37 家族になる
第三王子ルシアンへの告発、そして監察局の調査によって、事件の全容は瞬く間に王都中へ広がった。
ルシアンは賭博による莫大な損失と虚偽告発の罪によって、王命で正式に廃嫡。財産も全て返上した上で、南部の塔での幽閉を命じられた。
エミリアは婚約解消後、本人の希望により修道院に送られた。暴言を吐き散らしていた彼女が、最後には「……公爵家じゃないところで静かに暮らしたい」と呟いたのが印象的だったそうだ。
そして、フィオレッタの両親――グラシェル公爵夫妻は、不正横領に関与していたわけではなかったものの、娘を守るどころか王家の圧力に迎合し冤罪を助長したとして、叱責と身分縮小を受けた。
華やかな公爵家は侯爵家へ降格し、王都での影響力も大きく失うこととなった。これから針の筵だろう。
その処遇について、フィオレッタは何も口を挟まなかった。必要な決定だと、静かに受け止めただけだった。
(ようやく、すべて終わったのね)
王都での役目をすべて終えたその夜、フィオレッタはタウンハウスの窓辺でそっとため息をついた。明日には辺境に向けて出立する予定だ。
心は驚くほど静かで、胸の奥まで澄んだ風が通っていくようだった。
そんな時、控えめなノックが響く。
「フィオ。少し、いいか」
扉を開けると、ヴェルフリートが柔らかな表情で立っていた。
「散歩に行かないか。もうしばらく王都には来ないだろうから、夜風にあたるのも悪くないだろうと思って」
不器用に付け足すような誘い方に、フィオレッタは思わず笑みをこぼす。
「はい。喜んで、お供いたしますわ」
「そうか!」
*
タウンハウスの前に出ると、夜気はひんやりしていたが、王都の光はまだ眩しいほどに輝いていた。
玄関前には、一台の馬車が待っている。
御者が静かに帽子を下げ、灯されたランプがほのかに黄金の輪郭を作っていた。
「馬車で行くのですか?」
フィオレッタが小首を傾げると、ヴェルフリートは視線を逸らしながら手を差し出す。
「ああ。少し付き合ってほしい」
その声音には、不思議と逆らいがたい静かな熱が宿っている。フィオレッタが手を重ねると、ヴェルフリートはそのまま馬車へとエスコートする。
扉が閉じると、街灯の移ろいが窓をなぞり、馬車はゆっくりと石畳を進み始めた。
「どこへ向かっているのですか?」
「着けばわかる」
素っ気なく聞こえるが、いつもよりわずかに声が硬い。
いつも堂々としている彼が、珍しく落ち着かない。
(ヴェルフリート様、どうしたのかしら)
不思議に思いながら、フィオレッタは窓の外を眺める。
外の景色が賑わいから静けさへと変わり、馬車が緩やかに坂道を登り始めた。
「……こんなふうに、夜に外へ出るのは初めてです」
ぽつりと零した言葉に、ヴェルフリートの肩がわずかに動く。
「初めて?」
「ええ。朝から夕までやることがたくさんあって、自由に過ごせたことはなかったかもしれません」
息を吐くように言うと、馬車の中の空気が少しだけしんみりしてしまった。
ヴェルフリートは、何か言いたげに視線を伏せる。
(ここで私は、何も自由に選べなかった。それに……)
望めばなんでも手に入ると言われている王都で、その実フィオレッタは何も手にすることができなかった。
けれど、今――
そっと揺れる馬車の中で、フィオレッタはふと思ったことをそのまま口にしてしまった。
「こんなに楽しいのは、ヴェルフリート様とご一緒だからかもしれません」
純粋な、飾り気のない笑顔。
まっすぐに向けられる翠の瞳は、淡いランプの光を含んで宝石のように揺れていた。
ヴェルフリートの呼吸が、ほんの一拍遅れる。
「…………フィオ。それは……」
「はい?」
本当に無邪気に首をかしげるその仕草が、追い打ちのように甘い。
彼は強く目を伏せ、喉の奥で何かを押し殺すように息を吐いた。
「……覚えていろ」
「え? 何かおっしゃいましたか?」
「何でもない」
明らかに動揺した低い声。
普段は揺らがない男の、珍しく不器用な沈黙。
(今、何か変だったかしら?)
フィオレッタが思案する一方で、ヴェルフリートの耳はほんのり赤く染まっていた。
それからしばらくすると、馬車は目的地に到着したらしく静かに停まった。
ヴェルフリートに促されて降車すると、夜風が頬を撫で、フィオレッタの髪をふわりと揺らした。
「まあ……!」
展望台のようになっている丘の向こうには、王都の街並みがあった。特に明るいところが繁華街だろうか。夜空には星が煌めき、幻想的な風景が広がっている。
「綺麗ですね! ……ヴェルフリート様?」
思わず吐息が零れる。隣に立つヴェルフリートに同意を求めてのことだったが、彼はフィオレッタを見つめたまま微動だにしていなかった。
(どうしたのかしら)
なぜだか胸の奥がきゅっと掴まれるように緊張してくる。
ヴェルフリートはゆっくりと息を吸い込み、迷うように、それでいて決意を宿した指先で、そっとフィオレッタの手に触れた。
「フィオ」
名を呼ぶ声が、かすかに震えている。
彼はフィオレッタの指先をひとつずつ確かめるように包み込み、そのままゆっくりと膝を折った。
ヴェルフリートがフィオレッタを見上げる。今宵は満月。月明かりに照らされた銀の髪は幻想的で美しい。
驚きに息を呑むフィオレッタの前で、彼はひとつ深く息を吐く。それから彼女の白い指先に、そっと唇を落とした。
ヴェルフリートは唇を離し、見上げた瞳に揺るぎない覚悟を宿していた。
「俺は、君を幸せにしたい」
低く静かな声が、夜気の中でまっすぐ届く。
「もう誰にも傷つけさせない。フィオが笑うなら、何だってする」
跪いたまま、彼は言葉を探すように一度だけ息を整えた。
彼の手が、そっと彼女の指を包み込む。
「フィオ。いつも誇り高く優しい君を、俺は本気で好きになってしまった。契約ではなく、正式に俺の妻になってくれないだろうか?」
飾り気も、比喩も、虚勢もない。
ただ一人フィオレッタだけに向けられた、実直な願い。
フィオレッタは胸の奥が熱く満ちるのを感じながら、そっと唇を震わせた。
(私の答えは決まっているわ)
ヴェルフリートのそばだと、息がしやすい。そのままのフィオレッタでいいと、彼の行動が示してくれる。フィオレッタにとっての大切なものは、もはやエルグランド辺境領にしかない。
「はい。私もあなたをお慕いしています。ヴェルフリート様の本当の妻に、なりたいです」
その瞬間、跪いたヴェルフリートの表情が、驚きと歓喜に揺れた。
そして立ち上がると、彼はそのままフィオレッタを抱き寄せた。
「フィオ! 良かった、嬉しい」
低く掠れた声は、普段の彼からは考えられないほど弱く、必死だった。
「私も、とても嬉しいです」
目頭が熱くなる。誰かを大切に思い、思われることの幸せ。涙が溢れて止まらなくなった時、ヴェルフリートがフィオレッタの頬へ手を添えた。
親指で涙をそっと拭う。無骨な手の優しい仕草に、フィオレッタの胸は愛しさでいっぱいになる。
「馬車では我慢したんだ」
「え?」
その言葉と同時に、彼の唇がそっとフィオレッタの口元に触れた。
一度離れて、それだけでは足りないと言うように、もう一度。
さらに角度を変えて、深く、甘く、確かめるように。
「愛してる、フィオ」
ヴェルフリートは小箱から取り出した指輪を、震える指先でそっとフィオレッタの薬指へ滑らせた。
月明かりを受けて宝石が淡く瞬き、ふたりの影が寄り添うように重なる。
「これからの人生を、俺とティナと共に歩んでほしい。あの子を立派に育てることが、兄さんたちへのせめてもの弔いだと思っている」
低く、確かな声。責任感の強い彼らしい言葉に、フィオレッタは微笑み、そっと彼の手を包み込んだ。
「はい、もちろんです。家族がふたりも出来るなんて、幸せすぎますわ」
フィオレッタにとって心からの言葉だ。ティナとヴェルフリートは、ずっと前からフィオレッタにとっての家族だった。改めて口にすると、ますますその思いが強くなる。
「……ティナはどうしているだろうか」
「……ティナはどうしているかしら」
ふいに、二人で同時に辺境にいるティナのことを口にする。
今回お留守番となったティナを、出発前はたくさん泣かせてしまった。帰ったらたくさん遊んであげなくては。
「クラウスがなんとか頑張っているだろう」
「リゼとヘルマさんがいればきっと大丈夫ですわ」
家族を想うこの会話がなんだかとても温かくて、フィオレッタとヴェルフリートは顔を見合わせて微笑みあったのだった。
お読みいただきありがとうございます。次回、最終話です!!




