこと。
それはエルグランド家の未来を照らす灯となり続けたのであった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。拙い部分もあったかと思いますが、ティナを愛でていただければ幸いです!!!
★★★★★評価などなどいただけると嬉しいです。
お付き合いありがとうございました!




