35 真実
ふたりは最後に見た時よりどこかやつれ、頬には疲労の影が落ちている。豪奢な衣服も以前のような華やかさはなく、どこかだらしなく皺ばかりが目立っていた。
その横に寄り添うはずのエミリアは、半歩ほど距離を置いて立っている。
以前の可憐さは薄れ、化粧もどこか雑で、目元には青い影。
手袋に包まれた指同士をぎゅっと握りしめ、ルシアンとは視線さえ合わせようとしなかった。
(二人とも……まるで別人のようだわ)
美しく華やいでいた二人の姿はどこにもない。
そこにいるのは、焦燥と不満を身にまとった、ぎすぎすとした影だけだった。
「お姉様? どうしてこんなところにいるのよ」
エミリアが口を開いたが、その声には軽やかさも可憐さも、一切ない。
フィオレッタの前に、すっと影が差す。ヴェルフリートが一歩前に出てフィオレッタの前に立ったのだ。
腕の動きは静かだが、周囲の空気がひやりと引き締まった。
「フィオレッタ、お前うまくやったんだなあ? 辺境伯夫人だなんてお前のような悪女には不相応だというのに。エルグランド卿も物好きだな、くくく、僕のおさがりでいいなんて」
ルシアンの声は掠れ、しかし妙な熱を帯びている。酒を煽ってきたのか、どことなく呂律も怪しい。
「いくら殿下とはいえ、妻に対してそのような無礼な振る舞いはやめていただこう。私がいくらでも相手になる」
ヴェルフリートの気迫にルシアンは一瞬たじろぐが、すぐに唇を歪めた。
「……フン! いい気になるなよ、フィオレッタ。どうせすぐに泣きつくことになる。お前がしでかした不始末は、王家の調査官が裁くんだからなあ!」
「それなら、もう来ているよ」
よく通る声が、広間を震わせた。
入口に現れたのは王太子ジークフリート。そしてその後ろには、王家直属の調査官トーマスの姿がある。あの広場以来で、顔を見るとまだあの時のことを思い出してしまう。
「兄上……! 調査官を連れて来てくださったのですね!」
ルシアンの顔が、一瞬で勝ち誇った色に染まる。
その様子を、王太子はどこか哀れむように見つめてから微笑した。
「やあ、ルシアン。お前は変わらず愚かだねえ。王がお前を溺愛していたから幾度となくチャンスを与えていたが、流石にもう限界だとの仰せだ」
「え……?」
そわそわと兄に近寄ろうとするルシアンをよそに、王太子はトーマスに視線を送る。
「トーマス。では、皆の前で読み上げてくれ」
「はい、殿下」
トーマスは巻物を開き、淡々と声を響かせた。
「第三王子ルシアン・フォン・オルファレイン殿下は、賭博への多額の損失を隠蔽するため、公金の流用を図り、その罪を婚約者であったフィオレッタ嬢へ不当に押しつけようとした疑いがあるため、調査を開始いたします」
広間がざわめきに揺れる。
「なっ……!? こ、これは何かの間違いだ! 兄上、信じてください……私はそのようなことは何もしておりません!」
ルシアンが青ざめた顔で後ずさる。救いと思った兄と調査官がまさか自分を告発するとは夢にも思っていなかったのだろう。
(今しかないわ)
フィオレッタは決意を胸に、ヴェルフリートの隣に立った。
「ジークフリート殿下。私からもよろしいでしょうか」
フィオレッタの声が、静かに、大広間へと響き渡った。瞬く間に人々の視線が彼女へ集まる。
ジークフリートは驚きもせず、ただ落ち着いた眼差しでフィオレッタを見る。
「聞こう。フィオレッタ嬢」
王太子ジークフリートの許しを得て、フィオレッタは静かに息を整え、まっすぐルシアンを見据えた。
「身に覚えがない、とのことですが。ルシアン殿下、私は長年殿下の執務を補佐していた時期がございます」
ルシアンの顔がびくりと引きつる。
「フィ、フィオレッタ……? まさか、お前……」
「はい。殿下が執務をほとんど放棄されていた頃です。その際、公金の動きに明らかな不自然な点があると気づき、私は一度、王室監察局へ正式な調査依頼を出しております」
広間の空気が一気にざわつく。
「そ……そんなこと……嘘だ……!」
ルシアンの声は震えていた。しかしフィオレッタは怯まない。
「事実ですわ。ですが、その時はなぜか『受理できない』と返されました」
その言葉に、調査官のトーマスが苦い顔をする。何か思い当たる節があるのだろう。
「念のため、証拠は執務室の棚に保管しておりました。左奥の三段目の棚に、金銭の流れを記した文書があります。どうせ殿下はご覧にならないと思いましたので。そちらをご確認いただければ、すべて明らかになるはずです」
「こ……この女……っ!」
その声はもう虚勢しか残っていない。
その瞬間、重々しい足音が響き、フィオレッタがかつて共に働いた 文官たちが前へ進み出た。
「王太子殿下、フィオレッタ様の証言はすべて事実です」
「先日、フィオレッタ様から助言をいただいたため、我々文官で独自に再調査を行いました」
文官たちはそれぞれに紙束を持ち、澱みなく発言を進めてゆく。
フィオレッタは辺境伯家に来た文官たちを通じ、王都の文官たちとも連絡を取ることが出来た。
彼らも現状を打破したいと思いながら、何とか仕事を続けていたのだ。
(私の声が届かない、と諦めていたけれど……信じてくれる人がいたおかげだわ)
かつてのフィオレッタは、全てを諦めた。
けれど、フィオレッタに自身を信じさせてくれたのは、辺境での穏やかな暮らしだった。
また立ち上がる勇気をくれたのだ。
「殿下の部屋に山ほど残された未処理の書類を全て精査し、各部署の帳簿・賭場の記録・密書を照合した結果――」
それぞれの文官たちが、抱えていた書類を王太子と調査官に差し出す。
「ルシアン殿下の横領と隠蔽は、揺るぎない事実と判明しました」
大広間が静まり返る。
王太子が証拠を受け取り、ぱらりと数枚をめくった。
「……見事だ。もはや、追加の調査は不要だな」
その言葉は、ルシアンの命綱を断ち切るように響いた。
「ま、待って! 兄上! これは……きっと誰かが罠を――!」
「ルシアン」
ジークフリートの声は氷の刃のように冷たい。
「何事にも限度があるよ。お前はやり過ぎたのだ」
弟へ向けた言葉だった。その穏やかな声に、ルシアンは膝から崩れ落ちる。
「それからトーマス」
ジークフリートの静かな呼びかけに、調査官トーマスははっとして膝をつく。
「はっ……! ただ今の証言、確認を行います。しかし以前、そのような申告があったという件は私の耳には届いておりませんでした」
その言葉に、広間がざわつく。
フィオレッタの脳裏に、冷たく突き返された申請の記憶がよぎる。
「つまり、監察局内部にも、ルシアンと繋がる者がいたということだね」
ジークフリートが静かに言う。
トーマスは顔を強張らせ、深く頭を垂れる。
「申し訳ございません。王家の機関でありながら、不正な手が加わっていた可能性について……責任者として深く反省いたします。内部の総入れ替えを実施し、すべて明らかにする所存です」
呆然としていたルシアンの顔色が、みるみる青ざめていく。
「な……なぜ……!? どうしてフィオレッタを信じるんだ!」
ルシアンは完全に追い詰められた獣のように周囲を見回した。そして、傍らで俯くエミリアへと手を伸ばした。
「……っ、エミリア! お前もフィオレッタは悪女だって言っていただろう!」
エミリアのその小さな肩がびくりと揺れる。彼女はゆっくりと顔を上げ、まっすぐに前を見た。
「……は~~~~最悪すぎるわ」
やがて、思い切り不貞腐れた声が落ちた。
「お姉様が悪女なわけないじゃないですか。なんでも出来てすっごく邪魔だったけど。みんな騙されて馬鹿みたい」
「えっ?」
今までと全く雰囲気の違う物言いに、周囲の空気も固まる。エミリアは可憐で愛らしい令嬢だったはずなのに、それらを全て放棄していた。投げやりだ。
「ルシアン殿下って全然働かないんですよ? でもそのくせ偉そうで。お姉様のものが欲しかっただけなのに……こんな男だなんて詐欺です!」
「エミリア、何を言っている!」
「本当に詐欺師だっただなんて、信じられないのはこっちよ。人生詰んだじゃない! 地獄に堕ちろ、クソ王子!」
猫の皮を脱ぎ捨てたエミリアは、ルシアンとぎゃあぎゃあと喧嘩をし始めた。かなりの鬱憤が溜まっていたに違いない。口にするのも憚られるような罵倒が聞こえてくる。
王太子は深く息をついた後、二人を退室させるように騎士たちに促した。
ルシアンは抵抗しながら連れていかれ。、エミリアは「自分で歩ける!」とそれを振り払った後、フィオレッタを振り返り、特大の『あっかんべー』をして出ていったのだった。




